矢口史靖 〜ジワジワ効く「軽さ」〜
2011.08.01
矢口史靖の作品が、とても好きだ。「好きな映画監督は?」と訊かれると、誰もが認める様々な有名監督を挙げつつ、彼の名前も紛れ込ませることにしている。そして、必ずと言って良いほど質問者に怪訝な顔をされる。その反応は勿論覚悟の上なのだが、少々心外でもある。ヒット作がいくつもあるものの、どれも所謂「娯楽作」だし、「巨匠」と呼ばれ得る年齢でもなく、どこか飄々とした外見の持ち主でもある矢口史靖(映画監督なので風貌のことを言うのは余計なお世話だが......)。常に何処か軽さがあるため、彼はリスペクトの対象になりにくいのかもしれない。しかし、「軽い」は「浅い」「薄い」と同義語ではない。矢口史靖の作品のトーンは軽いが、愛すべき深い風味を放つ。その感触は音楽に喩えると非常にしっくり来る。抜群にキレの良いビートに乗せて綺麗なメロディ、ハーモニーを聴かせる洗練されたポップスのような味わいを僕は感じているのだ。
矢口作品の魅力とは何か? それは例えば『スウィングガールズ』内での演奏技術の成長過程の描写に着目すると語りやすい。挫折を経ながら努力と根性で乗り越えていく姿は青春映画の王道の見せ場だが、『スウィングガールズ』はそこを敢えてサラリと料理している。信号機、バスガイドのホイッスル、飛び交う卓球の球、布団を叩く音のリズム、舞い散り始める粉雪......これらをテンポ良く繋いだ描写で駆け抜け、ヘッポコ女子高生達の成長のプロセスと時間経過を観客に一気に体感させる演出が粋だ。汗と涙の日々があったことをしっかり示しつつも、「努力って素晴らしい!」「これが若さだ! 青春だ!!」というようなセンチメンタリズムを鮮やかに回避している。
不要なセンチメンタリズムの排除は、他の矢口作品でも発揮されているタッチだ。その一方、彼は「滑稽さ」を積極的に浮き彫りにする。「ジャズ」「シンクロナイズド・スイミング」「お金」「仕事」など、彼は何かに没頭する人物を好んで主人公に据えるが、「没頭」とは一種の精神の躁状態であり、その姿は滑稽であり、過剰であり、しばしば非常に傍迷惑。こういう部分を物語の随所で鮮やかに香らせることにより、彼の作品は極上のコメディとして突き抜けていく。しかし、作品の根底に脈打っている何か美しいものの気配が、終盤辺りで隠しようもなく漂い始める。そういう構造になっている。「テーマなんか語ってしまってはただの説教になってしまいますから。効き目は漢方のように知らず知らずの内に......というのが僕の映画の理想です」(『月刊シナリオ』1997年2月号)と、彼は『ひみつの花園』(1997年)について語っていたが、まさに彼の映画作りの本質を示していると思う。
お薦めしたい矢口作品はいろいろあるが、やはりぜひ推しておきたいのが『ひみつの花園』だ。これは『ウォーターボーイズ』(2001年)で一躍脚光を浴びる前の作品だが、後の彼に繋がる作風が存分に発揮されている。
主人公・鈴木咲子(西田尚美)は子供の頃からお金が大好き。ある日、勤務先の銀行に強盗が押し入り、彼女は人質となる。しかし、犯人と咲子を乗せた車が、山道で横転して爆発。爆風で投げ出された咲子は5億円が入ったスーツケースと共に川に転落。必死にしがみついたスーツケースは地下水脈を経て、樹海の地底湖へと辿り着く。スーツケースは地底湖で沈み、再び漂流を始める咲子。やがて地上の川へと抜け出て救助される。そして入院し、数ヶ月後に職場復帰。しかし、彼女は樹海の何処かで眠っているはずの5億円を探すための行動を始める......というのが『ひみつの花園』のイントロダクションだ。
樹海の地底湖を見つけるためには、様々な専門知識や技術を要する。地質学の専門家となるために猛勉強をして大学へ入学し、水泳やロッククライミングも習い、目覚ましい記録を出す有名選手にもなってしまう咲子。大好きなお金のために猪突猛進する彼女の姿が可笑しい。彼女のモチベーションが根差しているのは、とにかく「お金」。物欲を満たすための手段として求めるのではなく、ただただ「お金」という物質を愛して止まない。ハッキリ言って変態だ。しかし、とことん欲望に対して忠実な彼女の姿は、映画の終盤辺りで、不思議と爽やかな感動を呼び起こすのが面白い。別に彼女が改心するわけではない。彼女は最後の最後まで、ひたすらお金のために突き進む。そんな彼女の性質がストイックなまでに貫かれつつ迎えるエンディングが実に良い。「世の中にはお金よりも大切なものがある」というようなインチキ臭い教訓なんて勿論示されない。何かに没頭する人間が放つ混じりっ気のない熱量が、ひたすら力強く迸る物語だ。
正直に言うならば矢口作品は、質にバラツキがある。何でも手放しで絶賛出来るわけではない。『ハッピーフライト』(2008年)は、多数のキャラクターをシャープに描き切れていない消化不良感があったし、ストーリーが平板だった。『アドレナリンドライブ』(1999年)も、出来が良いとはお世辞にも言えない。しかし、今一つの作品ですら、僕は妙に好きだったりするから困ったものだ。特に『アドレナリンドライブ』は好きで、DVDを時々観ている。不出来なところも含め、冴えなくも愛すべき青春感を放っている作品だと、個人的には思っている。主題歌の平山三紀の「真夏の出来事」が見事にハマっているのも、心をくすぐられるポイントだ。
矢口史靖の次回作『ロボジー』が来年初春に公開されることが先日発表された。弱小家電メーカーのロボット開発を巡る物語らしい。なんと主人公はおじいちゃん! 若者を描くことが多い矢口作品群の中で異例だが、どんな新機軸が切り開かれるのか期待したい。♪早く来い来いお正月〜。
【関連サイト】
矢口史靖(DVD)
映画『ロボジー』公式サイト
矢口作品の魅力とは何か? それは例えば『スウィングガールズ』内での演奏技術の成長過程の描写に着目すると語りやすい。挫折を経ながら努力と根性で乗り越えていく姿は青春映画の王道の見せ場だが、『スウィングガールズ』はそこを敢えてサラリと料理している。信号機、バスガイドのホイッスル、飛び交う卓球の球、布団を叩く音のリズム、舞い散り始める粉雪......これらをテンポ良く繋いだ描写で駆け抜け、ヘッポコ女子高生達の成長のプロセスと時間経過を観客に一気に体感させる演出が粋だ。汗と涙の日々があったことをしっかり示しつつも、「努力って素晴らしい!」「これが若さだ! 青春だ!!」というようなセンチメンタリズムを鮮やかに回避している。
不要なセンチメンタリズムの排除は、他の矢口作品でも発揮されているタッチだ。その一方、彼は「滑稽さ」を積極的に浮き彫りにする。「ジャズ」「シンクロナイズド・スイミング」「お金」「仕事」など、彼は何かに没頭する人物を好んで主人公に据えるが、「没頭」とは一種の精神の躁状態であり、その姿は滑稽であり、過剰であり、しばしば非常に傍迷惑。こういう部分を物語の随所で鮮やかに香らせることにより、彼の作品は極上のコメディとして突き抜けていく。しかし、作品の根底に脈打っている何か美しいものの気配が、終盤辺りで隠しようもなく漂い始める。そういう構造になっている。「テーマなんか語ってしまってはただの説教になってしまいますから。効き目は漢方のように知らず知らずの内に......というのが僕の映画の理想です」(『月刊シナリオ』1997年2月号)と、彼は『ひみつの花園』(1997年)について語っていたが、まさに彼の映画作りの本質を示していると思う。
お薦めしたい矢口作品はいろいろあるが、やはりぜひ推しておきたいのが『ひみつの花園』だ。これは『ウォーターボーイズ』(2001年)で一躍脚光を浴びる前の作品だが、後の彼に繋がる作風が存分に発揮されている。
主人公・鈴木咲子(西田尚美)は子供の頃からお金が大好き。ある日、勤務先の銀行に強盗が押し入り、彼女は人質となる。しかし、犯人と咲子を乗せた車が、山道で横転して爆発。爆風で投げ出された咲子は5億円が入ったスーツケースと共に川に転落。必死にしがみついたスーツケースは地下水脈を経て、樹海の地底湖へと辿り着く。スーツケースは地底湖で沈み、再び漂流を始める咲子。やがて地上の川へと抜け出て救助される。そして入院し、数ヶ月後に職場復帰。しかし、彼女は樹海の何処かで眠っているはずの5億円を探すための行動を始める......というのが『ひみつの花園』のイントロダクションだ。
樹海の地底湖を見つけるためには、様々な専門知識や技術を要する。地質学の専門家となるために猛勉強をして大学へ入学し、水泳やロッククライミングも習い、目覚ましい記録を出す有名選手にもなってしまう咲子。大好きなお金のために猪突猛進する彼女の姿が可笑しい。彼女のモチベーションが根差しているのは、とにかく「お金」。物欲を満たすための手段として求めるのではなく、ただただ「お金」という物質を愛して止まない。ハッキリ言って変態だ。しかし、とことん欲望に対して忠実な彼女の姿は、映画の終盤辺りで、不思議と爽やかな感動を呼び起こすのが面白い。別に彼女が改心するわけではない。彼女は最後の最後まで、ひたすらお金のために突き進む。そんな彼女の性質がストイックなまでに貫かれつつ迎えるエンディングが実に良い。「世の中にはお金よりも大切なものがある」というようなインチキ臭い教訓なんて勿論示されない。何かに没頭する人間が放つ混じりっ気のない熱量が、ひたすら力強く迸る物語だ。
正直に言うならば矢口作品は、質にバラツキがある。何でも手放しで絶賛出来るわけではない。『ハッピーフライト』(2008年)は、多数のキャラクターをシャープに描き切れていない消化不良感があったし、ストーリーが平板だった。『アドレナリンドライブ』(1999年)も、出来が良いとはお世辞にも言えない。しかし、今一つの作品ですら、僕は妙に好きだったりするから困ったものだ。特に『アドレナリンドライブ』は好きで、DVDを時々観ている。不出来なところも含め、冴えなくも愛すべき青春感を放っている作品だと、個人的には思っている。主題歌の平山三紀の「真夏の出来事」が見事にハマっているのも、心をくすぐられるポイントだ。
矢口史靖の次回作『ロボジー』が来年初春に公開されることが先日発表された。弱小家電メーカーのロボット開発を巡る物語らしい。なんと主人公はおじいちゃん! 若者を描くことが多い矢口作品群の中で異例だが、どんな新機軸が切り開かれるのか期待したい。♪早く来い来いお正月〜。
(田中大)
【関連サイト】
矢口史靖(DVD)
映画『ロボジー』公式サイト
[矢口史靖プロフィール]
1967年5月30日神奈川県生まれ。東京造形大学卒業。1990年ぴあフィルムフェスティバルで8ミリ長編『雨女』がグランプリ受賞。1993年16ミリ長編『裸足のピクニック』でデビュー。2001年『ウォーターボーイズ』が大ヒット。2004年『スウィングガールズ』で日本アカデミー賞5部門受賞。
1967年5月30日神奈川県生まれ。東京造形大学卒業。1990年ぴあフィルムフェスティバルで8ミリ長編『雨女』がグランプリ受賞。1993年16ミリ長編『裸足のピクニック』でデビュー。2001年『ウォーターボーイズ』が大ヒット。2004年『スウィングガールズ』で日本アカデミー賞5部門受賞。
[主な監督作品]
1990年『雨女』/1993年『裸足のピクニック』/1997年『ひみつの花園』/1999年『アドレナリンドライブ』/2001年『ウォーターボーイズ』/2002年『パルコ フィクション』(鈴木卓爾との共同監督)/2004年『スウィングガールズ』/2007年『歌謡曲だよ、人生は』(第9話)/2008年『ハッピーフライト』
1990年『雨女』/1993年『裸足のピクニック』/1997年『ひみつの花園』/1999年『アドレナリンドライブ』/2001年『ウォーターボーイズ』/2002年『パルコ フィクション』(鈴木卓爾との共同監督)/2004年『スウィングガールズ』/2007年『歌謡曲だよ、人生は』(第9話)/2008年『ハッピーフライト』
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