佐分利信 〜得難い風格と貫禄〜
2014.02.03
戦前の松竹の三羽烏といえば、佐分利信、上原謙、佐野周二である。島津保次郎監督の『婚約三羽烏』(1937年)に出演した3人は、一時期、主役を分け合うようにして多くの名作に出演していた。
この中で、女性のみならず男性も憧れるような風格、貫禄を備えた大スターといえば佐分利信だろう。戦前から戦後にかけて50年以上、現代劇を中心に存在感を示し、後輩スターが台頭してきても全く気圧されることなく泰然自若として、晩年まで印象的な演技で共演者を食っていた男。監督としての才能にも恵まれ、高い評価を受けていた男。その足跡の大きさは、まさに「巨星」と呼ぶにふさわしい。
私は吉村公三郎監督の『暖流』(1939年)、小津安二郎監督の『戸田家の兄妹』(1941年)を観て佐分利のファンになり、彼の名前がクレジットされている作品はとにかく観るようにしてきた。彼のたたずまいには、独特の風格と品の良さとざっくばらんさがある。話し方は少しぶっきらぼうだが、さりげないあたたかみがある。だから、どんな悪い役を演じていても、つい彼に与したくなってしまう。役に恵まれていたともいえるだろうが、どんな役にも構えることなく入っているようなイメージがあり、演技にも懐の深さを感じさせるものがある。
小津安二郎監督の『お茶漬の味』(1952年)では、木暮実千代演じる妻から陰で「鈍感さん」と呼ばれるキャラクターを演じていたが、これを映画俳優・佐分利信の一般的イメージに置き換えても異論を唱える人はいないだろう。
若手のスターだった時から、佐分利は単なる二枚目という枠を越えた硬派な男性的魅力をたたえていた。腕力や勇猛さでどうこうする、という意味ではなく、形式的なことや細かいことに拘泥しない超然たる雰囲気を持つ、という意味での男性的魅力である(出演者たちの本読み風景の写真を見ても、彼だけどことなくラフで、撮られることを大して意識していない感じが、かえって格好良かったりする)。
それでいて、『お茶漬の味』の「鈍感さん」がそうであったように、実は細かいところもちゃんと見ているし、妻の嘘も見抜いているのである。ただ、それをいちいち表に出して、神経を尖らせたりしないのだ。そういう役をやらせて彼の右に出る者はいない。
若い頃の代表作『家族会議』(1936年)、『家庭日記』(1938年)、『暖流』(1939年)の役も、恋愛に溺れるタイプではなく、ロマンティックな雰囲気は希薄だ。が、無頓着さと器の大きさと仄かなやさしさがセックスアピールとなり、ヒロインたち(『家族会議』では及川道子、桑野通子、高杉早苗。『家庭日記』では高杉早苗、三宅邦子。『暖流』では高峰三枝子、水戸光子)は彼に惹かれたり尽くしたりするのである。このようなタイプの男性はほぼ絶滅しているので、今、『家族会議』を観ても、「なんでこの人がこんなにモテるのだろう」と不思議に思う人が大半ではないかと思う。
質朴で清廉なサラリーマンを演じた『兄とその妹』(1939年)も傑作。これは作品のテーマも含め、多くの人の共感を呼ぶに違いない。上役に気に入られ、それを快く思わない狡猾な同僚にはめられて、社内で悪い噂を立てられる、という話はどの会社でもあり得そうである。佐分利信、桑野通子(妹役)、三宅邦子(妻役)の配役も絶妙で、庶民的な悲哀や葛藤を描きながらも、映画らしい華やかさが保たれている。桑野通子というと上原謙との組み合わせ(アイアイ・コンビ)を連想する人が多いかもしれないが、安定感のある佐分利信との組み合わせの方がバランス良くみえる。
戦後の代表作である『帰郷』(1950年)には、ロマンスグレーの佐分利の格好良さが横溢している。彼が演じているのは、過去を持つ男。威厳があり、知的で、洗練された物腰のキャラクターだ。「俺は人情に甘えたくない」といいながら煙草を吸い、お茶を飲む。それだけで魅せる。
ヒロイン役の木暮実千代の唖然とするほどの美しさをみると、こんな女性が夢中になる相手には、佐分利くらいの男でなければ釣り合わない、とも思える。木暮に「マダム、抱いてもいいかね」といってサマになる男はそうはいない。それにしても当時の佐分利はまだ41歳。この風格は異常である。
佐分利信には貫禄があり、得難い男性的魅力がある。これは間違いない。1970年代に佐分利が大きな成功を収めるきっかけとなった『華麗なる一族』(1974年)、鶴田浩二や三船敏郎といった後輩たちを相手に堂々の貫禄を示した『日本の首領』3部作(1977年〜1978年)、右翼の大物を演じた『日本の黒幕』(1979年)を観ても、はまり役としかいいようがない。ただし、決して貫禄だけの役者ではないことも強調しておく必要がある。女性に馬鹿にされる役、女性のために我を忘れる役どころも、彼の十八番なのだ。
吉村公三郎監督の『嫉妬』(1949年)は、そういう一面を打ち出しはじめた頃の作品。終盤、嫉妬に狂い、妻に逃げられておろおろする夫の姿はひたすら惨めで情けない。渋谷実監督の『朱唇いまだ消えず』(1949年)も、取り乱しはしないが、しつこく昔の恋人にいい寄る役である。戦後の日本女性の社会的地位、家庭的地位を意識した作品では、戦前の自分のイメージを意識的に払拭すべく演技していたのではないか、とさえ思いたくなる。
女性に弱いキャラクターは、彼自身が撮った『慟哭』(1952年)、『夜の鴎』(1957年)などの監督作品にも登場し、自ら演じている。それらを観ても明らかなように、佐分利演じる男性像は、いわゆる「鈍感さん」から「貫禄満点の頼れる男性」の方に向かうだけでなく、「女性に馬鹿にされる男性」の方に向かうベクトルも有しているのである。
実際の佐分利信はロマンティックな人で、大変な愛妻家でもあった。奥さんは元女優の黒木しのぶ。『さらば東京』(1932年)の共演者である。仕事に行く時、玄関先で奥さんと握手してから出かけていたというエピソードは、佐分利ファンなら誰でも知っている。1964年に愛妻を肝臓がんで亡くした時は、遺体から離れず慟哭し、俳優を辞めるとまでいっていたらしい。そういう人なのである。
それだけに堅物男性の代表格のようにみられるのは、彼にしてみれば本意ではなかったのかもしれない。その鬱憤を自分の監督作で晴らしていた可能性はある、と考えるのは少々穿ちすぎだろうか。
【関連サイト】
佐分利信
この中で、女性のみならず男性も憧れるような風格、貫禄を備えた大スターといえば佐分利信だろう。戦前から戦後にかけて50年以上、現代劇を中心に存在感を示し、後輩スターが台頭してきても全く気圧されることなく泰然自若として、晩年まで印象的な演技で共演者を食っていた男。監督としての才能にも恵まれ、高い評価を受けていた男。その足跡の大きさは、まさに「巨星」と呼ぶにふさわしい。
私は吉村公三郎監督の『暖流』(1939年)、小津安二郎監督の『戸田家の兄妹』(1941年)を観て佐分利のファンになり、彼の名前がクレジットされている作品はとにかく観るようにしてきた。彼のたたずまいには、独特の風格と品の良さとざっくばらんさがある。話し方は少しぶっきらぼうだが、さりげないあたたかみがある。だから、どんな悪い役を演じていても、つい彼に与したくなってしまう。役に恵まれていたともいえるだろうが、どんな役にも構えることなく入っているようなイメージがあり、演技にも懐の深さを感じさせるものがある。
小津安二郎監督の『お茶漬の味』(1952年)では、木暮実千代演じる妻から陰で「鈍感さん」と呼ばれるキャラクターを演じていたが、これを映画俳優・佐分利信の一般的イメージに置き換えても異論を唱える人はいないだろう。
若手のスターだった時から、佐分利は単なる二枚目という枠を越えた硬派な男性的魅力をたたえていた。腕力や勇猛さでどうこうする、という意味ではなく、形式的なことや細かいことに拘泥しない超然たる雰囲気を持つ、という意味での男性的魅力である(出演者たちの本読み風景の写真を見ても、彼だけどことなくラフで、撮られることを大して意識していない感じが、かえって格好良かったりする)。
それでいて、『お茶漬の味』の「鈍感さん」がそうであったように、実は細かいところもちゃんと見ているし、妻の嘘も見抜いているのである。ただ、それをいちいち表に出して、神経を尖らせたりしないのだ。そういう役をやらせて彼の右に出る者はいない。
若い頃の代表作『家族会議』(1936年)、『家庭日記』(1938年)、『暖流』(1939年)の役も、恋愛に溺れるタイプではなく、ロマンティックな雰囲気は希薄だ。が、無頓着さと器の大きさと仄かなやさしさがセックスアピールとなり、ヒロインたち(『家族会議』では及川道子、桑野通子、高杉早苗。『家庭日記』では高杉早苗、三宅邦子。『暖流』では高峰三枝子、水戸光子)は彼に惹かれたり尽くしたりするのである。このようなタイプの男性はほぼ絶滅しているので、今、『家族会議』を観ても、「なんでこの人がこんなにモテるのだろう」と不思議に思う人が大半ではないかと思う。
質朴で清廉なサラリーマンを演じた『兄とその妹』(1939年)も傑作。これは作品のテーマも含め、多くの人の共感を呼ぶに違いない。上役に気に入られ、それを快く思わない狡猾な同僚にはめられて、社内で悪い噂を立てられる、という話はどの会社でもあり得そうである。佐分利信、桑野通子(妹役)、三宅邦子(妻役)の配役も絶妙で、庶民的な悲哀や葛藤を描きながらも、映画らしい華やかさが保たれている。桑野通子というと上原謙との組み合わせ(アイアイ・コンビ)を連想する人が多いかもしれないが、安定感のある佐分利信との組み合わせの方がバランス良くみえる。
戦後の代表作である『帰郷』(1950年)には、ロマンスグレーの佐分利の格好良さが横溢している。彼が演じているのは、過去を持つ男。威厳があり、知的で、洗練された物腰のキャラクターだ。「俺は人情に甘えたくない」といいながら煙草を吸い、お茶を飲む。それだけで魅せる。
ヒロイン役の木暮実千代の唖然とするほどの美しさをみると、こんな女性が夢中になる相手には、佐分利くらいの男でなければ釣り合わない、とも思える。木暮に「マダム、抱いてもいいかね」といってサマになる男はそうはいない。それにしても当時の佐分利はまだ41歳。この風格は異常である。
佐分利信には貫禄があり、得難い男性的魅力がある。これは間違いない。1970年代に佐分利が大きな成功を収めるきっかけとなった『華麗なる一族』(1974年)、鶴田浩二や三船敏郎といった後輩たちを相手に堂々の貫禄を示した『日本の首領』3部作(1977年〜1978年)、右翼の大物を演じた『日本の黒幕』(1979年)を観ても、はまり役としかいいようがない。ただし、決して貫禄だけの役者ではないことも強調しておく必要がある。女性に馬鹿にされる役、女性のために我を忘れる役どころも、彼の十八番なのだ。
吉村公三郎監督の『嫉妬』(1949年)は、そういう一面を打ち出しはじめた頃の作品。終盤、嫉妬に狂い、妻に逃げられておろおろする夫の姿はひたすら惨めで情けない。渋谷実監督の『朱唇いまだ消えず』(1949年)も、取り乱しはしないが、しつこく昔の恋人にいい寄る役である。戦後の日本女性の社会的地位、家庭的地位を意識した作品では、戦前の自分のイメージを意識的に払拭すべく演技していたのではないか、とさえ思いたくなる。
女性に弱いキャラクターは、彼自身が撮った『慟哭』(1952年)、『夜の鴎』(1957年)などの監督作品にも登場し、自ら演じている。それらを観ても明らかなように、佐分利演じる男性像は、いわゆる「鈍感さん」から「貫禄満点の頼れる男性」の方に向かうだけでなく、「女性に馬鹿にされる男性」の方に向かうベクトルも有しているのである。
実際の佐分利信はロマンティックな人で、大変な愛妻家でもあった。奥さんは元女優の黒木しのぶ。『さらば東京』(1932年)の共演者である。仕事に行く時、玄関先で奥さんと握手してから出かけていたというエピソードは、佐分利ファンなら誰でも知っている。1964年に愛妻を肝臓がんで亡くした時は、遺体から離れず慟哭し、俳優を辞めるとまでいっていたらしい。そういう人なのである。
それだけに堅物男性の代表格のようにみられるのは、彼にしてみれば本意ではなかったのかもしれない。その鬱憤を自分の監督作で晴らしていた可能性はある、と考えるのは少々穿ちすぎだろうか。
(阿部十三)
【関連サイト】
佐分利信
[佐分利信略歴]
1909年2月12日、北海道生まれ。本名は石崎由雄。上京して正則英語学校を卒業し、郷里で小学校の代用教員をしていたが、再度上京して日本映画俳優学校に入学し、日活に入社。当時の芸名は島津元だった。1935年に松竹蒲田に移り、島津保次郎監督のすすめで佐分利信に改名。名前の由来は、謎の死を遂げた外交官の佐分利貞男ではないかといわれているが、詳しいことは分かっていない。松竹で重宝された佐分利は、『兄とその妹』(1939年)、『暖流』(1939年)などの傑作に出演。1950年の『帰郷』で会心の演技を見せてからは、中年男性の魅力を武器に松竹を代表する大俳優として活躍。同年、「芸研プロ」に属して『女性対男性』で監督デビューした。1970年代に入り、山本薩夫監督の『華麗なる一族』の主役を演じて成功。1982年、入院。肝臓がんの延命治療を拒否し、同年9月22日に亡くなった。妻は元女優の黒木しのぶ。
1909年2月12日、北海道生まれ。本名は石崎由雄。上京して正則英語学校を卒業し、郷里で小学校の代用教員をしていたが、再度上京して日本映画俳優学校に入学し、日活に入社。当時の芸名は島津元だった。1935年に松竹蒲田に移り、島津保次郎監督のすすめで佐分利信に改名。名前の由来は、謎の死を遂げた外交官の佐分利貞男ではないかといわれているが、詳しいことは分かっていない。松竹で重宝された佐分利は、『兄とその妹』(1939年)、『暖流』(1939年)などの傑作に出演。1950年の『帰郷』で会心の演技を見せてからは、中年男性の魅力を武器に松竹を代表する大俳優として活躍。同年、「芸研プロ」に属して『女性対男性』で監督デビューした。1970年代に入り、山本薩夫監督の『華麗なる一族』の主役を演じて成功。1982年、入院。肝臓がんの延命治療を拒否し、同年9月22日に亡くなった。妻は元女優の黒木しのぶ。
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