キング・ヴィダー 〜『群衆』と『城砦』の監督〜
2011.09.05
キング・ヴィダーはメロドラマの達人であり、社会派的なテーマを巧みに扱う達人でもある。前者のイメージが強いために「メロドラマの監督」というイメージが定着しているようだが、この人の本領は後者の方にこそ発揮されている。ともすれば「人ごみ」という言葉に還元されてしまいそうな平凡な男の半生を追った『群衆』、当時は考えられなかったオール黒人キャストで名もなき黒人たちの愛と罪を描くミュージカル『ハレルヤ』、医師たちの堕落と医療界の腐敗を徹底的に暴いた『城砦』など、そのフィルムに焼き付いているメッセージは、今の映画ファンの心にも強く訴えるものがある。
『群衆』は1928年に撮られたサイレント作品。映画としてはこれ以上ないほど地味な題材を扱いながら、映画史に残る傑作に仕上げたその着眼点と手腕は敬服に値する。恐怖心を起こさせるような「群衆」シーンを織り交ぜながら、その中にいる「個人」の人生の尊さを訴える対比法がここまでうまく活かされた例は空前絶後ではないか。
たいていの場合、人が「群衆」という言葉を使う時は、自分もその一員であるという自覚を持っていない。社会的立場や収入に関係なく、自分だけは違う、自分だけは特別、という気持ちがどこかしらにあるものだ。しかし、一部の支配層や富裕層から見れば群衆はしょせん群衆にすぎない。
大半の人は希望を持ち、挫折し、「そこそこ」で妥協し、そのうち妥協点がどんどん低くなっていく。人生はプラスマイナスゼロだと言う人もいるが、そんな風に説くのは限られた成功者であって、ほとんどの人はマイナス気味のケチな日々を過ごしている。何か起きそうでなかなか起こらない。少し良いことがあっても、その後、数倍悪いことがある。ヴィダーはそういう生活に身をやつしている一人の冴えない小市民に着眼し、静かに下降線を描いてゆくその半生を映し出す。それでも悲劇的なトーンに傾かず、最後には「人生は生きる価値があるのだ」というメッセージを観る者の心に残す。群衆シーンの中に見える一粒一粒の黒い影に命があり、泣き笑いの人生があることを見逃してはならない。
今ではほとんど語られる機会がない『城砦』についてもふれておきたい。こちらは1938年に公開された映画。医学界の内幕に鋭いメスを入れ、痛烈に批判した社会派作品である。
ロバート・ドーナット扮する田舎医師マンソンは、患者のために誠心誠意尽くしたいと思っているが、その努力はなかなか報われない。時に陰謀に遭い、時に研究を妨害され、挫折感を味わう。彼が頼みに出来るのは妻クリスティンと医師仲間デニーだけである。ロンドンに来ても貧しい生活から抜け出せないまま。そんなある日、セレブ医師となった旧友ローフォードに会い、その紹介で上流社会に出入りするうちに堕落の道を覚える。そこへデニーがやってきてマンソンを諭すが......。己の利益を守るため、病気が町中に蔓延しても改善に手を貸さない非道な役人。患者から少しでもお金を搾り取ることしか考えていないセレブ医師。簡単な手術に失敗して患者を死なせておきながら良心の呵責を感じない医師。ーーどこの国にもいそうな人物がリアリティをもって登場する。
「金儲けじゃなく人を幸せにするのが仕事よ。私たちが志したのは未知への挑戦。見えない城砦を乗り越えようとして、台所で手術し、一心に顕微鏡をのぞく。それがあなたよ。だから結婚したの」と語るクリスティンに、「金が物を言うんだ。持たざる物は人にこき使われるだけだ。今度は僕が人を使う番だ」と返すマンソン。しかし、彼はセレブ医師にはなりきれない。間もなく悲劇的な出来事が起こり、信じがたい医療ミスを目の当たりにした時、マンソンは改心する。そして「これは手術じゃない、殺人だ」と言い放つ。このシーンは鮮烈である。
原作を書いたのは、医師であり小説家でもあるアーチボルド・ジョゼフ・クローニン。今観てもリアルに感じるほどだから、当時の観客には相当の衝撃を与えたのではないかと思われる。1938年という時代によくここまで医学界のタブーを描破出来たものだ。ちなみに、堕落医師の一人ローフォードに扮しているのは出世前のレックス・ハリスンである。
キング・ヴィダーの名前は歴史に埋もれた感があるが、ぜひともその作品を掘り起こして観てほしい。驚くほど鮮度や衝撃度が落ちていないことに気付かされるだろう。第一次世界大戦中の悲恋を描く『ビッグ・パレード』、落ちぶれたボクサーが息子のために再起をかける『チャンプ』、母子メロドラマの金字塔『ステラ・ダラス』なども、演出の巧さと役者の演技の素晴らしさで「古い」と感じさせない。現在、ヴィダー作品で最も有名なのはもしかするとオードリー・ヘプバーン主演の『戦争と平和』かもしれないが、これでヴィダーを評価してはいけない。感動ドラマなら『チャンプ』と『ステラ・ダラス』、社会派ドラマなら少なくとも『群衆』と『城砦』を観て評価すべきである。
『群衆』は1928年に撮られたサイレント作品。映画としてはこれ以上ないほど地味な題材を扱いながら、映画史に残る傑作に仕上げたその着眼点と手腕は敬服に値する。恐怖心を起こさせるような「群衆」シーンを織り交ぜながら、その中にいる「個人」の人生の尊さを訴える対比法がここまでうまく活かされた例は空前絶後ではないか。
たいていの場合、人が「群衆」という言葉を使う時は、自分もその一員であるという自覚を持っていない。社会的立場や収入に関係なく、自分だけは違う、自分だけは特別、という気持ちがどこかしらにあるものだ。しかし、一部の支配層や富裕層から見れば群衆はしょせん群衆にすぎない。
大半の人は希望を持ち、挫折し、「そこそこ」で妥協し、そのうち妥協点がどんどん低くなっていく。人生はプラスマイナスゼロだと言う人もいるが、そんな風に説くのは限られた成功者であって、ほとんどの人はマイナス気味のケチな日々を過ごしている。何か起きそうでなかなか起こらない。少し良いことがあっても、その後、数倍悪いことがある。ヴィダーはそういう生活に身をやつしている一人の冴えない小市民に着眼し、静かに下降線を描いてゆくその半生を映し出す。それでも悲劇的なトーンに傾かず、最後には「人生は生きる価値があるのだ」というメッセージを観る者の心に残す。群衆シーンの中に見える一粒一粒の黒い影に命があり、泣き笑いの人生があることを見逃してはならない。
今ではほとんど語られる機会がない『城砦』についてもふれておきたい。こちらは1938年に公開された映画。医学界の内幕に鋭いメスを入れ、痛烈に批判した社会派作品である。
ロバート・ドーナット扮する田舎医師マンソンは、患者のために誠心誠意尽くしたいと思っているが、その努力はなかなか報われない。時に陰謀に遭い、時に研究を妨害され、挫折感を味わう。彼が頼みに出来るのは妻クリスティンと医師仲間デニーだけである。ロンドンに来ても貧しい生活から抜け出せないまま。そんなある日、セレブ医師となった旧友ローフォードに会い、その紹介で上流社会に出入りするうちに堕落の道を覚える。そこへデニーがやってきてマンソンを諭すが......。己の利益を守るため、病気が町中に蔓延しても改善に手を貸さない非道な役人。患者から少しでもお金を搾り取ることしか考えていないセレブ医師。簡単な手術に失敗して患者を死なせておきながら良心の呵責を感じない医師。ーーどこの国にもいそうな人物がリアリティをもって登場する。
「金儲けじゃなく人を幸せにするのが仕事よ。私たちが志したのは未知への挑戦。見えない城砦を乗り越えようとして、台所で手術し、一心に顕微鏡をのぞく。それがあなたよ。だから結婚したの」と語るクリスティンに、「金が物を言うんだ。持たざる物は人にこき使われるだけだ。今度は僕が人を使う番だ」と返すマンソン。しかし、彼はセレブ医師にはなりきれない。間もなく悲劇的な出来事が起こり、信じがたい医療ミスを目の当たりにした時、マンソンは改心する。そして「これは手術じゃない、殺人だ」と言い放つ。このシーンは鮮烈である。
原作を書いたのは、医師であり小説家でもあるアーチボルド・ジョゼフ・クローニン。今観てもリアルに感じるほどだから、当時の観客には相当の衝撃を与えたのではないかと思われる。1938年という時代によくここまで医学界のタブーを描破出来たものだ。ちなみに、堕落医師の一人ローフォードに扮しているのは出世前のレックス・ハリスンである。
キング・ヴィダーの名前は歴史に埋もれた感があるが、ぜひともその作品を掘り起こして観てほしい。驚くほど鮮度や衝撃度が落ちていないことに気付かされるだろう。第一次世界大戦中の悲恋を描く『ビッグ・パレード』、落ちぶれたボクサーが息子のために再起をかける『チャンプ』、母子メロドラマの金字塔『ステラ・ダラス』なども、演出の巧さと役者の演技の素晴らしさで「古い」と感じさせない。現在、ヴィダー作品で最も有名なのはもしかするとオードリー・ヘプバーン主演の『戦争と平和』かもしれないが、これでヴィダーを評価してはいけない。感動ドラマなら『チャンプ』と『ステラ・ダラス』、社会派ドラマなら少なくとも『群衆』と『城砦』を観て評価すべきである。
[キング・ヴィダー プロフィール]
1894年2月8日、テキサス州ギャルベストン生まれ。『月世界旅行』を観て映画監督を志す。1922年の『君が名呼べば』で成功し、1925年の『ビッグ・パレード』で監督としての地位を確立。1928年の『群衆』以後、意欲作・ヒット作を次々と世に送り出し、1950年代まで活躍。1979年アカデミー特別賞受賞。1982年11月1日カリフォルニアで死去。結婚歴は3回。最初の妻は女優フローレンス・アルト。2度目の妻は女優エレノア・ボードマン。3度目の妻は脚本家エリザベス・ヒル。フローレンスはヴィダーと離婚後、名ヴァイオリニストのヤッシャ・ハイフェッツと再婚した。
1894年2月8日、テキサス州ギャルベストン生まれ。『月世界旅行』を観て映画監督を志す。1922年の『君が名呼べば』で成功し、1925年の『ビッグ・パレード』で監督としての地位を確立。1928年の『群衆』以後、意欲作・ヒット作を次々と世に送り出し、1950年代まで活躍。1979年アカデミー特別賞受賞。1982年11月1日カリフォルニアで死去。結婚歴は3回。最初の妻は女優フローレンス・アルト。2度目の妻は女優エレノア・ボードマン。3度目の妻は脚本家エリザベス・ヒル。フローレンスはヴィダーと離婚後、名ヴァイオリニストのヤッシャ・ハイフェッツと再婚した。
[主な監督作品]
1920年『涙の舟唄』/1922年『君が名呼べば』/1925年『ビッグ・パレード』/1926年『ラ・ボエーム』/1928年『群衆』/1929年『ハレルヤ』/1931年『チャンプ』/1932年『南海の劫火』『シナラ』/1933年『南風』/1934年『麦秋』/1935年『薔薇は何故紅い』/1937年『ステラ・ダラス』/1938年『城砦』/1940年『北西への道』/1947年『白昼の決闘』/1949年『摩天楼』/1956年『戦争と平和』/1959年『ソロモンとシバの女王』
1920年『涙の舟唄』/1922年『君が名呼べば』/1925年『ビッグ・パレード』/1926年『ラ・ボエーム』/1928年『群衆』/1929年『ハレルヤ』/1931年『チャンプ』/1932年『南海の劫火』『シナラ』/1933年『南風』/1934年『麦秋』/1935年『薔薇は何故紅い』/1937年『ステラ・ダラス』/1938年『城砦』/1940年『北西への道』/1947年『白昼の決闘』/1949年『摩天楼』/1956年『戦争と平和』/1959年『ソロモンとシバの女王』
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