『デッドゾーン』の世界
2014.06.06
クローネンバーグ監督の傑作
『デッドゾーン』は1983年に公開されたデヴィッド・クローネンバーグ監督の作品である。話題作が多く、今なお第一線で活躍するクローネンバーグのフィルモグラフィを振り返っても、『デッドゾーン』を特別な魅力を持つ傑作と呼ぶことに躊躇を覚える人はほとんどいないだろう。スティーヴン・キングの長編小説に大胆なアレンジを施してはいるものの、超能力を持つ主人公の孤独や宿命の残酷さを静かで寒々しいトーンで描き、原作の世界観を損なわず映画化することに成功している。
主人公ジョン・スミスに扮したクリストファー・ウォーケンが理想的な配役なのはいうまでもないが、主治医ウィザック役のハーバート・ロム、政治家スティルソン役のマーティン・シーン、恋人サラ役のブルック・アダムス、連続殺人事件を追う保安官バナーマン役のトム・スケリット、殺人犯の母親役のコリーン・デューハースト、資産家ロジャー役のアンソニー・ザーブ、ロジャーの息子でジョンと心を通わせる少年クリス役のサイモン・クレイグのキャスティングも完璧で、全員が映画にとけ込んでいる。わびしい自然の風景を主人公の内面と重ね合わせるようなマーク・アーウィンのカメラ、繊細で透明感のあるマイケル・ケイメンの音楽も美しい。ロナルド・サンダースの編集の手際も鮮やかで、こうあれかしというテンポをラストシーンまで保っている。
クローネンバーグ監督は人間の肉体の変化を描くことを好んでいる、という評を何かで読んだことがある。それに沿っていえば、『デッドゾーン』も変化を描いた作品である。ただし、肉体ではなく精神の変化である。超能力を発揮する時に主人公が電流を浴びたような状態になったり、その疲労感で顔色が悪くなったり、足を引きずったりと、肉体も多少変化するが、重きが置かれているのは精神の方である。全体に漂う雰囲気は外向的なものではなく、あくまでも内向的なものだ。
映画の内容
ジョン・スミスはハンサムで、いかにも好青年らしい教師である。ある日、彼は同僚で恋人のサラ・ブラックネルとのデートを終え、雨の中一人で帰宅する途中、タンクローリーの横転事故に巻き込まれる。昏睡状態に陥った彼が眠りからさめたのは5年後のこと。サラはすでにほかの男と結婚していた。そして彼自身はというと、得体の知れない能力を持つ人間になっていた。超能力者になっていたのである。
ジョンの能力は、誰かの手にふれると相手の過去・現在・未来が見通せるというものである。その力を使い、彼は看護婦の娘エイミーを火事から救う。主治医ウィザックが戦争中に生き別れになった母親の居所をつきとめる。超能力を小馬鹿にするテレビ局の記者の古傷に痛みを与える。謎に包まれた連続殺人事件の犯人の正体を暴く。束の間自分と心を通わせた内気な少年クリスの死を予知し、どうにか死を回避させる。
しかし、ジョンは自分に備わったパワーを疎ましく感じている。自分の能力が強くなればなるほど肉体の疲労は激しくなり、ひどい頭痛にも悩まされる。彼は自分の寿命がそう長くないことを自覚しはじめる。
上院議員の選挙が目前に迫ったある日、ジョンは成り行きで政治家グレッグ・スティルソンと握手する羽目になる。その時、スティルソンが大統領に就任し、核ミサイルのボタンを押す未来を予知する。ジョンは苦悩の末、誰の力も借りずスティルソンを暗殺することを決意する。
原作と映画
一歩間違えば、いかにもハリウッド的なヒーローものになるところだが、そうはならない。理由も分からぬまま特殊な能力に目覚めてしまった一人の男の孤独な生と死を描く作品。あくまでもそのスタンスを固持しているし、そこが魅力である。超能力が発揮されるきっかけを、他者の手にさわる、他者と手をつなぐ、という行為に限定したのも、原作とは異なるが、主人公の孤独を浮き立たせる上で奏効している。
サラがスティルソンの選挙運動の協力者としてジョン・スミスの前に現れるのは、やや出来すぎた設定だが、これをうまくラストのクライマックスにつなげているので、結果的には全く不満を感じない。これも原作にはない設定である。映画的に盛り上げるための、ひとつの発明といっていいだろう。ちなみに、映画の冒頭と後半で2回朗読される詩は、エドガー・アラン・ポーの「大鴉」。これも運命の皮肉さを醸すのに一役買っている。この詩に出てくる「レノア」を「サラ」に置き換えるとジョンの物語になる、といっても誇張にはならないと思う。
ところで、ジョンはどのようにして超能力にめざめたのか。
映画版のジョンは、事故の日にサラと遊園地でデートし、ジェットコースターに乗り、その最中に激しい頭痛に襲われる。これが事の起こりであるかのように、ジェフリー・ボームの脚本は示唆している。
一方、原作のジョンは、少年時代にスケートで遊んでいる時、人とぶつかり頭を強く打って失神する。その直後に予知能力を発揮する。はっきりとは自覚していないが、この時点で、ジョンの脳の中にはデッドゾーンが生じ、「彼の脳の別の小さな部分」がうっすら目を開けている。
つまり、映画版のジョンは、事故に遭うまで平凡な一教師にすぎない。それが突然わけの分からない能力にめざめる。当然、そこに激しい戸惑いが生じる。原作のジョンは、少年時代から非凡である。事故に遭う前も、彼はカーニバルの屋台で大胆なギャンブルをして勝ち続ける。当たり目が見えたからだ。すでに彼はパワーを持っているのである。それが事故の後、完全に覚醒し、万能の透視能力を発揮する。映画版とは異なり、わりと積極的にパワーを駆使している節もある。心のどこかで、狂信的な母親が死ぬ前に口走った、「神はあなたに仕事を用意なさっている。神から逃げては駄目よ、ジョニー」という言葉にとらわれているのだ。
【関連サイト】
『デッドゾーン』の世界 [続き]
デッドゾーン(DVD)
『デッドゾーン』は1983年に公開されたデヴィッド・クローネンバーグ監督の作品である。話題作が多く、今なお第一線で活躍するクローネンバーグのフィルモグラフィを振り返っても、『デッドゾーン』を特別な魅力を持つ傑作と呼ぶことに躊躇を覚える人はほとんどいないだろう。スティーヴン・キングの長編小説に大胆なアレンジを施してはいるものの、超能力を持つ主人公の孤独や宿命の残酷さを静かで寒々しいトーンで描き、原作の世界観を損なわず映画化することに成功している。
主人公ジョン・スミスに扮したクリストファー・ウォーケンが理想的な配役なのはいうまでもないが、主治医ウィザック役のハーバート・ロム、政治家スティルソン役のマーティン・シーン、恋人サラ役のブルック・アダムス、連続殺人事件を追う保安官バナーマン役のトム・スケリット、殺人犯の母親役のコリーン・デューハースト、資産家ロジャー役のアンソニー・ザーブ、ロジャーの息子でジョンと心を通わせる少年クリス役のサイモン・クレイグのキャスティングも完璧で、全員が映画にとけ込んでいる。わびしい自然の風景を主人公の内面と重ね合わせるようなマーク・アーウィンのカメラ、繊細で透明感のあるマイケル・ケイメンの音楽も美しい。ロナルド・サンダースの編集の手際も鮮やかで、こうあれかしというテンポをラストシーンまで保っている。
クローネンバーグ監督は人間の肉体の変化を描くことを好んでいる、という評を何かで読んだことがある。それに沿っていえば、『デッドゾーン』も変化を描いた作品である。ただし、肉体ではなく精神の変化である。超能力を発揮する時に主人公が電流を浴びたような状態になったり、その疲労感で顔色が悪くなったり、足を引きずったりと、肉体も多少変化するが、重きが置かれているのは精神の方である。全体に漂う雰囲気は外向的なものではなく、あくまでも内向的なものだ。
映画の内容
ジョン・スミスはハンサムで、いかにも好青年らしい教師である。ある日、彼は同僚で恋人のサラ・ブラックネルとのデートを終え、雨の中一人で帰宅する途中、タンクローリーの横転事故に巻き込まれる。昏睡状態に陥った彼が眠りからさめたのは5年後のこと。サラはすでにほかの男と結婚していた。そして彼自身はというと、得体の知れない能力を持つ人間になっていた。超能力者になっていたのである。
ジョンの能力は、誰かの手にふれると相手の過去・現在・未来が見通せるというものである。その力を使い、彼は看護婦の娘エイミーを火事から救う。主治医ウィザックが戦争中に生き別れになった母親の居所をつきとめる。超能力を小馬鹿にするテレビ局の記者の古傷に痛みを与える。謎に包まれた連続殺人事件の犯人の正体を暴く。束の間自分と心を通わせた内気な少年クリスの死を予知し、どうにか死を回避させる。
しかし、ジョンは自分に備わったパワーを疎ましく感じている。自分の能力が強くなればなるほど肉体の疲労は激しくなり、ひどい頭痛にも悩まされる。彼は自分の寿命がそう長くないことを自覚しはじめる。
上院議員の選挙が目前に迫ったある日、ジョンは成り行きで政治家グレッグ・スティルソンと握手する羽目になる。その時、スティルソンが大統領に就任し、核ミサイルのボタンを押す未来を予知する。ジョンは苦悩の末、誰の力も借りずスティルソンを暗殺することを決意する。
原作と映画
一歩間違えば、いかにもハリウッド的なヒーローものになるところだが、そうはならない。理由も分からぬまま特殊な能力に目覚めてしまった一人の男の孤独な生と死を描く作品。あくまでもそのスタンスを固持しているし、そこが魅力である。超能力が発揮されるきっかけを、他者の手にさわる、他者と手をつなぐ、という行為に限定したのも、原作とは異なるが、主人公の孤独を浮き立たせる上で奏効している。
サラがスティルソンの選挙運動の協力者としてジョン・スミスの前に現れるのは、やや出来すぎた設定だが、これをうまくラストのクライマックスにつなげているので、結果的には全く不満を感じない。これも原作にはない設定である。映画的に盛り上げるための、ひとつの発明といっていいだろう。ちなみに、映画の冒頭と後半で2回朗読される詩は、エドガー・アラン・ポーの「大鴉」。これも運命の皮肉さを醸すのに一役買っている。この詩に出てくる「レノア」を「サラ」に置き換えるとジョンの物語になる、といっても誇張にはならないと思う。
ところで、ジョンはどのようにして超能力にめざめたのか。
映画版のジョンは、事故の日にサラと遊園地でデートし、ジェットコースターに乗り、その最中に激しい頭痛に襲われる。これが事の起こりであるかのように、ジェフリー・ボームの脚本は示唆している。
一方、原作のジョンは、少年時代にスケートで遊んでいる時、人とぶつかり頭を強く打って失神する。その直後に予知能力を発揮する。はっきりとは自覚していないが、この時点で、ジョンの脳の中にはデッドゾーンが生じ、「彼の脳の別の小さな部分」がうっすら目を開けている。
つまり、映画版のジョンは、事故に遭うまで平凡な一教師にすぎない。それが突然わけの分からない能力にめざめる。当然、そこに激しい戸惑いが生じる。原作のジョンは、少年時代から非凡である。事故に遭う前も、彼はカーニバルの屋台で大胆なギャンブルをして勝ち続ける。当たり目が見えたからだ。すでに彼はパワーを持っているのである。それが事故の後、完全に覚醒し、万能の透視能力を発揮する。映画版とは異なり、わりと積極的にパワーを駆使している節もある。心のどこかで、狂信的な母親が死ぬ前に口走った、「神はあなたに仕事を用意なさっている。神から逃げては駄目よ、ジョニー」という言葉にとらわれているのだ。
続く
(阿部十三)
(阿部十三)
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