千葉早智子 〜P.C.L.の看板スター〜
2016.12.30
P.C.L.の看板スターといえば千葉早智子である。彼女は名家の出だが、ただのお嬢様ではない。宮城道雄に箏を教わり、師の代役として尺八の吉田晴風とアメリカ各地で演奏を行った経歴の持ち主である。おまけに美貌にも美声にも恵まれていたのだから、トーキーに移行した映画界から声がかかるのも時間の問題だった。
銀幕にデビューしたのは1933年、22歳のとき。オペラ歌手の藤原義江が映画出演するにあたり、「相手役を映画畑の人でなく、音楽畑の人から選んで欲しい」と注文をつけたため、藤原のマネージャーだった塚本嘉次郎が千葉を推薦したのである。これで注目を浴びた千葉は、設立して間もないP.C.L.と契約。その際、間に立ったのは吉田晴風で、彼はP.C.L.側に「夜9時くらいまでに帰宅させること」「車で自宅まで届けること」「変な映画に出演させないこと」を条件に出したという。乳母日傘である。まもなく千葉は『音楽喜劇 ほろよひ人生』(1933年)に出演してビール売りの少女役を好演、早々と人気を獲得し、スター女優の仲間入りを果たした。
P.C.L.の監督たちは千葉にやさしく接していたようだが、そこへタイプの異なる監督が現れる。後の名監督、成瀬巳喜男だ。2人が初めて組んだ作品は、軽いタッチの『女優と詩人』(1935年)。その後の『妻よ薔薇のやうに』(1935年)で、成瀬が求める演技のレベルが俄に高くなった。千葉が苦しんだのは、冒頭のオフィスのシーン。どうしても監督の気に入るように目線を移せない。監督は何も言わず、煙草を吸いに行く。ついに千葉は泣き出す。監督は困り果て、細かく指導する。ーーこんな出来事から恋が始まり、2年後(1937年)、2人は結婚した。
現在、千葉早智子の名前が話題にのぼるのは、もっぱらこの作品のヒロインとしてである。ここで彼女が演じたのは女流歌人の娘、君子。彼女は聡明な女性で、男相手でも物怖じしない。結婚を決めた恋人にもずけずけと物を言う。そんな彼女からすると、家を出て芸者上がりの女と山で暮らし、子供までこしらえている自分の父親のことが許せない。しかし、父親を連れ戻すべく、勇んで山へ行ってみると、そこには貧しいながらも温かみのある幸せな家庭があり、芸者上がりの女はというと心から父親のことを愛し、尽くしている。その献身的な愛情は、自分の母親には全く欠けているものだったーー。
『妻よ薔薇のやうに』はキネマ旬報のベストワンに選ばれ、千葉のみならず成瀬監督の代表作にもなった。効果的に挿入される窓や障子の外からの(俯瞰も含む)ショット、そして役者に窓辺にすわらせる演技、振り返らせる演技、その際の緻密に計算された目線の位置など、細かいカットが意味深く且つ淀みなく繋がっているところは、さすがである。
颯爽とした千葉早智子の洋装のシルエットはいかにも華やかだが、和装姿も美しい。何より笑顔が陽光のように眩しく、愛らしく、そこに婚約者(大川平八郎)との軽妙のやりとりも加わって、映画自体をじめじめした重さから救っている。『妻よ薔薇のやうに』という題と話の内容のずれには違和感があるが、実際にスクリーンに出てくるタイトルは『二人妻 "妻よ薔薇のやうに"』であり、「二人妻」の文字の方が大きく記されていることを付記しておく。
これに対し、次の『噂の娘』(1935年)は、経営難に陥った老舗の酒問屋の話で、悲哀が強調されている。上映時間は短いが、ドラマの密度は濃い。千葉の役はしっかり者の古風な長女、邦江。彼女は見合いの相手(大川平八郎)をモダンガールの妹(梅園龍子)に奪われ、さらに、父親が売り物の酒に手を加えたため警察に捕まる、という悲劇を体験することになる。千葉の美人ぶりは相変わらずだが、所帯じみた雰囲気もきちんと出ており、女優として芸格を上げた感がある。雨の日、父親が酒に混ぜ物をしている現場へ行き、「お父さん、本当のことを話してください」と言うシーンは見せ場の一つで、表情を変に動かさず、目だけで複雑な感情を表現している。邦江が酒(混ぜ物をした状態)を樽から瓶に移しながら、首を動かして、心配そうに父親の様子を見るところも良い。ここのカットはサスペンス的で、成瀬監督の演出が冴えている。
山本嘉次郎監督の『吾輩は猫である』(1936年)では、水島寒月に惚れる金田のお嬢様役を好演。高慢ちきでいやみな女だが、何か憎めない。芝居をすることになったものの、舞台の本番直前、寒月が観に来ないと知り、落ち込むシーンは笑える。その際、越智東風に木綿の舞台衣装を渡されたお嬢様は、木綿の服はごつごつしていやだとごねる。「だって、わたし、生まれてから木綿もんなんか着たことないんですもの」ーーその声と横目遣いが最高だ。千葉の声のトーンは澄んでいて美しいが(歌の録音もある)、時折発せられる鼻にかかったような声は、後年の岸惠子のそれを思い起こさせる。声といえば、成瀬監督との出会いの作となった『女優と詩人』で、童謡作家である夫、二ツ木月風を「ゲップー」と呼び捨てにする甘い声も印象的だ。
成瀬監督は千葉に惚れ込み、千葉の母親(母方は浅野家の漢学者の出。年代的には石川丈山や山鹿素行などと重なるだろうか)が求めた通りに姓を捨て、婿養子に入った。2人の間には子供も生まれた。しかし家柄の違いゆえ、千葉の母親と成瀬の関係がこじれてしまい、母親から「自分を取るか、夫を取るか」と迫られた千葉は結局離婚を選んだ。『キネマ旬報』のインタビュー(1987年1月下旬号)によると、離婚後も千葉は成瀬監督の家を訪ねていたらしく、成瀬の方は「俺は7年待とう。7年経って、もしその時にお母さんが亡くなってたら、成瀬の家に嫁いできて欲しい」と言っていたようだ。
離婚後は脇に回ることが多くなり、母親からも映画の仕事をやめてほしいと言われ、潔く引退。渋谷に高級料亭の吉兆荘を開き、財界人と交流を持った。占領軍が来て、応接間で秘密会議を行うこともあったという。
大女優とは言えないまでも、一時代を魅了したスター女優である。後世に残る代表作もある。実生活では名監督の妻として過ごし、引退後も出会いに恵まれ、才能と強運とを失うことなく、陽のあたる場所にいた。いや、正しくは、陽光のような笑顔を持つ彼女こそが太陽そのものであり、強運な人々の方が彼女のことを求めていたのかもしれない。美男美女が華やかな世界で身を持ち崩して消える話は世に尽きないが、千葉早智子のような例もあるのだ。
[参考文献]
千葉早智子・村川英「成瀬巳喜男監督と私」(『キネマ旬報 1987年1月下旬号』 キネマ旬報社)
村川英「千葉早智子と成瀬巳喜男」(『キネマ旬報 1994年1月下旬号』 キネマ旬報社)
【関連サイト】
千葉早智子
銀幕にデビューしたのは1933年、22歳のとき。オペラ歌手の藤原義江が映画出演するにあたり、「相手役を映画畑の人でなく、音楽畑の人から選んで欲しい」と注文をつけたため、藤原のマネージャーだった塚本嘉次郎が千葉を推薦したのである。これで注目を浴びた千葉は、設立して間もないP.C.L.と契約。その際、間に立ったのは吉田晴風で、彼はP.C.L.側に「夜9時くらいまでに帰宅させること」「車で自宅まで届けること」「変な映画に出演させないこと」を条件に出したという。乳母日傘である。まもなく千葉は『音楽喜劇 ほろよひ人生』(1933年)に出演してビール売りの少女役を好演、早々と人気を獲得し、スター女優の仲間入りを果たした。
P.C.L.の監督たちは千葉にやさしく接していたようだが、そこへタイプの異なる監督が現れる。後の名監督、成瀬巳喜男だ。2人が初めて組んだ作品は、軽いタッチの『女優と詩人』(1935年)。その後の『妻よ薔薇のやうに』(1935年)で、成瀬が求める演技のレベルが俄に高くなった。千葉が苦しんだのは、冒頭のオフィスのシーン。どうしても監督の気に入るように目線を移せない。監督は何も言わず、煙草を吸いに行く。ついに千葉は泣き出す。監督は困り果て、細かく指導する。ーーこんな出来事から恋が始まり、2年後(1937年)、2人は結婚した。
現在、千葉早智子の名前が話題にのぼるのは、もっぱらこの作品のヒロインとしてである。ここで彼女が演じたのは女流歌人の娘、君子。彼女は聡明な女性で、男相手でも物怖じしない。結婚を決めた恋人にもずけずけと物を言う。そんな彼女からすると、家を出て芸者上がりの女と山で暮らし、子供までこしらえている自分の父親のことが許せない。しかし、父親を連れ戻すべく、勇んで山へ行ってみると、そこには貧しいながらも温かみのある幸せな家庭があり、芸者上がりの女はというと心から父親のことを愛し、尽くしている。その献身的な愛情は、自分の母親には全く欠けているものだったーー。
『妻よ薔薇のやうに』はキネマ旬報のベストワンに選ばれ、千葉のみならず成瀬監督の代表作にもなった。効果的に挿入される窓や障子の外からの(俯瞰も含む)ショット、そして役者に窓辺にすわらせる演技、振り返らせる演技、その際の緻密に計算された目線の位置など、細かいカットが意味深く且つ淀みなく繋がっているところは、さすがである。
颯爽とした千葉早智子の洋装のシルエットはいかにも華やかだが、和装姿も美しい。何より笑顔が陽光のように眩しく、愛らしく、そこに婚約者(大川平八郎)との軽妙のやりとりも加わって、映画自体をじめじめした重さから救っている。『妻よ薔薇のやうに』という題と話の内容のずれには違和感があるが、実際にスクリーンに出てくるタイトルは『二人妻 "妻よ薔薇のやうに"』であり、「二人妻」の文字の方が大きく記されていることを付記しておく。
これに対し、次の『噂の娘』(1935年)は、経営難に陥った老舗の酒問屋の話で、悲哀が強調されている。上映時間は短いが、ドラマの密度は濃い。千葉の役はしっかり者の古風な長女、邦江。彼女は見合いの相手(大川平八郎)をモダンガールの妹(梅園龍子)に奪われ、さらに、父親が売り物の酒に手を加えたため警察に捕まる、という悲劇を体験することになる。千葉の美人ぶりは相変わらずだが、所帯じみた雰囲気もきちんと出ており、女優として芸格を上げた感がある。雨の日、父親が酒に混ぜ物をしている現場へ行き、「お父さん、本当のことを話してください」と言うシーンは見せ場の一つで、表情を変に動かさず、目だけで複雑な感情を表現している。邦江が酒(混ぜ物をした状態)を樽から瓶に移しながら、首を動かして、心配そうに父親の様子を見るところも良い。ここのカットはサスペンス的で、成瀬監督の演出が冴えている。
山本嘉次郎監督の『吾輩は猫である』(1936年)では、水島寒月に惚れる金田のお嬢様役を好演。高慢ちきでいやみな女だが、何か憎めない。芝居をすることになったものの、舞台の本番直前、寒月が観に来ないと知り、落ち込むシーンは笑える。その際、越智東風に木綿の舞台衣装を渡されたお嬢様は、木綿の服はごつごつしていやだとごねる。「だって、わたし、生まれてから木綿もんなんか着たことないんですもの」ーーその声と横目遣いが最高だ。千葉の声のトーンは澄んでいて美しいが(歌の録音もある)、時折発せられる鼻にかかったような声は、後年の岸惠子のそれを思い起こさせる。声といえば、成瀬監督との出会いの作となった『女優と詩人』で、童謡作家である夫、二ツ木月風を「ゲップー」と呼び捨てにする甘い声も印象的だ。
成瀬監督は千葉に惚れ込み、千葉の母親(母方は浅野家の漢学者の出。年代的には石川丈山や山鹿素行などと重なるだろうか)が求めた通りに姓を捨て、婿養子に入った。2人の間には子供も生まれた。しかし家柄の違いゆえ、千葉の母親と成瀬の関係がこじれてしまい、母親から「自分を取るか、夫を取るか」と迫られた千葉は結局離婚を選んだ。『キネマ旬報』のインタビュー(1987年1月下旬号)によると、離婚後も千葉は成瀬監督の家を訪ねていたらしく、成瀬の方は「俺は7年待とう。7年経って、もしその時にお母さんが亡くなってたら、成瀬の家に嫁いできて欲しい」と言っていたようだ。
離婚後は脇に回ることが多くなり、母親からも映画の仕事をやめてほしいと言われ、潔く引退。渋谷に高級料亭の吉兆荘を開き、財界人と交流を持った。占領軍が来て、応接間で秘密会議を行うこともあったという。
大女優とは言えないまでも、一時代を魅了したスター女優である。後世に残る代表作もある。実生活では名監督の妻として過ごし、引退後も出会いに恵まれ、才能と強運とを失うことなく、陽のあたる場所にいた。いや、正しくは、陽光のような笑顔を持つ彼女こそが太陽そのものであり、強運な人々の方が彼女のことを求めていたのかもしれない。美男美女が華やかな世界で身を持ち崩して消える話は世に尽きないが、千葉早智子のような例もあるのだ。
(阿部十三)
[参考文献]
千葉早智子・村川英「成瀬巳喜男監督と私」(『キネマ旬報 1987年1月下旬号』 キネマ旬報社)
村川英「千葉早智子と成瀬巳喜男」(『キネマ旬報 1994年1月下旬号』 キネマ旬報社)
【関連サイト】
千葉早智子
[千葉早智子略歴]
1911年2月16日、広島県生まれ。歌の才能にも楽器の演奏の才能にも恵まれ、やがて宮城道雄の弟子として頭角をあらわし、アメリカで演奏旅行を行う(その際、カーネギーホールでも演奏している)。イタリア・オペラを勉強するつもりでいたが、オペラ歌手の藤原義江主演作に出ないかというオファーを受け、1933年に『叫ぶ亜細亜』で映画デビュー。P.C.L.と契約し、『音楽喜劇 ほろよひ人生』でスターの座に就いた。その後、成瀬巳喜男監督と出会い、1935年に同監督の『妻よ薔薇のやうに』『噂の娘』で女優として評価される。1937年、成瀬巳喜男と結婚。1940年、離婚。間もなく引退し、料亭を開き、経営者として成功を収めた。1993年10月22日、死去。
1911年2月16日、広島県生まれ。歌の才能にも楽器の演奏の才能にも恵まれ、やがて宮城道雄の弟子として頭角をあらわし、アメリカで演奏旅行を行う(その際、カーネギーホールでも演奏している)。イタリア・オペラを勉強するつもりでいたが、オペラ歌手の藤原義江主演作に出ないかというオファーを受け、1933年に『叫ぶ亜細亜』で映画デビュー。P.C.L.と契約し、『音楽喜劇 ほろよひ人生』でスターの座に就いた。その後、成瀬巳喜男監督と出会い、1935年に同監督の『妻よ薔薇のやうに』『噂の娘』で女優として評価される。1937年、成瀬巳喜男と結婚。1940年、離婚。間もなく引退し、料亭を開き、経営者として成功を収めた。1993年10月22日、死去。
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