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セシル・B・デミル 〜史劇よりも語るべきこと〜

2012.10.05
ハリウッドのはじまり

 ハリウッド草創期から第一線で活躍した大監督、セシル・B・デミル。スペクタクル史劇の巨匠と呼ばれる彼が手掛けた映画のテーマは実に多彩だ。一例を挙げるだけでも、旧約聖書(『サムソンとデリラ』、『十戒』)、新約聖書(『キング・オブ・キングス』)、ローマ帝国(『暴君ネロ』、『クレオパトラ』)、十字軍(『十字軍』)、カナダ史(『北西騎馬警官隊』)、鉄道史(『大平原』)など、常人ならひるんでしまうような大きなテーマを料理し、派手な娯楽大作に仕上げている。彼がいなければ、ハリウッド史劇のカタログは随分貧相なものになっていただろう。

 デミルは元々ブロードウェイの俳優兼劇作家で、ジェシー・ラスキーに誘われて映画界に足を踏み入れ、ハリウッド初の本格映画といわれる『スコウ・マン』(1914年)で成功した。以後、主に恋愛劇の分野で評判をとり、インモラルな味付けの施された風俗ドラマの名手として知られていた。スペクタクル史劇の巨匠へ「転身」するのは、少し後のこと。1923年の『十誡』からである。
 デミルに限らず、サイレント初期の監督について調べる際にぶちあたる壁が、資料不足の問題だ。とにかく失われたフィルムが多い。例えば溝口健二など、サイレント時代こそ真の黄金期といわれているので、それらを観ないことには全貌は語れないのだが、フィルムはほとんど存在しない。リアルタイムで観た人には到底かなわないのである。その点、デミルのサイレント作品はかなり残っていて、アメリカでは普通に市販もされている。『スコウ・マン』でさえ観ることができるのだ。ちなみに、これは白人男性とインディアン女性の恋愛を描いた悲劇。製作費のかかったセットに、デミルらしさが窺える。「ハリウッド映画=莫大な製作費」のイメージはここに端を発するといっても過言ではない。

DeMille_A1
 完璧主義者デミルは、衣装にもセットにもこだわり抜き、金に糸目をつけなかった。撮影に使う宝石も本物ばかり。リアリズムというよりは贅沢趣味。ただ、そのおかげで役者たち(とくに女優)は気持ちよく演技することができたという。「撮影中はいつも銃を持って見張っている人がいたけど、それはいい気分だったわ」と、一時期デミル映画のヒロインだったグロリア・スワンソンは語っている。女性の観客は、非現実的な雰囲気を味わうために、好んで映画館に足を運んだ。

 正直なところ、私はデミルの史劇大作を観て感動したことは一度もない。「お金がかかっている」、「たくさんの人を使っている」ということからもたらされる視覚的インパクト(それはそれで凄いとは思うのだが)以上のものを感じない。端的にいえば、大味なのである。「派手なコスチュームを着せられた大人たちによる味気ない台詞の交換」にしか見えなくなることも少なくない。「デミル王国」などといわれながら、監督としての評価が高くなかったのも分かる気がする。
 風俗ドラマを撮り、インモラルだと批判されていた時代のデミルの方が、史劇のデミルよりも描写がきめ細かく、役者の生かし方もうまく、視点がシャープで、ストーリーテリングの才能を縦横に発揮しているように私には感じられる。インモラルとはいえ、根本的にデミルは倫理的な映画作家である。登場人物たちは、レールから外れるようなことをしても、結局元の場所へ戻っていく。秩序に回帰するのである。体面上、そうすることで口うるさい団体からの批判を避けただけなのかもしれない。ただ、デミル自身が意識していたかどうかはわからないが、信心深かった父親ヘンリーの影響が出ているのではないか、と私は思う。

初期の傑作『男性と女性』

 現在、日本で比較的容易に観ることのできるデミルの初期作品は、『カルメン』(1915年)、『チート』(1915年)、『男性と女性』(1919年)である。『カルメン』の主役は、オペラ界の大スター、ジェラルディン・ファーラー。この人気歌手の映画界進出は、当時大きな話題になった。身も心もカルメンと化したファーラーの熱演(女同士の取っ組み合いなど迫力満点)、それを一瞬たりとも撮り逃すまいとするデミルの執念。両者の情熱が混ざり合い、短い時間ながらも濃厚なムードを醸成している。いわば被害者であるはずのドン・ホセより、カルメンの方が被害者に見えてしまうのも、ファーラーの魅力ゆえ。ラスト、息絶えた美しいカルメンの上に重なるドン・ホセは、自由であることを誇りとするカルメンの重荷にしか見えない。

 『チート』は、早川雪洲扮する金貸しが、奢侈に耽っている白人の人妻を自分のものにしようとして、その左肩に焼ゴテを当てる話。筈見有弘によると、これはカリフォルニアの「排日」の空気を反映した映画だという。そのため日本未公開。早川雪洲は日本人から「売国奴」と非難されたらしい。ただし、デミルは金貸しをいやらしく描くことよりも、浪費家で贅沢三昧の白人女を救いようのない愚か者として描くことに力を込めている。いくら白人の名誉回復的な形で話を終わらせても、人妻の悪印象は余韻として残る。これを「排日」映画として受け止めたアメリカ人がどれくらいいたのか、疑わしい。この作品によって早川雪洲が何の誇張でもなくハリウッドを代表するトップ・スターになったことを考えあわせても、「排日」映画としては機能しなかったのではないかと思う。

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 『男性と女性』は、伯爵一家と執事が無人島に漂着し、立場を逆転させる話である。伯爵令嬢メアリーは、運転手と恋に落ちた親友に向かってこんなことをいう。「カラスと極楽鳥を同じカゴに入れるつもり? 貴族には貴族。家柄は決して変えられないのよ」ーーメアリーは階級意識の強い女性である。しかし、自身が無人島で暮らす羽目になり、執事クライトンの生活力に頼っているうちに恋に落ちてしまう。ついに2人は結婚を決意するが、式の最中、無人島の近くを船が通りかかる。かくして2人は元の生活に戻るのだが......。メアリー役はグロリア・スワンソン、クライトン役はトーマス・ミーアン。メアリーがプライドを保とうとしながらも、クライトンの軍門に下るシーンが素晴らしい。有名なバビロンの妄想シーンも、デミルの完璧主義と贅沢趣味が存分に出ていて、目を見張らずにはいられない。フィルムは古くなっているが、内容は全然古くなっていない。こういう作品こそ、デミルの真価を伝えるものとして、もっと多くの人に知ってもらいたい。原作は、『ピーター・パン』の作者でもあるジェイムズ・マシュー・バリーの『あっぱれクライトン』。リナ・ウェルトミュラー監督の『流されて...』(1974年)は、これをラディカルに再構築したものとみていい。

 ところで、この映画には、忘れられない言葉がある。映画が始まってから5分後に出てくるアフォリズムである。私が所有しているDVDでは意訳されているが、昔、これを観た時は心が震えるほどの衝撃を受けたものだ。

Humanity is assuredly growing cleanerーーbut is it growing more artistic?
(人類はより清潔になったが、より美しくなっただろうか?)


 『十誡』の前年に撮られた『屠殺者』(1922年)も、初期の代表作。ソフト化はされていないようである。話の内容は、裕福な上に美貌にも恵まれ、享楽的生活を送っているリディアが、警官を事故で死なせてしまい、彼女を愛している地方判事オバノンによって裁かれ、監獄の中で改心するというもの。裁判のシーンは中だるみしているし、愛する女性を監獄に送り捨て鉢になったオバノンが立ち直る終盤の展開も唐突である。お世辞にも完成度が高いとはいえない。ただ、ローマの饗宴を描いた空想シーンが豪華で、それだけでも見応えがあるし、オバノン役のトーマス・ミーアンとリディア役のリートリス・ジョーイ(ジョン・ギルバートの奥さんだった人)の好演が作品に捨て難い価値を付与している。リートリス・ジョーイは、前半は表情が乏しく、さほど魅力的にも見えないが、後半になると俄然良くなる。例えば、裁判で自分を有罪に追い込んだオバノンに拍手を送るシーン。ここで見せる微笑など、忘れられない。目の動きだけで人を惹きつけ、観る者を飽きさせない女優である。
(阿部十三)


【関連サイト】
CECIL B. DEMILLE
セシル・B・デミル(DVD、Blu-ray)
声なきものに光を 〜サイレント映画のすゝめ〜
[セシル・B・デミル略歴]
1881年8月12日、マサチューセッツ州アッシュフィールド生まれ。ブロードウェイで名声を得て、ジェシー・ラスキーに誘われて1913年に映画界入り。1914年に『スコウ・マン』で成功し、流行監督になる。1923年、『十誡』以降は主に史劇大作を手がけ、大ヒットへと導いた。1952年、『地上最大のショウ』でアカデミー作品賞受賞。監督としての最後の作品は1956年の『十戒』。1959年1月21日死去。
[主な監督作品]
1914年『スコウ・マン』/1915年『カルメン』、『チート』/1917年『悪魔石』、『小米国人』、『神に見離された女』/1918年『醒めよ人妻』、『情熱の国』、『囁きの合唱』/1919年『夫を変える勿れ』、『連理の枝』、『男性と女性』/1923年『十誡』/1924年『勝利者』/1925年『金色の寝床』/1926年『ヴォルガの舟唄』/1927年『キング・オブ・キングス』/1932年『暴君ネロ』/1933年『新世紀』/1934年『クレオパトラ』/1935年『十字軍』/1937年『平原児』/1938年『海賊』/1939年『大平原』/1940年『北西騎馬警官隊』/1942年『絶海の嵐』/1944年『軍医ワッセル大佐』/1947年『征服されざる人々』/1949年『サムソンとデリラ』/1952年『地上最大のショウ』/1956年『十戒』