八雲恵美子 〜美貌にあふれる情味〜
2014.12.19
八雲恵美子といえば、戦前の松竹蒲田を代表するスター女優である。単に美人の枠で括ることが憚られるほどの美人で、「夜光珠の如き美しさ」と評されたこともあるが、映画の中ではしばしばドラマティックな役を演じ、その整った美貌に女性らしい深い情を滲ませて、観客を魅了した。小津安二郎監督の『その夜の妻』(1930年)や『浮草物語』(1934年)を観ても、情熱的な芯を持った女優であることがよく分かる。
八雲は1903年生まれで、大阪市北区の旧家の出。子供の頃から長唄、清元、生田流琴を習い、奥伝を許されるほどだったという。しかし、10代後半で全てを捨てて恋人の後を追い、上海へ。数年後に帰国し、家に戻ることもかなわぬまま、身についた芸事を活かして芸妓になり、花柳界で人気を得た。市川荒太郎、東愛子夫婦の力添えで映画デビューしたのは1926年。島津保次郎、五所平之助、小津安次郎、野村芳亭、清水宏に気に入られ、松竹の看板女優になった。1995年9月号の『ノーサイド』(文藝春秋)の「キネマの美女」特集記事によると、「島津、五所という二人の名匠から求愛された」ことがあるらしい。活躍期間は10年余りで、引き際も潔く、1938年に引退。「八雲」というバーを経営し、戦後は実業家に転身して成功を収めた。
八雲はこみあげる感情を抑え、無理をしているような表情がうまい。抑えているようで、目の動きなどから情味がこぼれ出ている。口に出さなくとも、自分の感情が向かっている方向は、はっきりと示されている。そのパッションが、ここぞというときに奔出する。同じ日本美人でも、さりげない流し目をつかう飯塚敏子とはまた異なるタイプである。
『日本映画俳優全史ー女優編ー』(社会思想社)には、冷たい美貌ゆえに「男心を大きく揺さぶらないのではないか」とあるが、私は初めて八雲の出演作を観たとき、つまり『その夜の妻』を観たとき、大きく心を揺さぶられた。この映画の中で、彼女は病気の子供のために強盗を働いた夫を守ろうとして、刑事に拳銃を向ける。疲労と緊張と苦悩で頭がパンクしそうな状態のまま、いかにも不似合いな拳銃(しかも二丁拳銃)を持ち、刑事を監視するのである。思いつめたら何をするか分からないその大胆さ、ちょっとでもふれたら倒れそうな頼りなさを目にして、ひきつけられない男がいるだろうか。
『東京の合唱』(1931年)にも、失業した夫が娘の医療費を捻出するために無断で妻の着物を売り払い、それを後になって妻が知り、肩を落とす場面がある。しかし、家族が元気である以上に幸せなことはない。妻は、夫と2人の子供が「せっせっせ」をして遊んでいるところに加わり、涙を振り払い、笑顔を見せる。演出も素晴らしいが、演者も素晴らしい。ちなみに、『その夜の妻』も『東京の合唱』も夫役は岡田時彦である。究極の美男美女の夫婦、ここにありだ。
『浮草物語』での八雲の役は、旅芸人・市川喜八(坂本武)の一座の主演女優で、喜八の情婦でもあるおたか。嫉妬のあまり、妹分のおときをつかって、喜八の隠し子を恋の罠にかけ、喜八と修羅場を演じるという、エモーショナルな役どころである。喜八と絶交したおたかが、一座最後の夜、仲間たちの輪に加わって歌うまでの場面、列車の中で喜八にお酌をする場面など、とくに忘れ難い。しっとりとした魅力にあふれていて、ほれぼれする。いちおう付言しておくと、この頃は改名し、八雲理恵子と名乗っている。
ただ、これらの小津作品だけで八雲を語ることには物足りなさを感じる。やはり清水宏監督の傑作『不壊の白珠』(1929年)はどうしても観ておく必要がある。共演者は高田稔、及川通子、伊達里子、高尾光子という豪華さ。原作は菊池寛で、性格の異なる姉妹と一人の男をめぐるドラマティックな物語である。これは八雲の代表作のひとつと言ってよいだろう。清水の演出も意欲的で、空間の扱い方、人物のとらえ方がうまく、観る者をひきつけて離さない。
ここで八雲が演じているのは、秘めたる恋情に苦しむ女。ひそかに慕っていた男・成田(高田)を自由奔放な妹・玲子(及川)にとられ、絶望する姉・俊枝役である。成田と玲子は結婚するが、まもなく亀裂が生じ、玲子は昔のボーイフレンドと逢瀬を重ねる。一方、俊枝は成田のことを気にかけつつも、勤務先の会社の社長にプロポーズされて......。いわば「昼ドラ」的な展開なのだが、八雲と及川の演技が絶品で、見応えがある。とくに、夫を捨てて家を飛び出そうとする玲子を、俊枝が全力で制止する場面は圧巻だ。普段は物静かなのに、いざとなると毅然と立ち上がる俊枝のキャラクターは、八雲の存在あってこそ肉付けされるものだ、とまで言いたくなる。
八雲の出演作は100本ほどあるが、フィルムは数えるほどしか現存していないようである。しかし現存フィルムの数に関係なく、かくもエモーショナルな表現に長けていた女優が、その実力をきちんと顧みられることなく、外見のイメージから「冷たい」の一言で片付けられることがあるとすれば、それは美人への偏見であり、修正されなければならない。
【関連サイト】
八雲恵美子(八雲理恵子)
八雲は1903年生まれで、大阪市北区の旧家の出。子供の頃から長唄、清元、生田流琴を習い、奥伝を許されるほどだったという。しかし、10代後半で全てを捨てて恋人の後を追い、上海へ。数年後に帰国し、家に戻ることもかなわぬまま、身についた芸事を活かして芸妓になり、花柳界で人気を得た。市川荒太郎、東愛子夫婦の力添えで映画デビューしたのは1926年。島津保次郎、五所平之助、小津安次郎、野村芳亭、清水宏に気に入られ、松竹の看板女優になった。1995年9月号の『ノーサイド』(文藝春秋)の「キネマの美女」特集記事によると、「島津、五所という二人の名匠から求愛された」ことがあるらしい。活躍期間は10年余りで、引き際も潔く、1938年に引退。「八雲」というバーを経営し、戦後は実業家に転身して成功を収めた。
八雲はこみあげる感情を抑え、無理をしているような表情がうまい。抑えているようで、目の動きなどから情味がこぼれ出ている。口に出さなくとも、自分の感情が向かっている方向は、はっきりと示されている。そのパッションが、ここぞというときに奔出する。同じ日本美人でも、さりげない流し目をつかう飯塚敏子とはまた異なるタイプである。
『日本映画俳優全史ー女優編ー』(社会思想社)には、冷たい美貌ゆえに「男心を大きく揺さぶらないのではないか」とあるが、私は初めて八雲の出演作を観たとき、つまり『その夜の妻』を観たとき、大きく心を揺さぶられた。この映画の中で、彼女は病気の子供のために強盗を働いた夫を守ろうとして、刑事に拳銃を向ける。疲労と緊張と苦悩で頭がパンクしそうな状態のまま、いかにも不似合いな拳銃(しかも二丁拳銃)を持ち、刑事を監視するのである。思いつめたら何をするか分からないその大胆さ、ちょっとでもふれたら倒れそうな頼りなさを目にして、ひきつけられない男がいるだろうか。
『東京の合唱』(1931年)にも、失業した夫が娘の医療費を捻出するために無断で妻の着物を売り払い、それを後になって妻が知り、肩を落とす場面がある。しかし、家族が元気である以上に幸せなことはない。妻は、夫と2人の子供が「せっせっせ」をして遊んでいるところに加わり、涙を振り払い、笑顔を見せる。演出も素晴らしいが、演者も素晴らしい。ちなみに、『その夜の妻』も『東京の合唱』も夫役は岡田時彦である。究極の美男美女の夫婦、ここにありだ。
『浮草物語』での八雲の役は、旅芸人・市川喜八(坂本武)の一座の主演女優で、喜八の情婦でもあるおたか。嫉妬のあまり、妹分のおときをつかって、喜八の隠し子を恋の罠にかけ、喜八と修羅場を演じるという、エモーショナルな役どころである。喜八と絶交したおたかが、一座最後の夜、仲間たちの輪に加わって歌うまでの場面、列車の中で喜八にお酌をする場面など、とくに忘れ難い。しっとりとした魅力にあふれていて、ほれぼれする。いちおう付言しておくと、この頃は改名し、八雲理恵子と名乗っている。
ただ、これらの小津作品だけで八雲を語ることには物足りなさを感じる。やはり清水宏監督の傑作『不壊の白珠』(1929年)はどうしても観ておく必要がある。共演者は高田稔、及川通子、伊達里子、高尾光子という豪華さ。原作は菊池寛で、性格の異なる姉妹と一人の男をめぐるドラマティックな物語である。これは八雲の代表作のひとつと言ってよいだろう。清水の演出も意欲的で、空間の扱い方、人物のとらえ方がうまく、観る者をひきつけて離さない。
ここで八雲が演じているのは、秘めたる恋情に苦しむ女。ひそかに慕っていた男・成田(高田)を自由奔放な妹・玲子(及川)にとられ、絶望する姉・俊枝役である。成田と玲子は結婚するが、まもなく亀裂が生じ、玲子は昔のボーイフレンドと逢瀬を重ねる。一方、俊枝は成田のことを気にかけつつも、勤務先の会社の社長にプロポーズされて......。いわば「昼ドラ」的な展開なのだが、八雲と及川の演技が絶品で、見応えがある。とくに、夫を捨てて家を飛び出そうとする玲子を、俊枝が全力で制止する場面は圧巻だ。普段は物静かなのに、いざとなると毅然と立ち上がる俊枝のキャラクターは、八雲の存在あってこそ肉付けされるものだ、とまで言いたくなる。
八雲の出演作は100本ほどあるが、フィルムは数えるほどしか現存していないようである。しかし現存フィルムの数に関係なく、かくもエモーショナルな表現に長けていた女優が、その実力をきちんと顧みられることなく、外見のイメージから「冷たい」の一言で片付けられることがあるとすれば、それは美人への偏見であり、修正されなければならない。
(阿部十三)
【関連サイト】
八雲恵美子(八雲理恵子)
[八雲恵美子略歴]
1903年8月15日、大阪生まれ。幼児より長唄、清元、日本舞踊、生田流琴を習い、秀でた才能を示す。18歳のとき、両親の反対を押し切り、恋人の後を負って上海へ。数年後に帰国し、芸妓として人気を得た後、市川荒太郎、東愛子夫婦を頼って映画界に進出。1926年、五所平之助監督の『初恋』でデビュー。五所監督とは『彼女』(1926年)や『村の花嫁』(1928年)をはじめ多くの作品でコンビを組んだ。ほかにも野村芳亭、牛原虚彦、島津保次郎、清水宏、小津安二郎の作品に出演。1938年に引退し、実業家に転身して成功した。1979年1月13日死去。
1903年8月15日、大阪生まれ。幼児より長唄、清元、日本舞踊、生田流琴を習い、秀でた才能を示す。18歳のとき、両親の反対を押し切り、恋人の後を負って上海へ。数年後に帰国し、芸妓として人気を得た後、市川荒太郎、東愛子夫婦を頼って映画界に進出。1926年、五所平之助監督の『初恋』でデビュー。五所監督とは『彼女』(1926年)や『村の花嫁』(1928年)をはじめ多くの作品でコンビを組んだ。ほかにも野村芳亭、牛原虚彦、島津保次郎、清水宏、小津安二郎の作品に出演。1938年に引退し、実業家に転身して成功した。1979年1月13日死去。
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