映画 MOVIE

アン・バクスター 〜デビュー時から演技派〜

2022.09.14
代表作は『イヴの総て』

anne baxter j1
 ファンを装って大女優に近付き、従順な付き人になるが、やがて本性を現し、周囲の恩人たちを踏みつけて成り上がる女。この女にはモラルのかけらもなく、良心もない。あるのは飽くなき野心と才能のみ。彼女の名前はイヴ・ハリントン。1951年の映画『イヴの総て』の登場人物である。

 イヴ(アン・バクスター)はまず大女優マーゴ(ベティ・デイヴィス)の友人であるカレン(セレステ・ホルム)に声をかける。そこでカレンの同情を引き、マーゴに取り入るまでの行動は全て計算されている。まもなくカレンはイヴの恐ろしい本性に気付くが、その時はすでに立場が逆転しており、イヴに主導権を握られる。まるで冷酷な犯罪者による「乗っ取り」を描いたサスペンスのような展開だ。この映画でイヴ役を熱演したアン・バクスターは公開当時28歳、すでに実力派の美人女優として高い評価を受けていた。

キャリアの初期

 銀幕デビューは1940年、17歳の時である。当時から演技派で、クセのある役を得意としていた。ジャン・ルノワール監督の『スワンプ・ウォーター』(1940年)やウィリアム・A・ウェルマン監督の『廃墟の群盗』(1947年)で演じたのはまさに「クセのある役」で、ヒロインなのに美人女優らしいメイクをせず、野性的な雰囲気を漂わせている。彼女は警戒心が強く、どこかとっつきにくい。それが心ある男性とのやりとりを通じて変化し、その表情に色気や美しさが出てくる。わざとらしさのない、見事な変化の付け方である。

 ビリー・ワイルダー監督の『熱砂の秘密』(1943年)には、エジプトのホテルで働くフランス人女性ムーシュ役で出演。ムーシュはダンケルクで弟を見捨てたイギリス軍に恨みを抱いている。しかしイギリス軍の敗残兵ブランブル(フランチョット・トーン)がホテルに逃げこんだ時、ドイツ軍に突き出せず、ブランブルをかくまう。その一方で、囚われた弟を解放してほしいばかりにドイツ軍将校(ペーター・ファン・アイク)と関係する。ムーシュは複雑な心理を抱えた難役だ。20歳の若さでこんな役を演じきるとは......バクスター恐るべし。その後、彼女が悲惨な宿命を背負うのは、ドイツだけでなくイギリスの責任であるようにも見える。戦中のプロパガンダ映画にしては後味が苦すぎる。

最も美しく撮られた作品

 アカデミー助演女優賞を受賞した『剃刀の刃』(1946年)で演じたのは、身を持ち崩してアルコール依存症になったソフィ役。幼なじみのラリー(タイロン・パワー)は彼女を救おうとして励まし、ソフィも生活を立て直そうとするのだが......。生きる希望を見出そうとするソフィの健気さと哀れさが印象に残る。こうして一癖も二癖もある役柄を演じてきた延長線上に、『イヴの総て』のイヴ・ハリントンがいるのだ。

 バクスターが最も美しく撮られているのは、オーソン・ウェルズ監督の『偉大なるアンバーソン家の人々』(1942年)だろう。ルーシーは自動車産業で財を成した発明家ユージン・モーガン(ジョゼフ・コットン)の一人娘で、旧家の末裔ジョージ・アンバーソン(ティム・ホルト)と惹かれ合う。ジョージは傲慢で、気性も話し方も一本調子だが、この男が不快な存在である分、ルーシーが輝いて見える。暗い映画だが、彼女の登場シーンは薫風のように心地良くて明るい。

 周知の通り、これは148分だったものを88分にまで短縮した、いわくつきの作品である。ウェルズの伝記によると、最終編集は監督の不在時に行われ、ラストもすり替えられたという。そのため、ジョージが受けるべき地獄のような報いも中途半端なものになっている。というわけで、ウェルズにとっては悲しい思い出しかない映画なのだが、それを分かった上で観てもバクスターは魅力的である。

サスペンスなどで活躍

 1950年代の出演作で目をひくのは、サスペンス映画とスペクタクル大作だ。サスペンスは、アルフレッド・ヒッチコック監督の『私は告白する』(1953年)、フリッツ・ラング監督の『青いガーディニア』(1953年)、マイケル・アンダーソン監督の『生きていた男』(1958年)。スペクタクル大作は、セシル・B・デミル監督の『十戒』(1956年)である。『生きていた男』は、公開当時、どんでん返しで観客を仰天させたらしいが、私は肩透かしをくらった。ただ、常に不安に取り憑かれたようなアン・バクスターの演技は素晴らしい。

 『青いガーディニア』は、ナット・キング・コールが歌う同名曲だけでなく、ワーグナーの『トリスタンとイゾルデ』やシューマンの『謝肉祭』を効果的に使ったサスペンスだが、台本は凡作。浮かれたり、怯えたり、怒ったり、気丈になったりする慌ただしい演技にも無理があるように感じられる。監督と名女優の力を以てしても、この台本ではどうにもならなかったようだ。相手役もリチャード・コンテ、レイモンド・バー、アン・サザーンと豪華なのにもったいない。

 1960年代はテレビへの出演の方が多くなり、1970年代には『イヴの総て』を舞台化した『アプローズ』(1971年〜1972年)で主役を務めた。今度はイヴ役ではなく、大女優マーゴ役である。続いて1973年には『刑事コロンボ・偶像のレクイエム』に出演。ここでも往年の大女優を雰囲気たっぷりに演じている。それ以降の作品では、テニス選手モーリン・コノリーの伝記映画『リトル・モー』(1978年)で演じた母親役が印象に残る。


【関連サイト】
[アン・バクスター略歴]
1923年5月7日、アメリカのインディアナ州ミシガンシティ生まれ。祖父は建築家のフランク・ロイド・ライトである。10歳の頃にヘレン・ヘイズの舞台を見て女優を志し、13歳でブロードウェイの舞台に立つ。その後マリア・オースペンスカヤ(スタニスラフスキーの弟子)に師事し、1940年に『20 Mule Team 』でデビュー。1946年には『剃刀の刃』でアカデミー助演女優賞を受賞。『廃墟の群盗』(1947年)、『イヴの総て』(1950年)、『私は告白する』(1953年)、『十戒』(1956年)などで好演し、名女優として名を馳せた。1976年には自伝『Intermission: A True Story』を発表。結婚歴は3回。1985年12月4日、脳卒中で倒れ、8日後に死去。