アラン・ラッド 〜『シェーン』の名優〜
2021.06.11
アラン・ラッドは1940年代から1950年代にかけて活躍した大スターである。出演作の中ではジョージ・スティーヴンス監督の『シェーン』(1953年)が抜きん出て有名だが、ほかにも『拳銃貸します』(1942年)、『青い戦慄』(1946年)、『潜行決死隊』(1946年)、『ネブラスカ魂』(1948年)、『暗黒街の巨頭』(1949年)などで様々な役を好演し、多くのファンを獲得した。
クールな表情、整ったブロンドの髪、渋みのある低い声が魅力的な二枚目で、運動神経が良く、ダイナミックなアクションもこなした。激しい感情表現は滅多にしない。目元、口元は繊細そうで、時折見せる笑顔には穏やかさと温かさが感じられる。実際の性格も温厚で優しかったらしく、ファンレターには直筆で返事を書いていた。
脚光を浴びるきっかけとなったグレアム・グリーン原作の『拳銃貸します』(この作品では髪を黒に染めている)では、冷徹な殺し屋を終始表情を動かさずに演じていたが、ラストで微かに笑顔を浮かべるところが実に印象的で、殺し屋なのに愛すべきキャラクターに見えたものだ。ちなみに、相手役は名コンビと謳われたヴェロニカ・レイクである。
再びヴェロニカと共演した『青い戦慄』は、レイモンド・チャンドラー脚本のサスペンス映画。妻殺しの容疑をかけられた男が事件の真相に迫る話で、アラン・ラッドはここでも表情を崩さない。オチはひねりすぎた感があり、謎解きとしてはイマイチだが、モノクロの映像は美しいし、頭に深い傷を負った傷痍軍人(ウィリアム・ベンディックス)のサイコな演技も見応えがある。
リチャード・メイボーム脚本の『潜行決死隊』は、ナチス占領下のフランスに潜伏したアメリカの諜報部員たちの活動を描いた映画だ。物語の軸となるのは、冷静沈着なマーティン(アラン・ラッド)とエレーヌ(ジェラルディン・ペイジ)。無情の世界に生きる彼らの宿命が浮き彫りにされる。諜報員がレストランで食事をする時、フォークを右手に持ち替えたために、アメリカ人だとバレて惨殺される場面もあり、当時のハリウッド映画にしては甘さがほとんどない。ラストでは、アラン・ラッドが激しく取り乱す演技を見ることができる(珍しい)。
出演作を観直しているうちに気付いたのだが、『拳銃貸します』、『青い戦慄』、『ネブラスカ魂』、『暗黒街の巨頭』、あるいは、『赤い山』(1952年)、『島の女』(1956年)といった作品で彼が演じているのは、カップルや夫婦の間に介入する役ばかりである。『暗黒街の巨頭』は例外として、女性を奪い取ろうとする意図などなく、生来の誠実さと頼もしさ、そしてどこか哀愁漂う瞳で(意図せずして)女心に波風を立ててしまうのである。なんとも罪な男だ。代表作『シェーン』でも、ジーン・アーサー演じる人妻から淡い想いを寄せられていた。
『シェーン』は、流れ者のガンマン(アラン・ラッド)が開拓民スターレット(ヴァン・ヘフリン)一家の世話になり、開拓民たちを虐げる悪徳牧畜業者ライカー一味と戦う話。途中まで、シェーンは流れ者としてイザコザから距離を置いているが、ライカーが冷酷な殺し屋ウィルソン(ジャック・パランス)を雇ったことから、命を賭けた戦いに身を投じることになる。話の流れには説得力がある。
シェーンが何者なのかは映画でははっきりとは描かれない。開拓民の一人に「裏稼業のことに詳しそうだな」と言われる程度だ。ただ、ジョーイ少年に見せる優しい笑顔や、雨に打たれた時の眼差し、悪党と向き合った時の殺気で、シェーンが経てきた過去がどんなものだったのかを観客に感じさせる。先述したようにアラン・ラッドは激しい感情表現をほとんどしない人だが、顔の繊細な動きで心の在り様を伝える術は、ここにきて完成の域に達している。
台詞回しも素敵だ。スターレット夫人(ジーン・アーサー)に「銃はただの道具にすぎない。斧やシャベルと同じだ。使い手次第で良くも悪くもなる」と語り、ジョーイに「人を一度殺してしまったら後戻りできない」と語る声の低いトーンには深い優しさがあり、説教調にならないところが良い。
ガン・アクションも素晴らしい。この映画を初めて観た時まだ子供だった私は、アラン・ラッドの華麗なガンさばきに目を見張り、真似ようとしたものだ。早撃ちランキングでは、ラッドが0.6秒で史上2位。1位は『平原児』のゲイリー・クーパーの0.4秒だと映画雑誌の記事で読んだことがある。
この映画は、生きるとは巻き添えを食うことだと私たちに教えている。そして、理不尽な暴力を前にした時、どうすればいいのか考える機会を与えてくれる。正直なところ、子役がおねだりする時のわざとらしい口調には、もう少しどうにかならなかったのかと首を傾げたくなるが(何度観てもこの感想は変わらない)、そこを差し引いても名画だと思う。
『シェーン』の後、1954年にジャガー・プロを設立し、『太鼓の響き』(1954年)、『地獄の埠頭』(1956年)、『大荒原』(1957年)などを製作、プロデューサーの顔も持つようになった。この時期、ソフィア・ローレンと共演した『島の女』では、楽観的な学者を演じ、それまでの役柄とは方向性を変えている(アラン・ラッドは168センチと小柄だったため、撮影期間中、背が高いソフィアの存在に悩まされたという)。非道な少年犯罪の犠牲になる技術者を演じた問題作『西十三番街』(1961年)もある。1950年代後半から1960年代前半は、ヒット作こそ少ないが、役者としては円熟味を増していた。
1962年11月10日、アラン・ラッドはハリウッドの自宅で拳銃自殺を図った。これは事故として発表されたが、1964年1月29日、パーム・スプリングスの別荘で、「鎮静剤とアルコールの混用による事故」のため亡くなった。50歳だった。
悲しい最期ではあるが、ラッドの名前は映画界に残り、2人の息子、アラン・ラッド・ジュニアとデヴィッド・ラッドはプロデューサーとして活躍した。孫のジョーダン・ラッドも女優になった。そして何よりも、彼が出演した『潜行決死隊』や『シェーン』は不滅の輝きを持っている。今後もずっと、永遠に観られ続けることだろう。
クールな表情、整ったブロンドの髪、渋みのある低い声が魅力的な二枚目で、運動神経が良く、ダイナミックなアクションもこなした。激しい感情表現は滅多にしない。目元、口元は繊細そうで、時折見せる笑顔には穏やかさと温かさが感じられる。実際の性格も温厚で優しかったらしく、ファンレターには直筆で返事を書いていた。
脚光を浴びるきっかけとなったグレアム・グリーン原作の『拳銃貸します』(この作品では髪を黒に染めている)では、冷徹な殺し屋を終始表情を動かさずに演じていたが、ラストで微かに笑顔を浮かべるところが実に印象的で、殺し屋なのに愛すべきキャラクターに見えたものだ。ちなみに、相手役は名コンビと謳われたヴェロニカ・レイクである。
再びヴェロニカと共演した『青い戦慄』は、レイモンド・チャンドラー脚本のサスペンス映画。妻殺しの容疑をかけられた男が事件の真相に迫る話で、アラン・ラッドはここでも表情を崩さない。オチはひねりすぎた感があり、謎解きとしてはイマイチだが、モノクロの映像は美しいし、頭に深い傷を負った傷痍軍人(ウィリアム・ベンディックス)のサイコな演技も見応えがある。
リチャード・メイボーム脚本の『潜行決死隊』は、ナチス占領下のフランスに潜伏したアメリカの諜報部員たちの活動を描いた映画だ。物語の軸となるのは、冷静沈着なマーティン(アラン・ラッド)とエレーヌ(ジェラルディン・ペイジ)。無情の世界に生きる彼らの宿命が浮き彫りにされる。諜報員がレストランで食事をする時、フォークを右手に持ち替えたために、アメリカ人だとバレて惨殺される場面もあり、当時のハリウッド映画にしては甘さがほとんどない。ラストでは、アラン・ラッドが激しく取り乱す演技を見ることができる(珍しい)。
出演作を観直しているうちに気付いたのだが、『拳銃貸します』、『青い戦慄』、『ネブラスカ魂』、『暗黒街の巨頭』、あるいは、『赤い山』(1952年)、『島の女』(1956年)といった作品で彼が演じているのは、カップルや夫婦の間に介入する役ばかりである。『暗黒街の巨頭』は例外として、女性を奪い取ろうとする意図などなく、生来の誠実さと頼もしさ、そしてどこか哀愁漂う瞳で(意図せずして)女心に波風を立ててしまうのである。なんとも罪な男だ。代表作『シェーン』でも、ジーン・アーサー演じる人妻から淡い想いを寄せられていた。
『シェーン』は、流れ者のガンマン(アラン・ラッド)が開拓民スターレット(ヴァン・ヘフリン)一家の世話になり、開拓民たちを虐げる悪徳牧畜業者ライカー一味と戦う話。途中まで、シェーンは流れ者としてイザコザから距離を置いているが、ライカーが冷酷な殺し屋ウィルソン(ジャック・パランス)を雇ったことから、命を賭けた戦いに身を投じることになる。話の流れには説得力がある。
シェーンが何者なのかは映画でははっきりとは描かれない。開拓民の一人に「裏稼業のことに詳しそうだな」と言われる程度だ。ただ、ジョーイ少年に見せる優しい笑顔や、雨に打たれた時の眼差し、悪党と向き合った時の殺気で、シェーンが経てきた過去がどんなものだったのかを観客に感じさせる。先述したようにアラン・ラッドは激しい感情表現をほとんどしない人だが、顔の繊細な動きで心の在り様を伝える術は、ここにきて完成の域に達している。
台詞回しも素敵だ。スターレット夫人(ジーン・アーサー)に「銃はただの道具にすぎない。斧やシャベルと同じだ。使い手次第で良くも悪くもなる」と語り、ジョーイに「人を一度殺してしまったら後戻りできない」と語る声の低いトーンには深い優しさがあり、説教調にならないところが良い。
ガン・アクションも素晴らしい。この映画を初めて観た時まだ子供だった私は、アラン・ラッドの華麗なガンさばきに目を見張り、真似ようとしたものだ。早撃ちランキングでは、ラッドが0.6秒で史上2位。1位は『平原児』のゲイリー・クーパーの0.4秒だと映画雑誌の記事で読んだことがある。
この映画は、生きるとは巻き添えを食うことだと私たちに教えている。そして、理不尽な暴力を前にした時、どうすればいいのか考える機会を与えてくれる。正直なところ、子役がおねだりする時のわざとらしい口調には、もう少しどうにかならなかったのかと首を傾げたくなるが(何度観てもこの感想は変わらない)、そこを差し引いても名画だと思う。
『シェーン』の後、1954年にジャガー・プロを設立し、『太鼓の響き』(1954年)、『地獄の埠頭』(1956年)、『大荒原』(1957年)などを製作、プロデューサーの顔も持つようになった。この時期、ソフィア・ローレンと共演した『島の女』では、楽観的な学者を演じ、それまでの役柄とは方向性を変えている(アラン・ラッドは168センチと小柄だったため、撮影期間中、背が高いソフィアの存在に悩まされたという)。非道な少年犯罪の犠牲になる技術者を演じた問題作『西十三番街』(1961年)もある。1950年代後半から1960年代前半は、ヒット作こそ少ないが、役者としては円熟味を増していた。
1962年11月10日、アラン・ラッドはハリウッドの自宅で拳銃自殺を図った。これは事故として発表されたが、1964年1月29日、パーム・スプリングスの別荘で、「鎮静剤とアルコールの混用による事故」のため亡くなった。50歳だった。
悲しい最期ではあるが、ラッドの名前は映画界に残り、2人の息子、アラン・ラッド・ジュニアとデヴィッド・ラッドはプロデューサーとして活躍した。孫のジョーダン・ラッドも女優になった。そして何よりも、彼が出演した『潜行決死隊』や『シェーン』は不滅の輝きを持っている。今後もずっと、永遠に観られ続けることだろう。
(阿部十三)
【関連サイト】
[アラン・ラッド略歴]
1913年9月3日、アーカンソー州ホットスプリングス生まれ。4歳の時に父親を亡くし、家計を助けるために新聞売りをする。病気がちだったが、スポーツ万能で、1932年にはウェストコーストのダイビング・チャンピオンになっている。一時ジャーナリストを目指すが諦め、ベン・バード演技学校に入学。下積み生活を経て、1942年にヴェロニカ・レイクと共演した『拳銃貸します』の殺し屋役で注目され、その後も順調にキャリアを積む。1953年、『シェーン』で大ブレイク。1954年にはジャガー・プロを設立し、製作にも携わった。1964年1月29日、鎮静剤とアルコールの多量摂取により死去。
1913年9月3日、アーカンソー州ホットスプリングス生まれ。4歳の時に父親を亡くし、家計を助けるために新聞売りをする。病気がちだったが、スポーツ万能で、1932年にはウェストコーストのダイビング・チャンピオンになっている。一時ジャーナリストを目指すが諦め、ベン・バード演技学校に入学。下積み生活を経て、1942年にヴェロニカ・レイクと共演した『拳銃貸します』の殺し屋役で注目され、その後も順調にキャリアを積む。1953年、『シェーン』で大ブレイク。1954年にはジャガー・プロを設立し、製作にも携わった。1964年1月29日、鎮静剤とアルコールの多量摂取により死去。
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