津島恵子 〜絶対的な清潔感〜
2020.11.01
吉村公三郎監督によると、初めて品川駅で「美しい少女」を見かけた時、「あんな娘が女優だったらなあ」と仕事仲間と語り合っていたという。その後、彼女が松竹大船撮影所でダンスを教えている先生だと知ると、吉村監督とスタッフたちは稽古場に押しかけ、映画に出演するよう口説いた。とはいえ、相手は素人である。演技指導のやり方は、「少し上を向いて、目線は数センチ下にして」という手取り足取り方式だった。
こうして『安城家の舞踏会』(1947年)に出演した津島恵子は、その清楚で甘くて初々しい雰囲気で戦後日本の映画界に新風を吹き込み、松竹の新人女優として一躍脚光を浴びた。当時、舞台出身ではない新世代の映画スターは、東宝ニューフェイス以外まだ珍しかった。
デビュー時の演技力は覚束なかったが、やがて転機が訪れる。12歳の美空ひばりと共演した『悲しき口笛』(1949年)だ。この作品で家城巳代治監督に指導され、言われた通りにやるだけでなく、考えて芝居をするようになったという。
元々ダンスの先生だった津島恵子は、幼時から踊りを学び、ノイエ・タンツ研究所でモダン・ダンスを修得した本格派である。その特技を生かし、『悲しき口笛』や『花のおもかげ』(1950年)では踊りを披露している。
極めつきは、内田吐夢監督の『たそがれ酒場』(1955年)。居酒屋のワンセット(ワンシチュエーション)のみで人間模様を描いたこの傑作で、過去のあるストリップダンサーを演じ、チャイコフスキーの「悲愴」に合わせて官能的なダンスを踊ってみせたが、妖艶なだけでなく気品を感じさせるところがこの人らしく、汚れを知らぬ花のような趣があった。
津島恵子には絶対的な清潔感がある。顔が綺麗とか、スタイルが良いとか、雰囲気が上品といったことのほかに、声のトーンからも、それは感じられる。甘い声を出しても、甘ったるくならない。どこか凛としているのだ。聡明で優しいお姉さんを思わせる声である。
周囲の評価が大きく変わったのは、大庭秀雄監督の『帰郷』(1950年)からで、重厚な佐分利信、色気あふれる木暮実千代とは異なる楚々とした佇まいを以て存在感を示し、絶賛された。川島雄三監督の『とんかつ大将』(1952年)で演じたのは鼻持ちならないお嬢様役だが、最後は改心する。この時期の彼女の役は、お嬢様、清純な娘、貞淑な新妻という具合に定まっていたようだ。
大胆に性を扱った原研吉監督の『危険な年令』(1950年)では、ヤクザもの(鶴田浩二)を正しい道へと導こうとする聖女のような娘を好演した。ほかの女性たち(並木路子、桂木洋子)が誘惑に負け、大いに道を踏み外す中、津島恵子は一人だけ揺るがず、清純を貫く。澄んだ瞳で十字架を見つめ、祈りを捧げる姿には性の匂いがない。
そんな役が続く中、物足りなさを感じた津島恵子は大きな決断をする。東映製作、今井正監督の反戦映画『ひめゆりの塔』(1953年)への出演だ。松竹の監督たちは反対したらしいが、その挑戦は成功を収めた。
彼女が演じたのは、女学生たちと行動を共にする宮城先生の役である。過酷な状況下で見せる感情表現が繊細で、理性を保とうとしているところがリアルに感じられる。喚いたり叫んだりするだけが熱演ではないのだ。
これ以降、松竹を離れてフリーになったが、幸い作品に恵まれた。何しろ黒澤明監督の『七人の侍』(1954年)、吉村公三郎監督の『足摺岬』(1954年)、山村聡監督の『黒い潮』(1954年)、五所平之助監督の『愛と死の谷間』(1954年)、内田吐夢監督の『たそがれ酒場』、山本薩夫監督の『浮草日記』(1955年)、鈴木英夫監督の『彼奴を逃すな』(1956年)と続くのだ。
『七人の侍』の村娘・志乃役には素朴さが必要だし、華もなければならない。華が出すぎてもいけない。そこにキャスティングされたのが津島恵子である。彼女には「貧農の娘」というイメージはないが、これを全力で演じきった。勝四郎(木村功)と出会う時の清潔なエロティシズム、勝四郎と愛し合う時の熱っぽい色気は、計算して生まれたものではなく、ひたむきな演技の結晶だろう。
打って変わって、『足摺岬』の方は切ないほどに澄んだリリシズムが魅力(特に後半)。津島恵子はひっそりと恋を諦める女性を情感豊かに演じ、悄然とした立ち姿だけで深い感情を伝えてみせた。「恋を諦める」といえば、彼女が代表作で演じた役はその手のものが多く、『黒い潮』でも亡妻のことを忘れられない新聞記者(山村)と結ばれずに終わる役だった。
『七人の侍』以外の時代劇では、大曾根辰夫監督の『魔像』(1952年)、伊藤大輔監督の『お菊と播磨』(1954年)、滝沢英輔監督の『国定忠治』(1954年)が傑作だ。坂東妻三郎、山田五十鈴と共演した『魔像』では貞淑な新妻・園絵役を演じ、この殺気に満ちた映画(鈴木静一のダークな音楽が良い)の中で、甘くみずみずしい色気を放っている。津島恵子を最も美しく撮った作品の一つと言えるだろう。
ややマニアックな作品だが、『名月佐太郎笠』(1955年)という時代劇もある。武田家の嫡流と称する山賊一味のお紋(津島恵子)は、松平家の御落胤をお守りすることになった渡世人(高田浩吉)に恋心を抱くが、男にはその気がない。『七人の侍』の志乃のように垢抜けない女性が恋を知るまでの変化が見どころだ。
女優としての活動期間は長い。1950年代後半からはテレビドラマの仕事もやるようになり、NHKの生放送ドラマ『どたんば』(1956年)にも出演していた(DVD化もされている)。長寿シリーズ『牟田刑事官事件ファイル』では小林桂樹の妻役を務め、2000年代に入ってからも、このドラマで穏やかな笑顔を見せていた。それは往年の日本映画のファンにとって心温まるひとときであった。
こうして『安城家の舞踏会』(1947年)に出演した津島恵子は、その清楚で甘くて初々しい雰囲気で戦後日本の映画界に新風を吹き込み、松竹の新人女優として一躍脚光を浴びた。当時、舞台出身ではない新世代の映画スターは、東宝ニューフェイス以外まだ珍しかった。
デビュー時の演技力は覚束なかったが、やがて転機が訪れる。12歳の美空ひばりと共演した『悲しき口笛』(1949年)だ。この作品で家城巳代治監督に指導され、言われた通りにやるだけでなく、考えて芝居をするようになったという。
元々ダンスの先生だった津島恵子は、幼時から踊りを学び、ノイエ・タンツ研究所でモダン・ダンスを修得した本格派である。その特技を生かし、『悲しき口笛』や『花のおもかげ』(1950年)では踊りを披露している。
極めつきは、内田吐夢監督の『たそがれ酒場』(1955年)。居酒屋のワンセット(ワンシチュエーション)のみで人間模様を描いたこの傑作で、過去のあるストリップダンサーを演じ、チャイコフスキーの「悲愴」に合わせて官能的なダンスを踊ってみせたが、妖艶なだけでなく気品を感じさせるところがこの人らしく、汚れを知らぬ花のような趣があった。
津島恵子には絶対的な清潔感がある。顔が綺麗とか、スタイルが良いとか、雰囲気が上品といったことのほかに、声のトーンからも、それは感じられる。甘い声を出しても、甘ったるくならない。どこか凛としているのだ。聡明で優しいお姉さんを思わせる声である。
周囲の評価が大きく変わったのは、大庭秀雄監督の『帰郷』(1950年)からで、重厚な佐分利信、色気あふれる木暮実千代とは異なる楚々とした佇まいを以て存在感を示し、絶賛された。川島雄三監督の『とんかつ大将』(1952年)で演じたのは鼻持ちならないお嬢様役だが、最後は改心する。この時期の彼女の役は、お嬢様、清純な娘、貞淑な新妻という具合に定まっていたようだ。
大胆に性を扱った原研吉監督の『危険な年令』(1950年)では、ヤクザもの(鶴田浩二)を正しい道へと導こうとする聖女のような娘を好演した。ほかの女性たち(並木路子、桂木洋子)が誘惑に負け、大いに道を踏み外す中、津島恵子は一人だけ揺るがず、清純を貫く。澄んだ瞳で十字架を見つめ、祈りを捧げる姿には性の匂いがない。
そんな役が続く中、物足りなさを感じた津島恵子は大きな決断をする。東映製作、今井正監督の反戦映画『ひめゆりの塔』(1953年)への出演だ。松竹の監督たちは反対したらしいが、その挑戦は成功を収めた。
彼女が演じたのは、女学生たちと行動を共にする宮城先生の役である。過酷な状況下で見せる感情表現が繊細で、理性を保とうとしているところがリアルに感じられる。喚いたり叫んだりするだけが熱演ではないのだ。
これ以降、松竹を離れてフリーになったが、幸い作品に恵まれた。何しろ黒澤明監督の『七人の侍』(1954年)、吉村公三郎監督の『足摺岬』(1954年)、山村聡監督の『黒い潮』(1954年)、五所平之助監督の『愛と死の谷間』(1954年)、内田吐夢監督の『たそがれ酒場』、山本薩夫監督の『浮草日記』(1955年)、鈴木英夫監督の『彼奴を逃すな』(1956年)と続くのだ。
『七人の侍』の村娘・志乃役には素朴さが必要だし、華もなければならない。華が出すぎてもいけない。そこにキャスティングされたのが津島恵子である。彼女には「貧農の娘」というイメージはないが、これを全力で演じきった。勝四郎(木村功)と出会う時の清潔なエロティシズム、勝四郎と愛し合う時の熱っぽい色気は、計算して生まれたものではなく、ひたむきな演技の結晶だろう。
打って変わって、『足摺岬』の方は切ないほどに澄んだリリシズムが魅力(特に後半)。津島恵子はひっそりと恋を諦める女性を情感豊かに演じ、悄然とした立ち姿だけで深い感情を伝えてみせた。「恋を諦める」といえば、彼女が代表作で演じた役はその手のものが多く、『黒い潮』でも亡妻のことを忘れられない新聞記者(山村)と結ばれずに終わる役だった。
『七人の侍』以外の時代劇では、大曾根辰夫監督の『魔像』(1952年)、伊藤大輔監督の『お菊と播磨』(1954年)、滝沢英輔監督の『国定忠治』(1954年)が傑作だ。坂東妻三郎、山田五十鈴と共演した『魔像』では貞淑な新妻・園絵役を演じ、この殺気に満ちた映画(鈴木静一のダークな音楽が良い)の中で、甘くみずみずしい色気を放っている。津島恵子を最も美しく撮った作品の一つと言えるだろう。
ややマニアックな作品だが、『名月佐太郎笠』(1955年)という時代劇もある。武田家の嫡流と称する山賊一味のお紋(津島恵子)は、松平家の御落胤をお守りすることになった渡世人(高田浩吉)に恋心を抱くが、男にはその気がない。『七人の侍』の志乃のように垢抜けない女性が恋を知るまでの変化が見どころだ。
女優としての活動期間は長い。1950年代後半からはテレビドラマの仕事もやるようになり、NHKの生放送ドラマ『どたんば』(1956年)にも出演していた(DVD化もされている)。長寿シリーズ『牟田刑事官事件ファイル』では小林桂樹の妻役を務め、2000年代に入ってからも、このドラマで穏やかな笑顔を見せていた。それは往年の日本映画のファンにとって心温まるひとときであった。
(阿部十三)
【関連サイト】
[津島恵子 略歴]
1926年2月7日、長崎県に生まれた。トモエ学園小学校、東洋音楽学校普通科を卒業。その後、江口隆哉主宰のノイエ・タンツ研究所でモダン・ダンスを習得し、松竹大船撮影所でダンス講師を務めていたが、吉村公三郎監督にスカウトされて『安城家の舞踏会』(1947年)でデビュー。松竹専属の女優として活躍後、フリーに転身し、『七人の侍』(1954年)、『足摺岬』(1954年)など数多くの傑作に出演した。1957年に東宝の副社長・森岩雄の息子、森伊千雄と結婚。2012年8月1日、胃癌のため86歳で亡くなった。
1926年2月7日、長崎県に生まれた。トモエ学園小学校、東洋音楽学校普通科を卒業。その後、江口隆哉主宰のノイエ・タンツ研究所でモダン・ダンスを習得し、松竹大船撮影所でダンス講師を務めていたが、吉村公三郎監督にスカウトされて『安城家の舞踏会』(1947年)でデビュー。松竹専属の女優として活躍後、フリーに転身し、『七人の侍』(1954年)、『足摺岬』(1954年)など数多くの傑作に出演した。1957年に東宝の副社長・森岩雄の息子、森伊千雄と結婚。2012年8月1日、胃癌のため86歳で亡くなった。
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