映画 MOVIE

テレンス・フィッシャー 〜フランケンシュタインの分身〜

2023.01.16
ハマー・プロの看板監督

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 テレンス・フィッシャーはハマー・フィルム・プロダクションの看板監督だった人である。代表作は、フランケンシュタインとドラキュラのシリーズ。両者とも1930年代に製作されたユニバーサル映画でおなじみの有名モンスターだが、フィッシャーはその物語に新解釈を加え、カラー映像で華々しく復活させた。フィッシャーの作品によってハマー・プロは怪奇映画の名門となり、一時隆盛を極めた。

 出世作は『フランケンシュタインの逆襲』(1957年)。フィッシャーは生命創造の妄執に取り憑かれたフランケンシュタイン男爵(ピーター・カッシング)の異常性に焦点を当て、そのマッド・サイエンティストぶりを掘り下げて描写した。この映画に出てくる人造人間(クリストファー・リー)はユニバーサル版のような造型感がなく、肌がドロドロしていて、現代の感覚ではゾンビに近い。テクニカラーの華やかさと毒々しさも存分に生かされ、大量の怪しい科学装置にも存在感がある。カメラワークは細かく計算され、無駄がなく美しい。テンポも良く、83分間で人間の業を描き切っている。

 『フランケンシュタインの復讐』(1958年)は「逆襲」の続編。前作で処刑されたはずのフランケンシュタイン男爵(ピーター・カッシング)が生き延び、新たな人造人間を作り出し、悲劇を招くまでの経緯を描いている。映像美は前作を凌ぎ、地下にある研究室の雰囲気もかなり不気味だ。「逆襲」と大きく異なるのは、フランケンシュタイン男爵に同情的な目線で描かれていることだ。はっきり言えば、この続編に出てくる男爵は(倫理に反する存在なのに)魅力的な人物にしか見えない。そのため、結果的に男爵の研究を妨害してしまう悪気のないお嬢様に対し、男爵が苛立ち、「These interfering women!(干渉したがる女ども!)」と吐く台詞に、観る者は思わず同調してしまう。

得難い名優と共に

 『吸血鬼ドラキュラ』(1958年)は、ジョナサン・ハーカーがドラキュラ(クリストファー・リー)を退治するべく、司書としてドラキュラ城を訪れる場面から始まる。『魔人ドラキュラ』(1931年)とは異なる設定で、その後ハーカーは目的を遂げずに死亡し、その親友ヴァン・ヘルシング(ピーター・カッシング)がドラキュラ退治への執念を燃やすという流れになっている。ヘルシングは品格と知性に溢れていてカッコいい。衣装の色合いにも凝り、カラーが目に鮮やかだ。ヘルシングの部屋に飾られた4枚のシンメトリックな絵も印象的。ラストのドラキュラ退治の場面はオリジナルとは異なり、アクション性を大幅にプラスしている。

 フィッシャーにとって幸いだったのは、ピーター・カッシング(クッシングとも表記される)、クリストファー・リーという英国の名優をキャストに得たことだろう。カッシングのフランケンシュタイン男爵とヴァン・ヘルシング、クリストファー・リーのドラキュラについて言えば、その後様々な俳優が同じ役を演じたが、彼らを超えた例はない。ホラー映画だけでなく、2人はフィッシャー監督の元でシャーロック・ホームズを演じたこともある。カッシングの方は神経質、リーの方は人間味のあるホームズ像で、どちらも英国的な気品がある。

 だが、1970年代が近づくにつれ、ハマー・プロは迷走し始める。『フランケンシュタイン 恐怖の生体実験』(1969年)は残酷メニューの盛り合わせで、男爵の極悪非道ぶりが目立ち、強姦罪まで犯す。このシーンは製作者側の意向で、明らかに蛇足だった。フィッシャーとカッシングは、2人で作り上げてきた男爵の人物像とのバランスをとるために苦労したに違いない(男爵の非道な行為を取り戻すかのように、所作や発声法は上品で、貴族的だ)。この映画の最大の見どころは、花壇の下にある水道管が突然破裂するシーン。激しく水が吹き出す中、花壇に埋められていた死体の手だけが土から出て、不気味に躍るように動くのだが、これは見事な演出というほかない。

初期の作品

 フランケンシュタイン男爵は人造人間を作り出し、ドラキュラ伯爵は噛みついた相手を吸血鬼にする。これらの作品に通底しているテーマは「複製」である。思えば、フィッシャーは初期作品から「複製」に執着していた。まず、『盗まれた顔』(1952年)。整形外科医フィリップ(ポール・ヘンリード)は静養先で美人ピアニストのアリス(リザベス・スコット)と出会い、恋に落ちるが、アリスは他の男と婚約していた。アリスのことが忘れられないフィリップは、顔に大きな傷のある前科者リリーをアリスとそっくりに整形し、結婚する。しかし、やがてリリーの素行の悪さが目立つようになり......。フィリップは複製を作り出し、フランケンシュタイン男爵のように成功と挫折を味わうことになる。落ち着いたトーンで、テンポよく進行するロマンティック・スリラーだ。

 『複製人間の恋』(1953年)は幼なじみのビル、ロビン、リーナの物語。ビルとロビンは科学者になり、共同で物質を複製する装置を作り出す。リーナはロビンと結婚するが、実はビルもリーナのことを愛していた。その後、ビルは独力で生命体の複製に成功。リーナの複製を作ることを目論むが......。ひねりのきいた展開で、音楽の使い方も秀逸。カスケード・ストリングスを効果的に用いている。実験のシーンはやや呆気ない。なお、少年時代のビルに教育を施すハーヴェイという医師の存在は、『フランケンシュタインの逆襲』でフランケンシュタインに学問を授ける家庭教師ポールに相当する。この時点で、フランケンシュタイン・シリーズを生む下地はすでに整っていた。

再評価へ

 キャリア中期の『絶叫する地球 ロボット大襲撃』(1964年)は、ハマー・プロではなくプラネット・フィルム製作の低予算SF。突然、複製された量産型ロボットのような宇宙人が現れ、人間を殺害しまくり、殺された人間たちがゾンビとなって徘徊するという話。ゾンビに襲われた人間もまたゾンビになり、自分たちの同類を増やし続ける。このように何度も複製趣味を発揮し、手を替え品を替え作品を撮り続けるフィッシャー監督は、生命創造の実験を繰り返し、追求をやめないフランケンシュタイン男爵に似ている。

 最後の監督作は『フランケンシュタインと地獄の怪物』(1974年)。ちょうどその頃、世界中でヒットしていたのはウィリアム・フリードキン監督の『エクソシスト』(1973年)である。流行は容赦なく移り変わるものだ。当時、ハマー・プロ作品が時代遅れになっていたことは想像できる。しかし、現在はフィッシャーを再評価する声が高まっている。私自身が夢中になり、何度も観てきたのは、『盗まれた顔』、『フランケンシュタインの逆襲』、『吸血鬼ドラキュラ』の3作。この素晴らしい古典が、今後も多くの人に観られることを願っている。
(阿部十三)


【関連サイト】
[テレンス・フィッシャー略歴]
1904年2月23日、英国ロンドン生まれ。船員になった後、ゲインズボロ映画社の編集者となり、『妖婦』(1945年)などを手がけた。1948年、『A Song for Tomorrow』で監督デビュー。1950年代からハマー・フィルムで仕事をするようになり、低予算の話題作を立て続けに撮り、1957年の『フランケンシュタインの逆襲』で人気監督に。すでに50代だったが気力盛んで、『吸血鬼ドラキュラ』をはじめとするヒット作を連発、ハマー・プロの黄金時代を築いた。1980年6月18日死去。
[主な監督作品]
1948年『A Song for Tomorrow』/1952年『盗まれた顔』/1953年『複製人間の恋』『人間ロケット』/1954年『殺しの代理人』/1957年『フランケンシュタインの逆襲』/1958年『吸血鬼ドラキュラ』『フランケンシュタインの復讐』/1959年『バスカヴィル家の犬』『ミイラの幽霊』/1960年『吸血狼男』『吸血鬼ドラキュラの花嫁』/1964年『妖女ゴーゴン』『絶叫する地球 ロボット大襲撃』/1966年『凶人ドラキュラ』/1967年『フランケンシュタイン 死美人の復讐』/1969年『フランケンシュタイン 恐怖の生体実験』/1973年『フランケンシュタインと地獄の怪物』