小栗康平 〜『泥の河』から『埋もれ木』まで〜
2012.12.12
小栗康平監督の映画は、その完成度の高さで世界的な評価を得ている。これまで発表されたのはわずか5作にすぎないが、いずれも映像というものが持つ不思議な力を感じさせる傑作ばかりだ。とくに『泥の河』と『死の棘』は、今なお映画ファンが熱くなる題材であり続けている。経年感を寸毫も感じさせない。その映像には常に変わらず、静かな磁力、強い磁力がゆらめいている。
『泥の河』(1981年)は、うどん屋の子供と、廓船で各地を転々とする少年のひと夏の出会い、そして別れを描いた監督デビュー作である。この映画はアカデミー外国語映画賞にノミネートされて、関係者が驚くほどの成功を収めた。1989年に文藝春秋社から出た『大アンケートによる日本映画ベスト150』という本の中でも、溝口健二、黒澤明、小津安二郎、成瀬巳喜男、木下惠介といった大監督の代表作の列に割り込むようにして、『泥の河』が15位にランクインされている。そんなところからも、当時の映画ファンがいかにこの作品に入れあげていたかが窺えるだろう。
舞台は1956年の大阪。めまぐるしい展開があるわけではないが、衒いのないストーリーテリングと、胸を圧するようなノスタルジーと、それを中和させるような美しい映像が、私たちの心を掴み、ラストシーンまで牽引する。素朴なだけでなく、気品がある。個人的に、子供がどうしたこうしたという映画にはそんなに惹かれないのだが、『泥の河』と『手をつなぐ子等』は別である。
小栗監督は、2005年に行ったインタビューで次のように語ってくれた。
「当時、映画はワイドスクリーンもので、サウンドのチャンネルを増やして、エンターテイメント性をどう拡大するかっていう方向に傾いていました。そうではなくて、子供たちのひと夏の出会いと別れっていうような小さな話ですけど、小さな話でも十分に映画になるんだよ、と。そういう意味で、スタンダードでモノクロという映画の一番最初の形、そこに戻って、この小さな話を観てもらいたいな、と考えました」
2作目『伽倻子のために』(1984年)では、「映画はストーリー解説ではない」という見地に立ち、『泥の河』とは作風を変えている。人物や事物への寄りのカットが減り、引きのカットが目立つ。また、イメージを喚起させるような映像を用いて、観る側のイマジネーションに訴えるような作りにしているところも興味深い。
「いちばんわかりやすい撮り方は、セリフのたびに、それがどこに向けられているかをカメラが示し、寄りサイズでカットを撮り重ねていく。そうすると、観る側は〈物語の方向〉を間違いなく受け取る。そのかわり見えている事物にしか意識が働かない。でも、ロングで撮ると、セリフの方向が分散する。周辺に映っているものまでが意味を持ってくる。物語性は弱まるけど、画像とセリフがひとつの意味ではなく、複数の意味を持ってくる。つまり、ひとつの画の中にどれだけ複数の意味、感情を蓄えることができるか、という風な撮り方ですね」
カンヌ国際映画祭でグランプリを受賞した3作目『死の棘』(1990年)は、「映画化不可能」といわれた島尾敏雄の原作を、堅実かつ鮮やかな手際で映像に翻訳した力作。文士である夫トシオと、彼の浮気がもとで精神に異常をきたした妻ミホのやりとりを描きながら、その背後に「人間とは何か」「精神とは何か」「救いとは何か」「愛とは何か」といったテーマをしのばせている。松坂慶子、岸部一徳のキャスティングがまず理想的。烈しい狂気と、出口を失った苦悩、そして、それらの中からどうしようもなく漏れてしまう人間の滑稽さが、2人によって表現し尽くされている。寒気を催させるほど荒れた家の板塀にも注目したい。この家について、小栗監督はインタビューで「表情」という言葉を遣っていたが、本当に家に顔があるように見える。
小栗監督は説話的な要素や土地の風習といったものを積極的に映画の中に採り入れているが、『眠る男』(1996年)と『埋もれ木』(2005年)にはとりわけその傾向が強い。『眠る男』は、静かな息づかいを感じさせる人間ドラマ。「1人の人物に物語を背負ってもらうのがいやになった」と言う監督は、主人公であるべき存在を眠らせて、それ以外の複数の登場人物に軸を置いた。その結果、ポリフォニックな様相を帯び、それぞれの立ち位置から「生」と「死」について考えさせるような構造が生まれている。
『埋もれ木』もそういう作風の延長線上にある作品で、より幻想的な雰囲気を強め、同時に、土着感も強めている。
「伝承とか説話は、僕らの生活の表面から消えてますよね。消えてるけど、あるわけですよ。見えないところ、基層に潜んでいるわけです。それを表層とひっくり返してあげる。その力は凄く大きい気がするんですよね」
CGを駆使しているのも大きな特徴だ。カメラが人間の目の代わりをする場面で、いかにリアリティを持たせるか、小栗監督はギリギリまでこだわった。なんだかんだいってもスクリーンは平面なので、人間の目を再現することはできない。それをCGで近いところまで持っていこうとしても限界はある。ただ、こうした技術にはまだ可能性はある。監督はそんな風に語っていた。
人間は五感がすべての生き物ではないので、いくらCGで本当らしく見せたところで、結局、満たされない感覚はつきまとうだろう、と私自身は考えている。だからといって、「スタンダードでモノクロ」の作品をもう一度撮ってほしいとはいわないが、キャッチコピーだけ威勢のいい見かけ倒しのハリボテ映画が溢れている今の時代に、小栗監督によって丁寧に作られた「小さな話」を観てみたい、という気持ちはある。
【関連サイト】
小栗康平
『泥の河』(1981年)は、うどん屋の子供と、廓船で各地を転々とする少年のひと夏の出会い、そして別れを描いた監督デビュー作である。この映画はアカデミー外国語映画賞にノミネートされて、関係者が驚くほどの成功を収めた。1989年に文藝春秋社から出た『大アンケートによる日本映画ベスト150』という本の中でも、溝口健二、黒澤明、小津安二郎、成瀬巳喜男、木下惠介といった大監督の代表作の列に割り込むようにして、『泥の河』が15位にランクインされている。そんなところからも、当時の映画ファンがいかにこの作品に入れあげていたかが窺えるだろう。
舞台は1956年の大阪。めまぐるしい展開があるわけではないが、衒いのないストーリーテリングと、胸を圧するようなノスタルジーと、それを中和させるような美しい映像が、私たちの心を掴み、ラストシーンまで牽引する。素朴なだけでなく、気品がある。個人的に、子供がどうしたこうしたという映画にはそんなに惹かれないのだが、『泥の河』と『手をつなぐ子等』は別である。
小栗監督は、2005年に行ったインタビューで次のように語ってくれた。
「当時、映画はワイドスクリーンもので、サウンドのチャンネルを増やして、エンターテイメント性をどう拡大するかっていう方向に傾いていました。そうではなくて、子供たちのひと夏の出会いと別れっていうような小さな話ですけど、小さな話でも十分に映画になるんだよ、と。そういう意味で、スタンダードでモノクロという映画の一番最初の形、そこに戻って、この小さな話を観てもらいたいな、と考えました」
2作目『伽倻子のために』(1984年)では、「映画はストーリー解説ではない」という見地に立ち、『泥の河』とは作風を変えている。人物や事物への寄りのカットが減り、引きのカットが目立つ。また、イメージを喚起させるような映像を用いて、観る側のイマジネーションに訴えるような作りにしているところも興味深い。
「いちばんわかりやすい撮り方は、セリフのたびに、それがどこに向けられているかをカメラが示し、寄りサイズでカットを撮り重ねていく。そうすると、観る側は〈物語の方向〉を間違いなく受け取る。そのかわり見えている事物にしか意識が働かない。でも、ロングで撮ると、セリフの方向が分散する。周辺に映っているものまでが意味を持ってくる。物語性は弱まるけど、画像とセリフがひとつの意味ではなく、複数の意味を持ってくる。つまり、ひとつの画の中にどれだけ複数の意味、感情を蓄えることができるか、という風な撮り方ですね」
カンヌ国際映画祭でグランプリを受賞した3作目『死の棘』(1990年)は、「映画化不可能」といわれた島尾敏雄の原作を、堅実かつ鮮やかな手際で映像に翻訳した力作。文士である夫トシオと、彼の浮気がもとで精神に異常をきたした妻ミホのやりとりを描きながら、その背後に「人間とは何か」「精神とは何か」「救いとは何か」「愛とは何か」といったテーマをしのばせている。松坂慶子、岸部一徳のキャスティングがまず理想的。烈しい狂気と、出口を失った苦悩、そして、それらの中からどうしようもなく漏れてしまう人間の滑稽さが、2人によって表現し尽くされている。寒気を催させるほど荒れた家の板塀にも注目したい。この家について、小栗監督はインタビューで「表情」という言葉を遣っていたが、本当に家に顔があるように見える。
小栗監督は説話的な要素や土地の風習といったものを積極的に映画の中に採り入れているが、『眠る男』(1996年)と『埋もれ木』(2005年)にはとりわけその傾向が強い。『眠る男』は、静かな息づかいを感じさせる人間ドラマ。「1人の人物に物語を背負ってもらうのがいやになった」と言う監督は、主人公であるべき存在を眠らせて、それ以外の複数の登場人物に軸を置いた。その結果、ポリフォニックな様相を帯び、それぞれの立ち位置から「生」と「死」について考えさせるような構造が生まれている。
『埋もれ木』もそういう作風の延長線上にある作品で、より幻想的な雰囲気を強め、同時に、土着感も強めている。
「伝承とか説話は、僕らの生活の表面から消えてますよね。消えてるけど、あるわけですよ。見えないところ、基層に潜んでいるわけです。それを表層とひっくり返してあげる。その力は凄く大きい気がするんですよね」
CGを駆使しているのも大きな特徴だ。カメラが人間の目の代わりをする場面で、いかにリアリティを持たせるか、小栗監督はギリギリまでこだわった。なんだかんだいってもスクリーンは平面なので、人間の目を再現することはできない。それをCGで近いところまで持っていこうとしても限界はある。ただ、こうした技術にはまだ可能性はある。監督はそんな風に語っていた。
人間は五感がすべての生き物ではないので、いくらCGで本当らしく見せたところで、結局、満たされない感覚はつきまとうだろう、と私自身は考えている。だからといって、「スタンダードでモノクロ」の作品をもう一度撮ってほしいとはいわないが、キャッチコピーだけ威勢のいい見かけ倒しのハリボテ映画が溢れている今の時代に、小栗監督によって丁寧に作られた「小さな話」を観てみたい、という気持ちはある。
(阿部十三)
【関連サイト】
小栗康平
[小栗康平略歴]
1945年10月29日、群馬県生まれ。早稲田大学を卒業後、映画の道に進み、浦山桐郎、篠田正浩の下で腕を磨く。1981年にデビュー作『泥の河』がアカデミー外国語映画賞にノミネートされ、モスクワ映画祭では銀賞を受賞。一躍注目を浴びる。1984年には『伽倻子のために』でフランスのジョルジュ・サドゥール賞を、1990年には『死の棘』でカンヌ国際映画祭グランプリを受賞。さらに1996年、『眠る男』でモントリオール世界映画祭審査員特別大賞を受賞。輝かしい受賞歴を持つ。
1945年10月29日、群馬県生まれ。早稲田大学を卒業後、映画の道に進み、浦山桐郎、篠田正浩の下で腕を磨く。1981年にデビュー作『泥の河』がアカデミー外国語映画賞にノミネートされ、モスクワ映画祭では銀賞を受賞。一躍注目を浴びる。1984年には『伽倻子のために』でフランスのジョルジュ・サドゥール賞を、1990年には『死の棘』でカンヌ国際映画祭グランプリを受賞。さらに1996年、『眠る男』でモントリオール世界映画祭審査員特別大賞を受賞。輝かしい受賞歴を持つ。
[監督作品]
1981年『泥の河』/1984年『伽倻子のために』/1990年『死の棘』/1996年『眠る男』/2005年『埋もれ木』
1981年『泥の河』/1984年『伽倻子のために』/1990年『死の棘』/1996年『眠る男』/2005年『埋もれ木』
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