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五所平之助 〜市井に生きる人々を描く〜 [続き]

2020.09.18
『木石』と『新雪』

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 1940年代の作品には、舟橋聖一原作の『木石』(1940年)、藤澤恒夫原作の『新雪』(1942年)などがある。『木石』は伝染病の研究所が舞台で、いつもの庶民派映画という感じはしない。ただ、『木石』で赤木蘭子扮する厳格な女性は、「悪意のない身勝手な男により、苦しい思いをする女」という五所作品らしい女性像に当てはまる。

 その後、五所は大映に移り、『新雪』をヒットさせた。国民学校の教師を勤める好青年・蓑和田(水島道太郎)を主人公に、その教育法や淡い恋愛を描いた作品だ。蓑和田に思いを寄せるのは、女医・千代(月丘夢路)と、恩師の娘・保子(美鳩まり)。戦時中ではあるが、戦時中の日本映画にありがちな厳格な雰囲気はない。戦意高揚の過剰な響きがなく、終始爽やかな風が吹いていて、青春映画として楽しめる。
 『木石』と同様、扱う題材は五所監督っぽくないが、食事(送別会)のシーンが長めに設けられていたり、カット割りに凝っていたり、月丘夢路や美鳩まりの表情の変化を細かく捉えていたりするところは彼らしい。蓑和田と喧嘩した千代に向かって、保子が「仲直りしなさい」と勧める時の含みのある表情は、五所演出の真骨頂だ。長い間、幻の作品とされていたこの映画が、今は家で普通に観られることに感謝したい。

 1947年には東宝に移籍、3年後の東宝争議で組合側について退職し、独立プロ(配給は新東宝)で映画を撮り始めた。その時の作品が、代表作『煙突の見える場所』(1953年)だ。翌年、新東宝で手がけた『大阪の宿』(1954年)も傑作。東京と大阪それぞれを舞台に、不朽の市井ものを完成させた五所は、ここから歌舞伎座製作(配給は松竹)でメロドラマを次々と発表して成功を収めた。『挽歌』(1957年)、『わが愛』(1960年)、『猟銃』(1961年)、『雲がちぎれる時』(1961年)である。

『煙突の見える場所』と『大阪の宿』

 北千住が舞台の『煙突の見える場所』は、ユーモアとシリアスの味つけが絶妙な小市民劇。赤ん坊の泣き声を効果的に使っているのは、『マダムと女房』の応用である。そんな「騒音」がもたらすイライラ感に、さらに夫婦間のイザコザ、隣人間のギクシャクを混ぜ込んでいるのだが、大きな山場を経た後、厄介だった「騒音」が愛しいものとなり、夫婦、隣人をつなぐものとなる。
 夫婦役に田中絹代、上原謙(『愛染かつら』の組み合わせ)、隣人役に芥川比呂志、高峰秀子という配役も絶妙だし、絶望した妻(田中絹代)が入水自殺しようとするあたりでテンポを上げるところもうまい。行動力がなく、言葉が冷たく、何事につけ情けない夫(上原謙)も、五所が描く男性像と合致する。

 『大阪の宿』は、大阪に左遷された会社員の三田(佐野周二)と女たちの交流を描く内容で、主人公はどちらかというと、男ではなく、女である。芸妓(乙羽信子)、宿の下働き(川崎弘子、水戸光子、左幸子)、貧しい娘(安西郷子)、彼女たちは皆どこか頼りなくて不幸で(左幸子はしたたかだけど)、何とかして生きている。人生のドラマがどっと押し寄せるのは、ほとんど女性の方である。
 三田は正義感にあふれているものの、結局は傍観者以上になり得ない。芸妓から惚れられても、「住んでいる世界が違う」と言い出す始末。芸妓はそんな男に、「三田はんって星みたいなもんかもしれん」と言う。空から地上を見ていて、地上で踏ん張って生きていない人という意味だ。

 この作品には「素朴な、心をゆたかにうるおしてくれる母心のような風味」がある。焼き芋のような映画だ。とくに魅力的なのは乙羽信子で、ヤケっぱちに見えて、品があり、実がある芸妓を生き生きと演じている。映画のシーンとしては、三田がクローニンの『星は地上を見ている』という本を棚から取り出し、芸妓の言葉を思い出して、口元を緩ませた後、夜景に切り替わるところが素晴らしい。ラストに取ってつけたような救いがないのも良い。

五所映画の特徴

 人生のドラマが押し寄せるのは、ほとんど女性の方だと書いたが、それは『挽歌』や『雲がちぎれる時』などのメロドラマにも当てはまる。私は大ヒットした『挽歌』よりも日本風に湿っぽい『雲がちぎれる時』の方が好みなのだが、この作品では有馬稲子が暗い運命から逃れられない女を演じ切っている。そんな女性に惹かれてしまう青年を演じた佐田啓二も適役だ。

 『伊豆の踊子』や『新雪』のところでも書いたが、五所監督は登場人物の一瞬の細かな表情を捉え、心理を表現するのが巧みである。それだけで、好人物だと思っていた者の複雑な内面が見て取れたりする。あくまでも節度とテンポを重んじ、くだくだしい見せ方は好まなかったようだ。五所は俳人としての顔も持ち、久保田万太郎と交流して腕を磨いていたが、一瞬を切り取るセンスはそういうところからも育まれていたのかも知れない。
 もう一つ、五所作品の特徴として食事のシーンが多いことも挙げられる。『花婿の寝言』では最後に夫婦水入らずで蕎麦を食べ、『大阪の宿』では最後に皆で鍋をつつく。監督自身が皆で一緒に食事をするのが好きだった人なので、そういう描写に力が入っているのかも知れないが、生活感を出さなければ人物が薄っぺらくなるという考えもあったのではないだろうか。味噌汁屋を開く女性がヒロインの『女と味噌汁』(1968年)が遺作となったのも、この監督には必然だったように思える。
(阿部十三)


【関連サイト】
五所平之助 〜市井に生きる人々を描く〜
[五所平之助 略歴]
1902年1月24日、東京都千代田区生まれ。島津保次郎監督の紹介で松竹蒲田撮影所に入り、1925年に監督デビュー。まもなく人気監督となり、1931年には日本初のトーキー映画『マダムと女房』を手掛けた。戦中、大映に移籍して撮った『新雪』が大ヒット。戦後は独立プロを立ち上げ、『煙突の見える場所』(1953年)を撮り、ベルリン国際映画祭国際平和賞を受賞。さらに、『黄色いからす』(1957年)でゴールデングローブ賞外国語映画賞を受賞。1964年からは日本映画監督協会の理事長を務めていた。随筆、句集、回想記もある。1981年5月1日、死去。
[主な監督作品]
1927年『恥しい夢』/1928年『村の花嫁』/1931年『マダムと女房』/1932年『天国に結ぶ恋』/1933年『花嫁の寝言』『恋の花咲く 伊豆の踊子』/1935年『花婿の寝言』『人生のお荷物』/1936年『朧夜の女』『新道』/1940年『木石』/1942年『新雪』/1945年『伊豆の娘たち』/1953年『煙突の見える場所』/1954年『大阪の宿』『愛と死の谷間』/1955年『たけくらべ』/1957年『黄色いからす』『挽歌』/1960年『わが愛』/1961年『猟銃』『雲がちぎれる時』/1967年『宴』/1968年『女と味噌汁』