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テレサ・ライト 〜その笑顔が輝くとき〜

2015.10.27
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 テレサ・ライトには純情で明るくて一緒にいると楽しそうなアメリカ女性というイメージがある。肩のラインの高い服がよく似合い、肌の露出は少なめで、濃密な色気で男を降参させる感じではないが、可憐でほのかな色気を匂わせるところがかえって男心をくすぐる。かつて彼女のような女性とデートしたい、結婚したいと夢見ていた男性は多かった。日活出身でオペラ演出家の三谷礼二は、その世代を代表して、「テレサを語ることは『アメリカの夢』を語ることであり、戦後のアメリカ映画で精神形成をした人たちにとっては『青春の夢』を語ることなのだ」(文藝春秋編『女優ベスト150 わが青春のアイドル』)と書いている。

 慈愛のこもった美しい瞳と輝く笑顔で観客を虜にしたテレサだが、女優としての評価が高いのは、その演技力がずば抜けていたからだ。それも巧さをいちいち感じさせない自然な演技で、難役を難なくこなしているように見える。あのベディ・デイヴィスと対立する娘を演じた『偽りの花園』(1941年)が映画初出演作だったとはとても信じられない。

 テレサの代表作は1940年代に集中している。その中で彼女が演じた役は、家庭的で純情なイメージの枠を超えてドラマティックである。ウィリアム・ワイラー監督の『偽りの花園』では、不和に陥った両親の間で苦しむ娘を演じ、母親が父親に向かって憎悪の言葉を放ったとき、感情を爆発させる。アルフレッド・ヒッチコック監督の『疑惑の影』(1943年)では、同居することになった大好きな叔父が連続殺人犯だと知り、愛から憎しみへと転ずる娘を演じている。叔父に「(町から)出て行かないなら私が殺すわ」と言い放つシーンまである。ワイラーの『我等の生涯の最良の年』(1946年)は模範的な父母を持つしっかり者の長女の役だが、やがて不幸な結婚をした男に恋してしまう。そして心配する両親に「あの家庭を壊すわ」と宣言する。ラオール・ウォルシュ監督の『追跡』(1947年)でのテレサは、兄を殺した男と結婚する娘の役で、「私が欲しいなら結婚してやる。でもその瞬間、彼はすべてを失う。私が殺すから」という台詞がある。どの作品にも眩い笑顔があり、狂おしい嘆きがある。結局、彼女は身を持ち崩すような真似はしないのだが、心理的な側面では驚くほど激しい起伏を経験するヒロインを演じたと言っていいだろう。

 アカデミー助演女優賞を受賞した『ミニヴァー夫人』(1942年)やルー・ゲーリックの妻を演じた『打撃王』(1942年)は、ともに愛らしさと聡明さを兼ね備えたお嬢様の役。コミカルな場面での軽妙さもたまらない。その笑顔が輝くのを目にすると、なんとなく人生捨てたものではないという気持ちにさえなってくる。それだけに、トーンが重くなるラストの方では本当に胸が痛くなる。テレサが演じたからこそ、女性はもとより、男性でもヒロインに感情移入しやすくなっているのだ。『打撃王』のゲイリー・クーパーとは息もぴったり。おそらくクーパーのことを羨んだテレサのファンは多かったのではないか(比較的露出多めのビーチスタイルも披露している)。『クーパーの花婿物語』(1944年)もお嬢様の役。これはカサノバの子孫と勢いで結婚し、その後生まれた赤ん坊をめぐってドタバタするコメディで、一言でいえば凡作だが、テレサの演技はきめ細やかで手抜きがない。

 英語の発音もきれいで、声のトーンを細かく使い分けるのがうまい。『征服者』(1952年)は分かりやすい例。男まさりのヒロインの声は鋭く響くが、干し草の上で愛を語るときはやさしく陶酔的になる。基本的には明瞭な発声なので、『男たち』(1950年)で共演したマーロン・ブランドのような俳優が相手だと、差がはっきりと出る。

 もともとテレサ・ライトはヘレン・ヘイズに憧れて女優を志し、ブロードウェイの舞台で注目されて映画界に進出した。誰がテレサを発見したのかという点について、大プロデューサーのサミュエル・ゴールドウィンは自分だと言い張り、劇作家のリリアン・ヘルマンは「もちろん私が彼女を見つけて『偽りの花園』に抜擢したのよ」と言っている。真相ははっきりしないが、そんな小競り合いが起こるほどテレサの存在は特別だったのだ。

 テレサは1990年代まで映画に出演し続け、切ないストーリーとラフマニノフの名旋律が泣かせる『ある日どこかで』(1980年)でも、若手弁護士の奮闘を描いた『レインメーカー』(1997年)でも、素晴らしい演技をみせた。若い頃可憐だったハリウッド女優が老年になって誰だか分からなくなるパターンは珍しくないが、テレサにはそういうことは起こらなかった。誰もが、出てきた瞬間すぐに「彼女だ」と分かるだろう。目の愛らしさも慈愛のオーラも、往年のファンを裏切るものではなかった。かつてヘレン・ヘイズが『大空港』(1970年)に出演したとき、ファンが感じたであろう嬉しさを、テレサはこれらの作品を通じて我々に体験させてくれたのだ。私はだいぶ遅れてきたファンだが、テレサのためだけに『レインメーカー』を観に行き、思いのほか出番が多かったことに満足したものである。
(阿部十三)


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Teresa Wright
[テレサ・ライト略歴]
1918年10月27日、ニューヨーク生まれ。本名はミュリエル・テレサ・ライト。ヘレン・ヘイズの舞台を観て女優を志し、マサチューセッツ州プロヴィンスタウンのワーフ劇場で演技を学ぶ。1938年、ソーントン・ワイルダーの『我等の町』でブロードウェイ・デビュー。ロングラン・ヒットした『父との生活』のメアリー役で注目され、映画界に招かれて、1941年に『偽りの花園』で映画デビュー。早速アカデミー助演女優賞にノミネートされる。1942年公開の『ミニヴァー夫人』でアカデミー助演女優賞を受賞、『打撃王』で同主演女優賞にノミネートされ、国民的スターになった。この時期は脚本家のニーヴン・ブッシュと結婚し、公私ともに充実していた。1952年に離婚後、1959年には『お茶と同情』の脚本家ロバート・アンダーソンと再婚。1960年代には舞台に復帰。以降、映画出演は減ったが、『ローズランド』『ある日どこかで』『レインメーカー』などで印象的な演技をみせた。1957年公開の『二人の可愛い逃亡者』のために来日し、藤田進や三宅邦子と共演したこともある。2005年3月6日死去。