映画 MOVIE

マーガレット・ロックウッド 〜イギリスを虜にした美と悪徳〜

2015.12.08
Margaret Lockwood a1.jpg
 マーガレット・ロックウッドは1940年代のイギリス映画を代表する女優である。当時、悪の魅力を撒き散らしたジェームズ・メイスンがゲインズボロー・ピクチャーズの王座にあるとするならば、ロックウッドは王妃の座にある。美貌も演技力も満点と言っていい彼女は、『バルカン超特急』(1938年)のヒロインとして名を馳せた後、『灰色の男』(1943年)や『妖婦』(1945年)で目的のためには手段を選ばない悪女を演じ、戦中から戦後にかけてイギリス映画界を盛り上げた。

 得意としたキャラクターは、弁が立ち、我が強そうで、男性と対等にわたりあう女性。その柔軟な演技力は、軽い役にも重い役にもフィットした。しかも超が付くほどのスレンダー美人で、一度見たら忘れられないほど綺麗な目と色っぽい唇の持ち主でもあった。

 1916年9月15日生まれ。イギリス領時代のカラチ出身で、ロンドンで教育を受け、1928年に初舞台を踏んだ。以降、多くの舞台に出演、映画でも目立つ役を与えられ、1938年にはアルフレッド・ヒッチコック監督の『バルカン超特急』のヒロインの座を射止めた。ここから10年間が絶頂期である。

 『バルカン超特急』でロックウッドが演じたのは、列車内での「老女消失」事件に巻き込まれるアイリス役。勝ち気さ、愛らしさ、軽妙さの全ての面ではまり役だ。映画の序盤はギルバート(マイケル・レッドグレイヴ)とのやりとりで間延びしているが、途中からどんどん緊張感が増してくる。最初の15分間で映画の良し悪しを決める人には向いていない作品だが、イギリス時代のヒッチコックの傑作として人気が高い。

 ホームグラウンドはあくまでもイギリスで、ハリウッドに染まることはなかった。彼女にとってハリウッドでの仕事は何の足しにもならなかったと言ってよい。インディアンのイメージに一石を投じた『Susannah of the Mounties』(1939年)でも、お飾り的な役に徹しており、おいしいところは全て子役のシャーリー・テンプルに持って行かれている。ただ、この作品はカラーなので、若き日のロックウッドの圧倒的な美しさをはっきりと確認することができる。そういう意味では一見の価値がある。

 ロックウッドはキャロル・リード監督の初期作品の常連で、その中でさまざまな役柄を演じていた。『星は見下ろす』(1940年)では勢いで結婚して、結局は夫(マイケル・レッドグレイヴ)を裏切る妻を好演しているが、この共感を得にくい役が「悪女・妖婦=ロックウッド」の始まりと言えるかもしれない。

 『灰色の男』では冷徹な貴族ローン(ジェームズ・メイスン)と悪魔的な愛の契りを交わすヘスターを生き生きと演じている。ヘスターは羨望、嫉妬、野心、独占欲、出世欲の塊であり、ローンと結婚した裕福な同窓生クラリッサ(フィリス・カルヴァート)を陥れようとする汚い人間だが、同時に背徳的な愛の奴隷でもある。誰も共感できない愛情、周囲を巻き込む迷惑な愛情であっても、彼女はそれに従順に生き、何の良心の呵責もなく邪魔者を消し、幸福を手に入れようとして、報いを受けるのだ。このヘスターをより過激にアレンジしたのが『妖婦』のバーバラで、彼女もまた欲しいものを手に入れるために誘惑と陥穽を仕掛けるが、やはりヘスターと似たような末路を辿る。こういう映画を観るにつけ、マルキ・ド・サドの「ジュリエット」をロックウッドが演じていたらどんなに素敵だったろうと想像したくなる。

 1940年代後半からはさらに役の幅を広げ、『Madness of the Heart』(1949年)で突然視力を失う花嫁、『Highly Dangerous』(1950年)でスパイ活動に身を投じる昆虫学者の役に挑戦。いずれも日本未公開だが、女優としての成熟ぶりを示す作品であり、ストーリーには突っ込みどころがあるものの、細かいことを気にしなければ十分楽しめる。何よりロックウッドが出ずっぱりなのが嬉しい。

 『Madness of the Heart』はヒッチコック作品の脚本でも知られるチャールズ・ベネットが手がけた初監督作。批評家のウケは良くなかったようだが、演出の手際は悪くない。ヒッチコックが映画化したダフネ・デュ・モーリア原作の『レベッカ』を彷彿とさせる内容なので、あわせて観るのも一興だろう。

 主人公は美しく聡明なリディア。彼女にはポールという御曹司の恋人がいるのだが、視力を失って絶望し、修道院に入る。そこであれこれ葛藤した末、再び俗世間に出て、変わらぬ愛を誓うポールと大邸宅で結婚生活をスタートさせる。しかし、目の見えない自分に対する周囲の人々の冷ややかな態度が徐々にあらわになり、ポールの妻の座を狙うヴェリテ(キャスリーン・バイロン)の策略により精神的に追い込まれる。キャスリーン・バイロンと言えば、デボラ・カー主演の『黒水仙』(1947年)の終盤をホラー映画に一変させた女優。ここでも邪悪なオーラで映画のトーンを冷たくしている。終盤はリディアによる逆転劇になり、本来は盛り上がるべきところなのだが、やや物足りない。そもそも(いくら修道院に入っていたとはいえ)リディアが人の善意を信じすぎるところに、設定上の無理があるのだ。むろん、ロックウッドは健闘しているし、激しく揺れ動く心理表現も素晴らしいと思う。

 『Highly Dangerous』は冷戦時代の話。イギリスの昆虫学者フランシスは諜報活動に協力し、鉄のカーテンの向こう側へ。そこで出会った新聞記者(デイン・クラーク)と共に敵の軍事施設に潜入し、昆虫兵器の存在を確認する。脚本を書いたのはエリック・アンブラー。昆虫兵器の開発は実際にありそうなことだし、ストーリーとしては面白い。といっても緊張感はさほどなく、軽快なテンポで貫かれている。絶体絶命の状況から案外すんなり切り抜けるところや、昆虫学者が一流の諜報員顔負けの勇敢さを示すところはご愛嬌。ショートヘア&白衣姿のロックウッドは見るからに知的でサマになっている。これが本当の「美人すぎる」学者といったところか。

 この映画には別の楽しみ方もある。『バルカン超特急』とその不完全な亜流作品『ミュンヘンへの夜行列車』(1940年)でコメディリリーフを受け持っていたナントン・ウェインが出演しているのだ。そして、列車内のシーンが印象的に使われている(そこにはナントン・ウェインは出てこないけど)。ロックウッド・ファンなら誰もが過去作品へのオマージュとして受け取るはずだ。

 1940年代後半からは再び舞台に立ち、『ピーター・パン』『私生活』などで多くの観客を動員。映画の本数は徐々に減ったが、テレビには出演し続けた。最後にスクリーンに登場したのは、シンデレラをベースにしたミュージカル『The Slipper and the Rose』(1976年)で、ロックウッドは自身のキャリアに相応しく継母役を完璧に演じ、「The Wicked Lady」の本領を発揮した。

 彼女ほど品のある美女が悪女役で評価されるというのもイギリスらしいユニークな話だが、当時はそれで人気が上がることはあっても下がることはなかった。イギリスのデイリー・メール・ナショナル・フィルム・アワードでも1946年から1948年まで3年連続で女優賞を受賞している。ただの美人では終わらない個性、演技に対する真摯さ、男性を圧倒するほどの存在感が支持されたのだろう。彼女の熱狂的なファンである私なりに総括させてもらうなら、外見のクラシカルな美しさゆえ下品さは全く感じさせないものの、「美人で性格も良い」というヒロイン幻想を打ち砕き、己の感情と欲望に正直な女性の生きざまを鮮やかに演じきったアイコン、それがマーガレット・ロックウッドなのである。
(阿部十三)


【関連サイト】
Margaret Lockwood
[マーガレット・ロックウッド略歴]
1916年9月15日、イギリス領カラチ生まれ。1920年からロンドンで過ごし、1928年に舞台デビュー。映画デビュー作は1934年の『Lorna Doone』。1938年、キャロル・リード監督の『Bank Holiday』でスターの仲間入りを果たす。さらに同年、アルフレッド・ヒッチコック監督の『バルカン超特急』に出演し、人気は決定的なものに。1940年代は『灰色の男』『妖婦』『ベデリア』『狂乱の狼火』と立て続けに名作・話題作に出演。1940年代後半から再び舞台に立つようになり、テレビドラマにも出演。1955年、ダーク・ボカードと共演した『Cast a Dark Shadow』以降、映画の仕事はほとんどしていないが、1976年にシンデレラ・ミュージカル『The Slipper and the Rose』で継母役を演じて健在ぶりを示した。1990年7月15日死去。私生活では一度結婚したものの離婚。娘のジュリアも女優になり、母親の主演作『狂乱の狼火』などに子役として出演した。