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ジャン・コクトー 〜20の顔を持つ男〜

2011.04.06
jean-cocteau
 ジャン・コクトーはレオナルド・ダ・ヴィンチの系譜に属する最後の万能人である。詩、小説、戯曲、評論、絵画、陶芸、彫刻、舞台演出、映画監督、バレエ制作などなど、多方面で大きな功績を残した。人呼んで〈20の顔を持つ男〉。そんな彼にあえてひとつだけ肩書きを与えるとすれば、やはり詩人ということになるだろう。その溢れかえる才能から生まれたオブジェは、言ってみれば全て〈詩〉が変容したもの。簡素でありながらもこの上なくイマジネーションを掻き立てるそれらの作品には、理屈で解明し得ない神秘的なポエジーがひそんでいるのだ。
 そのポエジーは啓示と言い換えてもいい。どんなに荒唐無稽なことであっても、コクトーの手にかかると、そこに有無を言わさぬ啓示的な力が生まれる。

 コクトーの芸術をはったりと呼ぶ人もいる。たしかにその作品の中には、まず第一に人の意表をつくことを目的にしたようなものもある。彼の芸術的信条の結晶とも言うべき映画『オルフェ』にこんなシーンがある。新進気鋭の青年詩人セジェストが先輩詩人オルフェに最新詩集『ヌーディズム』を見せる。その中身はなんと白紙である。オルフェが「馬鹿馬鹿しい」と吐き捨てるように言うと、セジェストは答える。「馬鹿馬鹿しい詩で埋まっているよりはマシだろ」と。この〈白紙の詩集〉という発想は、私にジョン・ケージの前衛作品『4分33秒』(1952年)を連想させる。273秒の間、ステージにいる演奏家は何も音を出さない。ただ楽器の前に座っているだけ。その間、場内に起こるざわめき、罵声、物音。それらの雑音が表現内容となる。

 ここで、そんなものを芸術として認めるのかという疑問が出てくる。認めない人は一生認めないに違いない。しかし、作り手はそういう反応が起こることなど百も承知で挑発しているのである。思えばコクトーを有名にしたのも罵詈雑言だった。そして、その火種となった『パラード』を書かせたのは、ロシア・バレエ団の創設者セルゲイ・ディアギレフが発した「俺を驚かせてみろ」という一言だった。驚かせる。意表をつく。はったりをかます。そのどこがいけないのか。それを芸術の創作行為に結びつかない、と断ずるのはいささか偏狭にすぎる。

 分別がついてくると、人は一定の規範を作ろうとしてしまう。しかし、芸術にそれを設けてはならない。子供の好奇心、残酷なまでの無垢さ、限界のない想像力を愛したコクトーは、生涯で一作だけ書いた童話の序文でこう述べている。

「君たちはいずれ大人になる。奇妙なことだ。しかし、子供の心を失わないように気をつけたまえ。(中略)だれだって幼いころは妖精そのものだ。妖精は手にした魔法の杖でかぼちゃに触れるだけで、豪華な四輪馬車に変えてしまうことが出来る。悲しいことだが、大人たちは分別があるために、四輪馬車をかぼちゃに変えることしか出来ない」
(『おかしな家族』)

 そして、こう締めくくる。

「もし、この本の色が気に入らなければ、君の色鉛筆で好きなように塗りたまえ。遠慮はいらない」
(『おかしな家族』)

 コクトーの芸術は人を驚かせるだけで終わるものではない。その程度のものであればすぐに底が知れる。没後半世紀近く経った今なお多くのファンを惹きつけることもないだろう。その芸術の真価は、人の感性を磨き、審美眼を養うところにある。すぐに理屈を持ち込んだり、いちいち「何故」と問うたりせず、想像し、楽しみ、味わうこと。必ずしも消化しやすいものとは限らないが、まずはその異物を口の中に入れてみること。そうやって受け入れる姿勢へと私たちを導く。それは噛めば噛むほど味わい深く、滋養にもなる。もしかすると大好きになり、自分でもそれを作ってみたいと思うかもしれない。

「アメリカ人よ、テレビとラジオに惑わされるな。テレビはあらかじめ咀嚼された柔らかい食べ物を与える。自分の歯で噛みたまえ。歯は微笑のための装飾ではない」
(『アメリカ人への手紙』)

 1949年に書かれた評論の一節である。テレビとラジオにインターネットを付け加えれば、この警句は現代の日本でも有効だ。すでに他人によって「判断」されたものではなく、自分の歯で噛んで「判断」すること。噛まなければ脳は衰える。

 相手が女性であれ、男性であれ、コクトーは美しいものを愛し、その性を愛し、相手を愛し抜くことによって自分と同じレベルにまで引き上げることができたという。そして今、彼はその作品群によって、私たちのことも引き上げようとしている。かつて一世を風靡したベストセラー小説『ダ・ヴィンチ・コード』で、シオン修道会の総長名簿にコクトーの名前が出てくるが、たしかに秘密結社のトップだったとしてもおかしくないと思わせる神秘性が、彼の人生と作品にはあるのだ。

 映画監督としての代表作は『美女と野獣』『双頭の鷲』『オルフェ』。いずれもコクトーの恋人だったジャン・マレーが主演を務めている。この起用については賛否が分かれるところで、コクトーの信奉者だった三島由紀夫などはジャン・マレーの声を「下品」「浪花節みたいな声」とこき下ろしている。が、なんだかんだいっても、その彫りの深い美貌と重厚なムードが漂う存在感は、やはりコクトー映画になくてはならないものである。少なくとも1940年代のフランスの映画俳優で、マレー以上にコクトーの世界観が似合う男は思い当たらない。ジェラール・フィリップもハンサムだが、やや甘みが強すぎるため、軽くなってしまう。

 コクトーの映画に出てくるヒロインは無条件で素晴らしい。『美女と野獣』のジョゼット・デイも、『双頭の鷲』のエドウィージュ・フィエールも、『オルフェ』のマリア・カザレスも、その美しさを極限まで引き出されている。コクトーの代表作であり、3人の代表作でもあるといえる。

 脚本家としても宝石のような作品を遺している。「トリスタンとイゾルデ」の伝説を20世紀に蘇らせた『悲恋』(ジャン・ドラノワ監督)。文豪ヴィクトル・ユゴー原作のスペイン宮廷を舞台にした絢爛たる悲劇『ルイ・ブラス』(ピエール・ヴィヨン監督)。現実に背を向けて生きる密接すぎる姉弟とその破滅を描いたコクトー自身の小説の映画化『恐るべき子供たち』(ジャン=ピエール・メルヴィル監督)。恋愛心理小説の鏑矢となった17世紀の小説を繊細かつ大胆な手際で脚色した『クレーヴの奥方』(ジャン・ドラノワ監督)。どれも格調高い名画である。

 余談だが、『恐るべき子供たち』のオープニングで「ヴィヴァルディ作曲」とクレジットされているメインテーマは、いつの頃からか、ジュゼッペ・トレッリの作品と言われるようになった。映画を観たとき高校生だった私は、そうとは知らずヴィヴァルディ関連のレコード、CDからこの曲を探し続け、途方に暮れていたものだ。なので、あるバロック協奏曲集を聴いて偶然出会い、そこに「トレッリ作曲」と記されているのを目にしたときは随分困惑させられた。しかし話はここで終わらず、今はまたヴィヴァルディ説が有力になっているのである。こんな数奇な運命を辿っているのも、コクトー映画に使われた音楽にはふさわしいのかもしれない。
(阿部十三)

【関連サイト】
JEAN COCTEAU
COCTEAU ART

【引用文献】
ジャン・コクトー『おかしな家族』(高橋洋一訳 講談社)
ジャン・コクトー「アメリカ人への手紙」(『ジャン・コクトー全集6』 佐藤朔訳 東京創元社)

[ジャン・コクトー略歴]
 1889年7月5日、フランスのメゾン=ラフィット生まれ。20歳の時、詩集『アラジンのランプ』を発表。ディアギレフ、ストラヴィンスキー、サティ、シャネル、ピカソらとの交流は有名。1917年に『パラード』でスキャンダルを巻き起こし、社交界の寵児となる。1923年、恋人だった天才詩人レイモン・ラディゲが20歳で死去。悲しみから逃れるために阿片中毒になる。そのコクトーを阿片地獄から救い出し、療養所に入れたのはココ・シャネルである。1930年、『詩人の血』を初監督。1955年アカデミー・フランセーズの会員に選出。1963年10月11日逝去。親友エディット・ピアフの訃報に接した数時間後のことだった。

 女性関係は華やかだったようで、中でも有名なのはマドレーヌ・カルリエ、ルイーズ・ド・ヴィルモラン、ナタリー・パレとの情事。マドレーヌはコクトーが若き日に夢中になった女優で、『大股びらき』のモデル。ルイーズはサン=テグジュペリの婚約者だった詩人で、コクトー以外にオーソン・ウェルズ、アンドレ・マルローも夢中になったとか。ナタリーはロシア皇帝アレクサンドル三世の弟パーヴェル大公の娘で、女優。コクトーの子を身ごもるが、「ジャン・コクトーの血とロマノフの血の混血を恐れて」中絶してしまう。

 同性愛の相手では、夭折した天才レイモン・ラディゲ、コクトーが亡くなるまで愛したジャン・マレー、養子としてコクトーの遺産を相続したエドゥアール・デルミットなどが知られている。若い頃は50歳近く年上の文人カチュール・マンデスとも噂があったようだ。コクトーのこの手のエピソードに言及した書籍は何冊か出ているので(かなり眉唾なものもあるようだが)、興味のある人は読んでみるといい。
[主な監督作品]
1930年『詩人の血』/1946年『美女と野獣』/1947年『双頭の鷲』/1948年『恐るべき親達』/1949年『オルフェ』/1952年『サント・ソスピール荘』/1960年『オルフェの遺言 私に何故と問い給うな』