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増村保造 〜過剰にして簡潔〜 [続き]

2011.11.18
シネフィルが愛する『赤い天使』

 ところで、増村の代表作は何になるのだろう。
 映画の解説文などを書いている時、代表作を1、2本挙げながら人名を紹介することがしばしばある。例えば「『ローマの休日』『ベン・ハー』のウィリアム・ワイラー」とか、「『戦場にかける橋』『アラビアのロレンス』のデヴィッド・リーン」といった風に。このように単なる好悪の感情を超えて、誰にも否定しようのない代表作が明確に存在する監督の場合、作品の選択に頭を悩ませることはない。しかし、これが増村保造のような監督になると、何を選べばいいのか分からなくなる。
 彼の代表作は、数本に絞るのが難しいのみならず、作品のヴァリエーションが多彩すぎるため、まずどの視点に立って選べばいいのか、そこで困ってしまう。野添ひとみをヒロインに据えた『くちづけ』『巨人と玩具』、『妻は告白する』『清作の妻』をはじめとする若尾文子もの、田宮二郎や宇津井健を起用した〈黒シリーズ〉、あるいはテレビの〈赤いシリーズ〉ーー知名度、完成度の両方をあわせて考えると、甲乙つけがたい。

 私なら、いろいろ悩んだ末に、「『くちづけ』『赤い天使』の増村保造」と書くだろう。『妻は告白する』『清作の妻』は増村、若尾コンビの傑作だとは思うが、やはり「若尾文子の映画」である。ほかの映画についてもほぼ同じことが言える。『黒の試走車』は田宮二郎、『兵隊やくざ』は勝新太郎、『陸軍中野学校』は市川雷蔵という具合に、役者ありきの印象が強い。ただ、『くちづけ』と『赤い天使』は増村のセンスがなければ絶対に傑作にはならなかった。どちらもヒロイン(野添、若尾)の魅力なしには成立しない映画だが、その魅力はあくまでも増村演出に支えられたものである。役者がイニシアチブをとり、己の芸や美しさを見せるタイプの作品では全くない。あくまでも映像作家の作品である。

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 『赤い天使』は1966年の作品で、戦時中の満州の野戦病院を舞台に、生き地獄のような世界を仮借なきリアリズムで描いている。その酸鼻を極めた病院内の描写は、恐怖を通り越して呆れてしまうほど凄惨だが、演出のタッチは極めてモダンで、湿気や臭気は抑制されている。簡潔の美学に貫かれ、決して冗長にならない。
 誤解のないように言っておくと、これは戦争の悲惨さをエグい描写で訴える映画ではない。モルヒネ中毒で不能になった軍医・岡部と、彼を敬愛する看護婦・西さくらの愛の物語である。岡部軍医と再会した西が、不能の彼に身を寄せて寝る時の目の輝きは、短いシーンながら、観る者の胸の中をざわつかせるような妖しい美しさをたたえている。終盤、岡部が不能を克服し、かつてのセックスを取り戻した時、汗だくになった西が「......西が勝ちました」と言うシーンは、ほとんど滑稽ですらあるが、その後にやってくる悲劇的な最後が予感されるだけに、悲喜劇的な複雑な感動を呼び起こさずにはおかない。この作品はフランスで大きな評判を呼び、増村といえば『赤い天使』という答えが返ってくるほどシネフィルに愛されているらしい。フランス人の琴線にふれる何か特別な要素があるのだろうか。


創造欲を完全燃焼させた人生

 増村は三島由紀夫主演作『からっ風野郎』も撮っている。タイトル通りパッとしない作品で、ただひたすら三島の無駄な(というか殊勝な)熱演が延々と続くのだが、映画の存在自体は非常に有名なのでいちおう挙げておく。増村と三島は東大法学部時代の同級生。撮影現場で三島は毎日意気消沈するほど増村にしごかれていたという。とはいえ、大ファンだった若尾文子とラブシーンが出来たのだから本望だろう。エスカレーターでのラストシーンには失笑禁じ得ないが、三島があまりに大真面目にやっているので、笑うことに良心の呵責を覚えてしまう。これを観て楽しめるのは三島ファンとカルト映画ファンだけだろう。

 有名な作品ではないが、『闇を横切れ』は社会派の力作。巨悪に立ち向かう若き新聞記者の話である。直情径行の主人公・石塚を演じているのは川口浩。この人はこういう役をやらせるとハマる。事件の鍵を握るヌードダンサー役の叶順子も良い。見るからに肉感的で、セックスアピールを発散している。そして、石塚の上司である局長・高沢を山村聰、悪のボス・広瀬を滝沢修が存在感たっぷりに好演。ストーリーはありがちだが、菊島隆三が手掛けているだけあり、ご都合主義を極力排し、劇的な起伏を沢山作っている。増村もシャープな人物造型とスピード感あふれる演出で緊張感を緩めない。映画音楽を使っていない点もユニークだ。石塚のような記者は昔も今もほとんど存在しないのだろうが、高沢のような局長はあちこちにいそうである(最後はあっぱれだ)。

 映画監督としての増村のピークは1957年のデビューから10年間だった、と私は思っている。ただ、映画界が斜陽期を迎えた1960年代後半から1970年代にも『セックス・チェック 第二の性』『でんきくらげ』『遊び』『曽根崎心中』などのヒット作、話題作を発表し続けたそのヴァイタリティーには敬服すべきものがある。その影響力はテレビの世界にも及んでいる。大映ドラマの〈劇画調〉に増村演出のテイストを感じるのは私だけではあるまい。
 1986年11月、増村は62歳で亡くなった。年齢だけ見るとまだ若いが、彼はその強靭な創造欲を完全燃焼させて逝ったのだ。老いて角がとれた増村保造監督を想像することは出来ない。
(阿部十三)


【関連サイト】
増村保造
増村保造 〜過剰にして簡潔〜
[増村保造監督プロフィール]
1924年8月25日山梨県生まれ。東京大学法学部を卒業後、1947年、大映に入社。東京大学文学部に再入学。1952年、イタリアに留学し、ネオレアリズモを吸収する。1957年、『くちづけ』で監督デビュー。以後、若尾文子とのコンビ作や「黒シリーズ」などで地位を確立。大映の看板監督になる。テレビの分野でも活躍し、『ザ・ガードマン』「赤いシリーズ」『スチュワーデス物語』のヒットに貢献する。1986年11月23日死去。
[主な監督作品]
1957年『くちづけ』『青空娘』/1958年『巨人と玩具』/1959年『最高殊勲夫人』『氾濫』『闇を横切れ』/1960年『からっ風野郎』『足にさわった女』『偽大学生』/1961年『妻は告白する』/1962年『爛』『黒の試走車』/1963年『黒の報告書』/1964年『「女の小箱」より 夫が見た』『卍』『黒の超特急』/1965年『兵隊やくざ』『清作の妻』/1966年『刺青』『陸軍中野学校』『赤い天使』/1967年『妻二人』『痴人の愛』『華岡青洲の妻』/1968年『セックス・チェック 第二の性』『積木の箱』『濡れた二人』/1969年『盲獣』『千羽鶴』/1970年『でんきくらげ』『やくざ絶唱』『しびれくらげ』/1971年『遊び』/1972年『音楽』/1975年『動脈列島』/1976年『大地の子守唄』/1978年『曽根崎心中』/1982年『この子の七つのお祝いに』