映画 MOVIE

『遊星からの物体X』 〜12人の恐れる男〜

2020.07.24
リメイク映画

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 ジョン・カーペンター監督の『遊星からの物体X』(1982年)はリメイク映画である。原作は1938年に発表されたジョン・W・キャンベルJr.の短編小説「影が行く」で、1951年に初めて映画化された(製作はハワード・ホークス)。手短に言うと、原作は心理サスペンスとして怖く、ホークス製作版はおぞましい地球外生命体が出てくるモンスター映画として怖い。カーペンターは両方の怖さを合わせる形でリメイクしたのである。

逃げる犬

 語り尽くされた感のある作品だが、ストーリーをざっと紹介しておこう。まず宇宙からの視点で、円盤が地球に落下するところが映された後、タイトル(原題『THE THING』)が現れる。所かわって舞台は南極、ノルウェイ観測隊のヘリコプターが雪原を走る一匹の犬を追っている。そのヘリから男が何かに取り憑かれたかのように、執拗に銃を撃っている。犬狩りでもしているのだろうか。

 やがて犬はアメリカの南極基地(アメリカ国立科学研究所第4基地)にやって来る。ヘリから降りた男は、銃を撃ち続ける。戸惑うアメリカの観測隊員たち。仕方なく隊長ギャリー(ドナルド・モファット)がノルウェイ人の男を射殺、犬は無事保護される。

お互いを怪しむムード

 このことをノルウェイ側に知らせなければならない。アメリカ基地の通信機器は故障しているため、マクレディ(カート・ラッセル)らはヘリコプターでノルウェイ基地に向かう。そこで彼らが見たものは、焼けた建物と死体だった。地球上のものとは思われないような異様な生物(物体)が焼けているのを見つけた彼らは、調査のためにそれを持ち帰ることにする。

 その晩、保護した犬がアメリカ基地内の犬小屋で変形し、見るもおぞましい形の生物となり、ほかの犬を襲う。さらに、ノルウェイ基地から持ち帰った生物が息を吹き返し、隊員の一人、ベニングス(ピーター・マロニー)の体を乗っ取ろうとする。即座にベニングスの肉体もろとも焼き殺すマクレディ。しかし、これで終わりではなかった。隊員の間には、お互いを怪しむムードが生まれていた。「こいつも乗っ取られているんじゃないか」と。

 このモンスターの厄介さは、人体に入っても、体が変形したり、体毛が濃くなったり、雰囲気が変わったりしない点にある。乗っ取り方もスピーディーで、吸血鬼やゾンビのように噛むとか、ボディ・スナッチャーのように寝ている間に入れ替わるというタイプではない。モンスターの体液が一滴でも口や傷口に入ったりしたら、数分もしないうちに乗っ取りが完了してしまうのだ。

12人の男たち

 ここからは見所やオチに言及する。
 『遊星からの物体X』と聞いて多くの人が思い浮かべるのは、(観た人にしか分からない書き方をすると)物体Xの内臓を解剖するシーン、お腹から出てきた歯に両腕をちぎられるカット、血液テストで誰がXなのか分かった時のパニック・シーン、そして物体Xのボスが現れるシーンあたりだろう。いずれも視覚的にインパクトがあり、記憶に残りやすいのも納得が行く。特殊メイクを担当したのは、当時若手だったロブ・ボッティン。それまでのホラー映画では見たことがない異形のビジュアルを生み出したのはボッティンの功績である。

 私が注目するのは最初の方のシーンだ。ノルウェイのヘリコプターが犬(魔物)を追いかけ、銃を撃ち続ける。しかし全然当たらない。その銃声が12回しっかりと鳴り響いた後、カメラが切り替わり、アメリカの南極基地が映される。その基地にいる観測隊員は12人だ。12人を待ち受ける暗い運命はここですでに暗示されている。

 12といえば使徒の数と符合する。使徒の中に、イエスに不信感を抱いた者、イエスを否認した者、イエスを売った裏切者がいたことは周知の通りである。この映画にも一種のユダがいる。雪と氷に閉ざされ、外部との通信ができない、神も仏もないような極限状況で、12人は魔物と戦うだけでなく、人間不信や疑いとも戦わなければならない。その試練はどこか宗教的である。
 『ザ・フォッグ』(1980年)や『ゼイリブ』(1988年)を観ても分かるように、カーペンター監督の作品では、しばしば宗教的な空間や雰囲気が大きな意味を持つことがある。『遊星からの物体X』には教会は出てこないが、その設定自体が宗教的と言える。

悪魔の化身

 12人がいる所に犬がやってくるのも象徴的である。犬には人間に忠実なイメージがあるが、悪魔の化身とする見方もあり、ウィリアム・フリードキン監督の『エクソシスト』(1973年)では魔物に近い存在として扱われている。『遊星からの物体X』には犬の飼育係としてクラークという男が出てくるが、彼は物体Xに乗っ取られていない状態で、人間によって殺される唯一の人物だ。魔物にすがりつかれ、そうとは知らずに魔物に愛情を注いだ人間の不幸である。

 この犬の演技がまた見ものである。冒頭で雪原を走るシーンも、窓の外を見つめる眼差しも素晴らしい。最もすごいのは、基地内を静かに歩き、最初の犠牲者の部屋に入っていくところで、ここでは人間の意思が入っているとしか思えないような動きをしている。これを撮るのに4、5回のテイクで済んだというのだから驚かされる。監督が「本当に、本当にすごい犬なんだよ」(音声解説中のコメント)と言いたくなるのも分かる。

魔物が残したアダムとイヴ

 ラストは不穏である。
 マクレディは物体Xのボスを爆破した後、一人でお気に入りのお酒J&Bを飲む。そこへ行方知れずになっていたチャイルズ(キース・デヴィッド)が戻ってくる。生き残ったのはこの2人だ。どちらも我の強い、感情的なタフガイである。
 チャイルズはモンスターなのではないか。いや、爆破の際に体液を浴びたであろうマクレディがモンスターではないのか。そこは明確にされない。通信手段も移動手段もない以上、2人の運命は過酷なものになるだろう。そんな絶望的な雰囲気を残し、エンニオ・モリコーネのダークな音楽が漂うように流れる中、映画は終わる。

 当時の撮影スタッフの話によると、肉体を乗っ取られているかいないかは瞳の光の有無で区別したらしい。2人の場合はどうだろうか。何度も比べてみたが、どうもマクレディの方が光が無いように見える。1993年に行われたインタビュー(『ジョン・カーペンター 恐怖の倫理』収録)でも、カーペンター監督は「マクレディが物体Xではないかと思う」と語っていた。それを踏まえて考えると、マクレディがJ&Bの酒瓶をチャイルズに渡し、チャイルズがそれを飲んだ時点で、2人ともモンスターになったということになる。つまり、彼らは凍死しない、冬眠するだけだ。

 ノルウェイ観測基地の方でも、生き残ったのは男2人だった。ノルウェイ側の生存者にもヘリの操縦士がいるのが面白い(結局死ぬけど)。男2人が残るのは、旧約聖書の皮肉な置き換えだろう。神はアダムとイヴを作ったが、魔物は男2人を残した。彼らの肉体はモンスターが地球上で繁栄していく上で理想的な棲家なのである。
(阿部十三)