増村保造 〜過剰にして簡潔〜
2011.11.16
「ボーイ・ミーツ・ガール」の聖典、『くちづけ』
増村保造の監督デビュー作『くちづけ』は、それまで未知の存在だった男女が出会い、恋に落ちるまでの運命的な2日間をスピーディーかつダイナミックに描いた青春映画である。人物描写も増村らしくシャープで、冗漫さは一切なく、わずか74分という時間の中、青春の光と影がせわしなく交錯する。解放感に満ちたロケーションと躍動的なカメラワークは、それまでの日本映画にはあまり観られなかったもの。とりわけ2人乗り(しかもノーヘル)でバイクを疾駆させるシーンは古今東西の青春映画史に残る名シーンだ。いかにもモダンな映画で、大映なのに、音楽がどことなく松竹大船調であるところも面白い。
この作品は野添ひとみの代表作でもある。可憐さの中に隠しようのない肉感性を漂わせる彼女抜きに、この映画は語れない。愛らしい人形劇を思わせるデフォルメされた動作、水着姿を欽一にじろじろ見られ、「いい体してるなあ」と言われた後の警戒するような表情、ローラースケートに興じている時の太腿ーーどこを取っても野添の魅力が横溢している。一見単純そうだが実は屈折している欽一役には川口浩。彼の演技も若さと勢いに満ちている。この映画を2人のデビュー作だと思い込んでいる人もいるようだが、そう見えてもおかしくないほど存在感がフレッシュで、恋が生まれる瞬間のときめきと戸惑いを鮮やかに表現している(余談だが、野添ひとみがカンヌ映画祭に出席した時、15歳のジャン=ピエール・レオから花束を贈られ、求愛されたという。しかし当時、野添は川口と熱愛中だったはずである。「アントワーヌ少年」に勝ち目はなかったのだ)。
このような傑作でデビューを飾った後、それがかえってキャリアの足かせとなって冴えない作品を連発してしまうケースは珍しくない。が、増村保造という人は死ぬまで「枯渇」という言葉とは無縁だったようである。周知の通り、増村は若い頃にイタリアへ留学し、ネオレアリズモを吸収し、さらに帰国後、溝口健二監督の下で研鑽を積んだ。そのごまかしのない徹底したリアリズム、残酷な運命に見舞われる登場人物たちを容赦なく追いつめてゆく迫真の演出力は、若き日に受けた影響の賜物である。
こういう作風はともすれば柔軟さを欠き、一本調子に陥り、観客を食傷状態へと招きかねない。しかし、増村はそこを巧みに回避し、驚くほど多彩な作品を生むことが出来た。『「女の小箱」より 夫が見た』や『赤い天使』など、表現の過剰さはほとんど極点に達しているのに、過剰さを売りにせず、あたかもそれが必要不可欠な要素であるかのように扱い、ドラマの必然性の中に組み込んでいる。だから全体を通してみると表現のいびつさが際立つことなく、作品としてはきちんとした形を成している。そのバランス感覚には舌を巻くほかない。
[関連サイト]
増村保造
増村保造 〜過剰にして簡潔〜 [続き]
増村保造の監督デビュー作『くちづけ』は、それまで未知の存在だった男女が出会い、恋に落ちるまでの運命的な2日間をスピーディーかつダイナミックに描いた青春映画である。人物描写も増村らしくシャープで、冗漫さは一切なく、わずか74分という時間の中、青春の光と影がせわしなく交錯する。解放感に満ちたロケーションと躍動的なカメラワークは、それまでの日本映画にはあまり観られなかったもの。とりわけ2人乗り(しかもノーヘル)でバイクを疾駆させるシーンは古今東西の青春映画史に残る名シーンだ。いかにもモダンな映画で、大映なのに、音楽がどことなく松竹大船調であるところも面白い。
この作品は野添ひとみの代表作でもある。可憐さの中に隠しようのない肉感性を漂わせる彼女抜きに、この映画は語れない。愛らしい人形劇を思わせるデフォルメされた動作、水着姿を欽一にじろじろ見られ、「いい体してるなあ」と言われた後の警戒するような表情、ローラースケートに興じている時の太腿ーーどこを取っても野添の魅力が横溢している。一見単純そうだが実は屈折している欽一役には川口浩。彼の演技も若さと勢いに満ちている。この映画を2人のデビュー作だと思い込んでいる人もいるようだが、そう見えてもおかしくないほど存在感がフレッシュで、恋が生まれる瞬間のときめきと戸惑いを鮮やかに表現している(余談だが、野添ひとみがカンヌ映画祭に出席した時、15歳のジャン=ピエール・レオから花束を贈られ、求愛されたという。しかし当時、野添は川口と熱愛中だったはずである。「アントワーヌ少年」に勝ち目はなかったのだ)。
このような傑作でデビューを飾った後、それがかえってキャリアの足かせとなって冴えない作品を連発してしまうケースは珍しくない。が、増村保造という人は死ぬまで「枯渇」という言葉とは無縁だったようである。周知の通り、増村は若い頃にイタリアへ留学し、ネオレアリズモを吸収し、さらに帰国後、溝口健二監督の下で研鑽を積んだ。そのごまかしのない徹底したリアリズム、残酷な運命に見舞われる登場人物たちを容赦なく追いつめてゆく迫真の演出力は、若き日に受けた影響の賜物である。
こういう作風はともすれば柔軟さを欠き、一本調子に陥り、観客を食傷状態へと招きかねない。しかし、増村はそこを巧みに回避し、驚くほど多彩な作品を生むことが出来た。『「女の小箱」より 夫が見た』や『赤い天使』など、表現の過剰さはほとんど極点に達しているのに、過剰さを売りにせず、あたかもそれが必要不可欠な要素であるかのように扱い、ドラマの必然性の中に組み込んでいる。だから全体を通してみると表現のいびつさが際立つことなく、作品としてはきちんとした形を成している。そのバランス感覚には舌を巻くほかない。
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