マーヴィン・ルロイ 〜二つの顔、二つの視点〜
2015.08.20
『心の旅路』の監督
まだ映画監督という存在にさほど注意を払っていなかった頃、感動したり印象に残ったりした映画が、後で調べてみると、ことごとく同じ監督の作品だったという偶然に驚いたことがある。その監督がマーヴィン・ルロイだ。『哀愁』(1940年)、『心の旅路』(1942年)、『キュリー夫人』(1943年)、『若草物語』(1949年)ーーどれも私が映画鑑賞に耽りはじめてから数年の間に繰り返し観ていた作品である。自分ではあまり意識していないのだが、私が面白いと感じる映画の原点はこの辺りにあるのだろう。
もっとも、昔好きだったからといって、今観ても同じ感想を抱くとは限らない。がっかりすることも多い。なので、ずっと観ないままでいたのだが、最近『心の旅路』を観直して、感嘆を新たにした。キャストも良いし、ストーリーも凝っているし、演出にも過剰さがなくて好感が持てるし、2時間余りの長さながら全くだれることがなかった。
物語は1918年から始まる。第一次世界大戦中、フランスで負傷し、記憶を失った男(ロナルド・コールマン)は「スミス」と名付けられ、イギリスのメイブリッジにある精神病院に収容されている。彼は休戦の日に病院を脱走、ヴォードビルの花形ポーラ(グリア・ガースン)と出会い、親切な彼女に匿われる。まともに話すこともできないスミスに同情と恋心を抱くポーラ。彼女はヴォードビルの仕事をやめ、駆け落ち同然でメイブリッジを出て、デヴォンという土地に落ち着く。やがて2人は結婚し、子宝にも恵まれる。それだけでなく、スミスは文才を発揮し、リヴァプールの新聞社から契約しに来るように言われる。しかし、皮肉なことに、スミスはリヴァプールで事故に遭って記憶を取り戻し、その代わりにポーラと過ごした3年間の記憶を失ってしまう。彼は元の「チャールズ・レニエ」として事業で成功を収め、「経済界のプリンス」と謳われるが、大事な記憶を失っているような喪失感がつきまとうのだった。......ここまでがストーリーの半分である。
良い監督は良い耳を持っている
「スミス」とポーラの結婚式で流れる賛美歌は「全き愛」。質素ながらも幸福感に包まれた結婚式のシーンでは、音痴な女性が出てきて、牧師がやれやれと言わんばかりの目つきで見る仕草が笑いを誘う。しかし後半、この賛美歌がシリアスでドラマティックな効果をもたらす。若い婚約者(スーザン・ピータース)を得たチャールズ・レニエが結婚式用の賛美歌を選ぶ際、「全き愛」を聴き、自分でもわけが分からぬまま、身動きできなくなるのだ。
マーヴィン・ルロイはヴォードビル出身の人。若い頃はアリス・ホワイトの「高速度娘」シリーズを撮っていた。音楽に関してはしっかりとした見識を持っていたのだろう。甘いメロディーの垂れ流しが鬱陶しく感じられるところもあるし、ガースンの歌と踊りは本当に必要だったのだろうかという疑問もあるのだが、この賛美歌のように、特定の音楽に深い意味を含ませて観る者を引き込むのが巧い。
類似する手法は『若草物語』でも使われている。故郷を離れてニューヨークへやって来たジョー(ジューン・アリスン)が感傷に浸るシーンだ。ここではベア教授(ロッサノ・ブラッツィ)がピアノを弾きながらチャイコフスキーの「ただ憧れを知る者だけが」を歌い、その後、ストリングスが加わって盛り上がる。歌詞(ゲーテの詩)の意味をはっきり理解したジョーが、大人の女性へと変わる重要なシーンでもある。かと思えば、『仮面の米国』(1932年)では脱獄シーンに音楽を一切使わない。脱獄を知らせる音と犬の鳴き声のみで緊迫感を出す。今時の映画なら、太鼓が仰々しく鳴り響き、派手な音楽が使われるはずだ。良い監督は良い耳を持っているものだが、ルロイも例外ではない。製作者として『オズの魔法使』(1939年)を世に送り出したのもルロイである。
娯楽映画と社会派映画
『仮面の米国』は社会派映画で、原作は脱獄囚ロバート・E・バーンズの自叙伝である。第一次世界大戦で活躍した軍曹ジェームズ・アレン(ポール・ムニ)は、戦後、建設業で大きな仕事をしたいと夢見るものの、思うように職にありつけない。ジョージアに流れ着いた彼は、銃で脅された状態でやむなく強盗に荷担し、牢獄に入れられる。囚人生活はまさに地獄。我慢の限界に達した彼は脱獄し、シカゴに渡る。そこで運命の悪戯により建設業に携わり、見る見る出世し、「シカゴ功労市民」になる。しかし、そのままで済むはずもなく......という話。この映画が公開されたことにより、ジョージア州は世間から非難され、囚人の扱いが見直されるきっかけとなった。非人道的な獄中の真実を暴いた内幕物としてだけでなく、運命の皮肉を描いた作品としても面白い。
この監督にはロマンティックな娯楽映画の名匠、犯罪を扱った社会派映画の名匠の二つの顔があるが、頭角をあらわしたのは後者の作品によってである。それがギャングの壮絶な生きざまを描いた『犯罪王リコ』(1931年)だ。ギャング映画のブームに火をつけた傑作である。それでいて、『哀愁』や『心の旅路』のような映画も撮り、観客の涙をしぼり取っていたのだから、只者ではない。
戦後はジャネット・リー、ジューン・アリスン、エリザベス・テイラー、マーガレット・オブライエンを四姉妹に配した『若草物語』、大味な歴史大作『クオ・ヴァディス』(1951年)、FBIの協力を得てこの組織の歴史を駆け足で辿った『連邦警察』(1959年)などを撮っている。『ミスタア・ロバーツ』(1955年)もあるが、これはジョン・フォードが途中降板した後、代理でメガフォンをとった作品である。
登場人物の描き方が単純でなく、ストーリーにも重層的な面白さがあるところは、彼の代表作に共通して言えることである。『犯罪王リコ』の場合、凶悪なリコ(エドワード・G・ロビンソン)は、女に骨抜きにされた相棒ジョー(ダグラス・フェアバンクス・ジュニア)を殺すことができず、その後逃亡する。そして、凋落して別人のようになり、悲惨な死を迎えるまでを描くことで、ドラマの奥行きを広げている。第一次世界大戦下の悲恋を描いた『哀愁』も戦中パートと戦後パートがあり、趣が異なる。『若草物語』のジョーも、ニューヨークに行く前と後では別人みたいになっている。『仮面の米国』と『心の旅路』については、すでに説明した通りだ。そのやり方は、まるで人間の性格や運命を二つの視点、二つの段階で捉えているかのようである。これはエンターテイメント性を重視した結果というより、ルロイ監督の人間観のあらわれとみてよいだろう。
邪悪な性格と忌まわしい運命をテーマに
人間の性格や運命をそのままテーマに据えた作品もある。『悪い種子(たね)』(1956年)だ。これは今でも古さを全く感じさせない。ブロードウェイの大ヒット作で、ルロイ監督は舞台の役者をほとんどそのまま主要キャストに据えた。『ミスタア・ロバーツ』もブロードウェイの作品だが、中途半端に関わったため、『悪い種子』でその鬱憤を晴らした感がある。
8歳の少女が連続殺人を犯す衝撃的な内容で、タイトルの「種子」は遺伝子を表している。ローダ(パティ・マコーマック)はうわべだけ上品で、良心もモラルも欠落している優等生。その邪悪さに、母親クリスティーン(ナンシー・ケリー)は困惑し、嘆き悲しむ。そんなとき、クリスティーンは自分が貰い子で、実の母親が殺人鬼であったことを知り、娘が冷酷なのは血筋のせいではないかと悩む。マルキ・ド・サドの影響を感じさせるところがあるが、当時の流行でエンディングの後、「クライマックスについては他言無用」と口止めしているので、これ以上は書かないでおく。
パティ・マコーマックが劇中で弾いているのは民謡「月の光に」。冒頭では愛らしい雰囲気を醸しているが、話が進むにつれて偏執的な響きを帯びる。作品全体でみると結構仰々しい音楽が使われているのだが、最も印象に残るのは「月の光に」だ。こういうところもマーヴィン・ルロイの巧さだと思う。
【関連サイト】
Mervyn LeRoy(IMDb)
まだ映画監督という存在にさほど注意を払っていなかった頃、感動したり印象に残ったりした映画が、後で調べてみると、ことごとく同じ監督の作品だったという偶然に驚いたことがある。その監督がマーヴィン・ルロイだ。『哀愁』(1940年)、『心の旅路』(1942年)、『キュリー夫人』(1943年)、『若草物語』(1949年)ーーどれも私が映画鑑賞に耽りはじめてから数年の間に繰り返し観ていた作品である。自分ではあまり意識していないのだが、私が面白いと感じる映画の原点はこの辺りにあるのだろう。
もっとも、昔好きだったからといって、今観ても同じ感想を抱くとは限らない。がっかりすることも多い。なので、ずっと観ないままでいたのだが、最近『心の旅路』を観直して、感嘆を新たにした。キャストも良いし、ストーリーも凝っているし、演出にも過剰さがなくて好感が持てるし、2時間余りの長さながら全くだれることがなかった。
物語は1918年から始まる。第一次世界大戦中、フランスで負傷し、記憶を失った男(ロナルド・コールマン)は「スミス」と名付けられ、イギリスのメイブリッジにある精神病院に収容されている。彼は休戦の日に病院を脱走、ヴォードビルの花形ポーラ(グリア・ガースン)と出会い、親切な彼女に匿われる。まともに話すこともできないスミスに同情と恋心を抱くポーラ。彼女はヴォードビルの仕事をやめ、駆け落ち同然でメイブリッジを出て、デヴォンという土地に落ち着く。やがて2人は結婚し、子宝にも恵まれる。それだけでなく、スミスは文才を発揮し、リヴァプールの新聞社から契約しに来るように言われる。しかし、皮肉なことに、スミスはリヴァプールで事故に遭って記憶を取り戻し、その代わりにポーラと過ごした3年間の記憶を失ってしまう。彼は元の「チャールズ・レニエ」として事業で成功を収め、「経済界のプリンス」と謳われるが、大事な記憶を失っているような喪失感がつきまとうのだった。......ここまでがストーリーの半分である。
良い監督は良い耳を持っている
「スミス」とポーラの結婚式で流れる賛美歌は「全き愛」。質素ながらも幸福感に包まれた結婚式のシーンでは、音痴な女性が出てきて、牧師がやれやれと言わんばかりの目つきで見る仕草が笑いを誘う。しかし後半、この賛美歌がシリアスでドラマティックな効果をもたらす。若い婚約者(スーザン・ピータース)を得たチャールズ・レニエが結婚式用の賛美歌を選ぶ際、「全き愛」を聴き、自分でもわけが分からぬまま、身動きできなくなるのだ。
マーヴィン・ルロイはヴォードビル出身の人。若い頃はアリス・ホワイトの「高速度娘」シリーズを撮っていた。音楽に関してはしっかりとした見識を持っていたのだろう。甘いメロディーの垂れ流しが鬱陶しく感じられるところもあるし、ガースンの歌と踊りは本当に必要だったのだろうかという疑問もあるのだが、この賛美歌のように、特定の音楽に深い意味を含ませて観る者を引き込むのが巧い。
類似する手法は『若草物語』でも使われている。故郷を離れてニューヨークへやって来たジョー(ジューン・アリスン)が感傷に浸るシーンだ。ここではベア教授(ロッサノ・ブラッツィ)がピアノを弾きながらチャイコフスキーの「ただ憧れを知る者だけが」を歌い、その後、ストリングスが加わって盛り上がる。歌詞(ゲーテの詩)の意味をはっきり理解したジョーが、大人の女性へと変わる重要なシーンでもある。かと思えば、『仮面の米国』(1932年)では脱獄シーンに音楽を一切使わない。脱獄を知らせる音と犬の鳴き声のみで緊迫感を出す。今時の映画なら、太鼓が仰々しく鳴り響き、派手な音楽が使われるはずだ。良い監督は良い耳を持っているものだが、ルロイも例外ではない。製作者として『オズの魔法使』(1939年)を世に送り出したのもルロイである。
娯楽映画と社会派映画
『仮面の米国』は社会派映画で、原作は脱獄囚ロバート・E・バーンズの自叙伝である。第一次世界大戦で活躍した軍曹ジェームズ・アレン(ポール・ムニ)は、戦後、建設業で大きな仕事をしたいと夢見るものの、思うように職にありつけない。ジョージアに流れ着いた彼は、銃で脅された状態でやむなく強盗に荷担し、牢獄に入れられる。囚人生活はまさに地獄。我慢の限界に達した彼は脱獄し、シカゴに渡る。そこで運命の悪戯により建設業に携わり、見る見る出世し、「シカゴ功労市民」になる。しかし、そのままで済むはずもなく......という話。この映画が公開されたことにより、ジョージア州は世間から非難され、囚人の扱いが見直されるきっかけとなった。非人道的な獄中の真実を暴いた内幕物としてだけでなく、運命の皮肉を描いた作品としても面白い。
この監督にはロマンティックな娯楽映画の名匠、犯罪を扱った社会派映画の名匠の二つの顔があるが、頭角をあらわしたのは後者の作品によってである。それがギャングの壮絶な生きざまを描いた『犯罪王リコ』(1931年)だ。ギャング映画のブームに火をつけた傑作である。それでいて、『哀愁』や『心の旅路』のような映画も撮り、観客の涙をしぼり取っていたのだから、只者ではない。
戦後はジャネット・リー、ジューン・アリスン、エリザベス・テイラー、マーガレット・オブライエンを四姉妹に配した『若草物語』、大味な歴史大作『クオ・ヴァディス』(1951年)、FBIの協力を得てこの組織の歴史を駆け足で辿った『連邦警察』(1959年)などを撮っている。『ミスタア・ロバーツ』(1955年)もあるが、これはジョン・フォードが途中降板した後、代理でメガフォンをとった作品である。
登場人物の描き方が単純でなく、ストーリーにも重層的な面白さがあるところは、彼の代表作に共通して言えることである。『犯罪王リコ』の場合、凶悪なリコ(エドワード・G・ロビンソン)は、女に骨抜きにされた相棒ジョー(ダグラス・フェアバンクス・ジュニア)を殺すことができず、その後逃亡する。そして、凋落して別人のようになり、悲惨な死を迎えるまでを描くことで、ドラマの奥行きを広げている。第一次世界大戦下の悲恋を描いた『哀愁』も戦中パートと戦後パートがあり、趣が異なる。『若草物語』のジョーも、ニューヨークに行く前と後では別人みたいになっている。『仮面の米国』と『心の旅路』については、すでに説明した通りだ。そのやり方は、まるで人間の性格や運命を二つの視点、二つの段階で捉えているかのようである。これはエンターテイメント性を重視した結果というより、ルロイ監督の人間観のあらわれとみてよいだろう。
邪悪な性格と忌まわしい運命をテーマに
人間の性格や運命をそのままテーマに据えた作品もある。『悪い種子(たね)』(1956年)だ。これは今でも古さを全く感じさせない。ブロードウェイの大ヒット作で、ルロイ監督は舞台の役者をほとんどそのまま主要キャストに据えた。『ミスタア・ロバーツ』もブロードウェイの作品だが、中途半端に関わったため、『悪い種子』でその鬱憤を晴らした感がある。
8歳の少女が連続殺人を犯す衝撃的な内容で、タイトルの「種子」は遺伝子を表している。ローダ(パティ・マコーマック)はうわべだけ上品で、良心もモラルも欠落している優等生。その邪悪さに、母親クリスティーン(ナンシー・ケリー)は困惑し、嘆き悲しむ。そんなとき、クリスティーンは自分が貰い子で、実の母親が殺人鬼であったことを知り、娘が冷酷なのは血筋のせいではないかと悩む。マルキ・ド・サドの影響を感じさせるところがあるが、当時の流行でエンディングの後、「クライマックスについては他言無用」と口止めしているので、これ以上は書かないでおく。
パティ・マコーマックが劇中で弾いているのは民謡「月の光に」。冒頭では愛らしい雰囲気を醸しているが、話が進むにつれて偏執的な響きを帯びる。作品全体でみると結構仰々しい音楽が使われているのだが、最も印象に残るのは「月の光に」だ。こういうところもマーヴィン・ルロイの巧さだと思う。
(阿部十三)
【関連サイト】
Mervyn LeRoy(IMDb)
[マーヴィン・ルロイ監督略歴]
1900年10月15日、サンフランシスコ生まれ。6歳のときにサンフランシスコ地震で家を失う。生活苦をしのぐため新聞を売り、その後、物真似の才能を認められてヴォードビル芸人に。ハリウッドへ行き、撮影アシスタントなどを経て、1927年に『蛮婚崇拝』で監督デビュー。軽いコメディを撮り続けたが、ギャング映画『犯罪王リコ』(1931年)で成功し、ドル箱監督の仲間入りを果たした。1930年代から40年代は絶頂期で、『仮面の米国』『風雲児アドヴァース』『哀愁』『心の旅路』『キュリー夫人』などの名作が目白押し。『クオ・ヴァディス』(1951年)以降の演出には以前の冴えがないが、『悪い種子』(1956年)で盛り返した。最後の監督作はジーン・セバーグ主演の『その日その時』(1966年)。ジョン・ウェイン監督の『グリーン・ベレー』(1968年)にも関わったが、クレジットはない。1987年9月13日死去。
1900年10月15日、サンフランシスコ生まれ。6歳のときにサンフランシスコ地震で家を失う。生活苦をしのぐため新聞を売り、その後、物真似の才能を認められてヴォードビル芸人に。ハリウッドへ行き、撮影アシスタントなどを経て、1927年に『蛮婚崇拝』で監督デビュー。軽いコメディを撮り続けたが、ギャング映画『犯罪王リコ』(1931年)で成功し、ドル箱監督の仲間入りを果たした。1930年代から40年代は絶頂期で、『仮面の米国』『風雲児アドヴァース』『哀愁』『心の旅路』『キュリー夫人』などの名作が目白押し。『クオ・ヴァディス』(1951年)以降の演出には以前の冴えがないが、『悪い種子』(1956年)で盛り返した。最後の監督作はジーン・セバーグ主演の『その日その時』(1966年)。ジョン・ウェイン監督の『グリーン・ベレー』(1968年)にも関わったが、クレジットはない。1987年9月13日死去。
[主な監督作品]
1927年『蛮婚崇拝』/1928年『高速度娘蕾の巻』/1929年『高速度娘ジャズの巻』/1930年『高速度娘恋愛合戦』/1931年『犯罪王リコ』『特輯社会面』/1932年『仮面の米国』/1936年『風雲児アドヴァース』/1940『哀愁』/1941年『塵に咲く花』/1942年『心の旅路』/1943年『キュリー夫人』/1944年『東京上空三十秒』/1949年『若草物語』/1951年『クオ・ヴァディス』/1952年『百萬弗の人魚』/1955年『荒野の貴婦人』『ミスタア・ロバーツ』(共同)/1956『悪い種子』/1959年『連邦警察』/1961年『四時の悪魔』/1966年『その日その時』
1927年『蛮婚崇拝』/1928年『高速度娘蕾の巻』/1929年『高速度娘ジャズの巻』/1930年『高速度娘恋愛合戦』/1931年『犯罪王リコ』『特輯社会面』/1932年『仮面の米国』/1936年『風雲児アドヴァース』/1940『哀愁』/1941年『塵に咲く花』/1942年『心の旅路』/1943年『キュリー夫人』/1944年『東京上空三十秒』/1949年『若草物語』/1951年『クオ・ヴァディス』/1952年『百萬弗の人魚』/1955年『荒野の貴婦人』『ミスタア・ロバーツ』(共同)/1956『悪い種子』/1959年『連邦警察』/1961年『四時の悪魔』/1966年『その日その時』
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