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アンリ・ヴェルヌイユ 〜戦前と戦後の接点〜

2019.07.13
1920年生まれの監督

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 ジャン・ギャバン、フランソワーズ・アルヌール主演の『ヘッドライト』(1956年)は、初老のトラック運転手と若いウェイトレスの悲恋物語で、溢れる詩情と哀感が胸を打つ傑作だ。アルヌールのファンには、ただでさえ魅力的な彼女のことをたまらなく愛おしく見せる作品として記憶されている。涙や溜息でじめじめしそうな題材だが、過剰な表現をせず、変にベタつかせず、テンポよく見せたのは、監督のモダンな感性のなせる技だろう。

 もっとも、モダンといっても尖鋭的なものとは異なる。アンリ・ヴェルヌイユ監督が生まれたのは1920年なので、エリック・ロメールやアレクサンドル・アストリュックと同世代にあたるが、この2人と比べると作風は堅実で、ヌーヴェルヴァーグ色を感じさせるわけでもない。むしろ戦前のフランス映画を思わせる「古き良き」と言いたくなるような香りがどこかに残っている。

アルヌール出演作

 アルヌールがヴェルヌイユ作品に出演したのは、『ヘッドライト』が初めてではない。これ以前に、中年男を惑わす小悪魔を演じた『禁断の木の実』(1952年)、夫殺しの疑いをかけられている未亡人を演じた『過去を持つ愛情』(1955年)などがある(フェルナンデルが6役を演じた1954年公開の『五本足の羊』にも脇役で出演)。

 『禁断の木の実』は監督と女優、両者にとっての出世作となった。アルヌールがとにかく可愛らしくてセクシーなので、そこに注意が向きがちだが、よくよく考えてみれば、これも妻子ある中年男(フェルナンデル)との情事を描いた映画だ。『ヘッドライト』同様、男女の間にはかなりの年齢差がある。こういう映画を観て、「フランスだし、愛に年齢は関係ないからねえ」と考える人もいるだろうが、私はヴェルヌイユという監督を評する上で、この年齢差の問題はもっと重視すべきではないかと思うのである。

新世代と旧世代

 それは、中期の代表作『冬の猿』(1962年)、『地下室のメロディー』(1963年)を観てみると、鮮明になってくる。前者はジャン・ギャバン、ジャン=ポール・ベルモンド主演、後者はジャン・ギャバン、アラン・ドロン主演、このキャスティングからも分かるように、老いゆく者と若き者という世代の違いがはっきりと打ち出されている。

 人生のピークを過ぎた中年ないし老人が、若者と接触し、そこに絆が生まれ、ドラマが展開し、やがて別れ(終わり)が訪れるというのは、ヴェルヌイユ作品のパターンの一つなのだ。監督はどちらかというと老人の方に肩入れしているが、決して若者を軽んじているわけではない。男女の恋愛においても、男同士の絆においても、なるべく両者を平等に扱い、その接点を大事に描こうとしている。

 うがった見方をすれば、価値観が分裂しがちだった戦前と戦後の人を接触させようとする意図が、若くもなく、老いてもいない1920年生まれのヴェルヌイユにあったものと思われる。目上の人間=権威=打倒すべし、という性急さはない。この監督は世代の違う2人の人間が融和するところを見極めようとする。だからこそ『冬の猿』のような作品が撮れたのだ。愚かな酔っ払いの行状記に見えかねないこの映画が、大人にも若者にも理解でき、人生の真実のようなものを感じ取らせる傑作になったのは、両世代の視点を持つヴェルヌイユの手腕によるところが大きい。

数々の娯楽作

 ヴェルヌイユは娯楽映画の巨匠でもある。先に挙げた『禁断の木の実』や『地下室のメロディー』も娯楽色が強い。むろん、これら以外にも観るべきものはある。

 シャルル・ボワイエとアルヌールが共演した『幸福への招待』(1956年)は、善意と寛容の精神にあふれたハッピーなクリスマス映画。言ってみれば、若い美女が大金持ちの中年男を利用してシンデレラ気分を味わうという、非リアリズムに徹した内容で、反省も皮肉も報復も涙も何もない。いかにも夢らしい夢の世界なのだ。こういう映画を堂々と作るところが、ヴェルヌイユの古さであり、良さでもある。ただ、当時の若い批評家の感性とは相容れなかったであろう。

 『ダンケルク』(1964年)は、戦争映画としても恋愛映画としても優れた傑作だ。原題は『Week-end à Zuydcoote(ズイドコートの週末)』。戦火の中、ドイツ軍の攻撃から逃れようと画策しているフランス人兵士ジュリアン(ジャン=ポール・ベルモンド)が、戦争なんかどこ吹く風のジャンヌ(カトリーヌ・スパーク)と深い仲になり......という話だが、そこに甘さはない。前半はユーモアが効いていて、後半になるにつれビターな味わいが濃くなる。

 ミレーヌ・ドモンジョの魅力を開花させた『女は一回勝負する』(1957年)や、ジャン・ギャバン、リノ・ヴァンチュラ、アラン・ドロンを揃えたギャングもの『シシリアン』(1969年)、ベルモンドの身体能力を活かしたアクション作『華麗なる大泥棒』(1971年)、冷戦を背景にした緊張感のあるスパイもの『エスピオナージ』(1973年)もヴェルヌイユ監督作。これらは誰もが楽しめる娯楽映画だ。ただ、1970年代以降の作品については、演出が冴えたり鈍ったりと安定しない。例えば『華麗なる大泥棒』のラストで悪徳刑事(オマー・シャリフ)が制裁されるカットなど、しっかりと見せたい意図は分かるのだが、クドすぎて疲れる。

価値が変わらない古典

 アルヌールの自伝によると、「ヴェルヌイユは商業映画の監督と思われることをいやがっていた」ようだが、ヒット作が多いということは観客に愛されていたということでもある。また、「私は特定の人としか仕事をしない。役立たずよりは有能な人間と仕事をしたい」と語っていたギャバンにも信頼され、この名優と若い世代をつなぐ役割も務めた。ヌーヴェルヴァーグのアイコンであったジャン=ポール・ベルモンドともタッグを組み、アクション娯楽作のヒーローとして大いに活躍させた。

 1950年代から1960年代という時代に起こった変化を考えると、若い世代に媚びず、流行とも距離を置き、自分の作風を貫き、ヌーヴェルヴァーグとはまた異なる独自のポジションでヒット作を撮り続けることは、批評される立場としては決して楽なことではなかったにちがいない。しかし、そのやり方が奏功し、数々の傑作が生まれた。ヴェルヌイユ作品は、あくまでもストーリー重視、キャスト重視で、いつの時代にも価値が変わらない古典である。そういった普遍的な作品を撮る姿勢にこそ、確固たる意志と美学を基盤とした、真の作家性があるのだと思う。
(阿部十三)


【関連サイト】
[アンリ・ヴェルヌイユ略歴]
1920年10月15日、トルコのロドストに生まれ、4歳の時にフランスに移住。1944年からジャーナリストとして活動、1947年にフェルナンデルを主演にした短編映画『Escale au soleil』を撮り、注目を浴びる。1951年、フェルナンデル主演の『La Table aux crevés』で長編監督デビュー。翌年の『禁断の木の実』で評価され、同作でフランソワーズ・アルヌールも人気女優の仲間入りを果たした。1950年代から1960年代の前半まで『ヘッドライト』、『冬の猿』などの傑作を立て続けに発表し、1960年代後半からは主に娯楽色の強い作品で人気を得た。自伝的要素の強い『Mayrig』(1991年)、『588, rue Paradis』(1992年)でキャリアを締めくくり、2002年1月11日、死去。
[主な監督作品]
1947年『Escale au soleil』/1951年『La Table aux crevés』/1952年『禁断の木の実』/1955年『過去を持つ愛情』/1956年『ヘッドライト』『幸福への招待』/1957年『女は一回勝負する』/1959年『牝牛と兵隊』/1962年『冬の猿』1963年『地下室のメロディー』/1964年『ダンケルク』/1967年『25時』/1969年『シシリアン』/1971年『華麗なる大泥棒』/1973年『エスピオナージ』/1975年『ジャン=ポール・ベルモンドの恐怖に襲われた街』/1976年『追悼のメロディ』/1991年『Mayrig』/1992年『588, rue Paradis』