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京マチ子 〜戦後を逞しく生きる女性の象徴〜

2025.03.19
代表作は十指に余る

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 京マチ子は『羅生門』(1950年)や『雨月物語』(1953年)など数々の名作に出演し、世界的に知られた大女優である。その出演作が海外の映画賞をいくつも受賞したことから、「グランプリ女優」と呼ばれたこともある。美人でプロポーションが抜群というだけでなく、演技がうまく、役柄も幅広かった。出演作は約100本、代表作と呼べるものは十指に余る。代表作が数本あるだけでも役者としては恵まれているし、5本もあったら多い方だが、京マチ子は例外中の例外だ。

 出演作が約100本というのは、当時の大スターとしては決して多い本数ではない。溝口健二が筈見恒夫との対談で、「このごろの俳優でかけ持ちしないのは京マチ子と森(雅之)くらいのものだ」と語っていたように、一つの作品のみに集中し、全力投球するタイプだったため、100本程度におさまったのである。映画の中では男を翻弄する官能的美女の役を多く演じたが、女優業を離れた普段の京マチ子はそういったタイプとは正反対の人で、趣味は釣りと編みもの。浮かれたところが全然なく、ひたすら仕事に対して真面目で、役の研究に没頭していた。

変幻自在

 谷崎潤一郎が好んでいた女優でもある。『春琴物語』(1954年)に出ていた京マチ子を観て、「自分が夢に思い描いてゐた幻影そのままの姿であった」とまで書いている。また、その顔の特性について、こんな風に評している。

「京マチ子の顔は、現代、徳川時代、平安朝時代、天平時代、いづれにも向く。源氏物語、平家物語、太平記、太閤記、近松物、西鶴物、いづれの世界の女性に扮しても似合ふ。そして又『痴人の愛』や『鍵』の女主人公にもなれる。かやうに扮装の範囲のひろい容貌はざらにあるものではない。映画女優にしてもああ云う顔を持ってゐるのは、そのことだけで比類のない強みである」
(『女優さんと私』)

 姫様、幽霊、売春婦、旅芸人、踊り子、貞淑な人妻、盗賊、女スリ......どんな役であっても体当たりで取り組み、その役になりきる。時代も選ばない。平安時代であろうと現代であろうと、その時代の衣装やメイクに不思議なほどフィットする。まさに変幻自在。黒澤明監督の『羅生門』や溝口健二監督の『雨月物語』ではいわゆる殿上眉にしているが、このメイクが京マチ子ほど映える女優はいない。

 「扮装の範囲のひろい容貌」と演技力を生かし、市川崑監督の『穴』(1957年)や井上梅次監督の『黒蜥蜴』(1962年)では、多彩な変装を披露している。ルポライター役を演じた『穴』では、からっとしたキャラクターに徹し、田舎娘、麻薬中毒者、けばい女などに変装して、名コメディエンヌぶりを発揮。京マチ子の芸域の広さを見せつける会心作だ。ミュージカル要素を盛り込んだ『黒蜥蜴』では、変装だけでなく、お得意のダンスも披露している。

魔性、不気味さ、美しさ

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 演じた役は様々だが、とりわけ忘れがたいのは、『羅生門』で多襄丸(三船敏郎)を挑発する真砂、『雨月物語』で源十郎(森雅之)を誘う若狭である。その魔性、不気味さ、美しさを前にしたら、ほとんどの男は人生を棒に振ってしまうだろう。『痴人の愛』(1949年)、『牝犬』(1951年)、『偽れる盛装』(1951年)、『地獄門』(1953年)、『春琴物語』もファム・ファタール的な役どころで、京が演じることにより、男がおかしくなっても仕方ないという説得力が生まれている。

 もっとも、衣笠貞之助監督の『地獄門』の場合、女の方には恋情も打算もない。血の気の多い盛遠(長谷川一夫)が貞淑な人妻・袈裟に夢中になり、つきまとうだけだ。その挙げ句、「俺のものにならなければお前の夫を殺す」と脅される。いわば平安時代のストーカー被害話。京は感情を抑えつつ、女の幸せのはかなさ、男の言いなりにならない気高さを観るものに伝える(演技は良いが、化粧のせいで表情が時折怖く見えるのが玉に瑕)。

 初期の作品では、吉村公三郎監督の『偽れる盛装』が絶品。祇園の芸妓・君蝶が手練手管を弄し、肉体を躍動させ、男たちからお金を搾り取り、用済みになった男と縁を切っていく話だが、狡くてドライな肉体派美人だけど人情味もあるという難しい役を、巧みに演じている。昔気質の義理のために、娘に無断で家を抵当に入れた母親の言いわけに対し、「ふん、あほくさ、やめてんか」と呆れて言い放つ時の表情など、完璧である。

名演技の数々

 小津映画『浮草』(1959年)も良い。京マチ子が演じているのは、駒十郎一座の座長(中村鴈治郎)とくっついている女優すみこ役である。駒十郎に隠し子がいると知ったすみ子が、土砂降りの中、往来を挟んで駒十郎と罵り合うシーンが白眉。駒十郎に向かって言い放つ、「ふん、偉そうに。言うことだけは立派やな!」という台詞など、実にサマになっている。劇中劇で国定忠治に扮する時も、手抜きなし。駒十郎と釣り合っているのか釣り合ってないのかわからない緊張感があり(配役の妙である)、気が強いだけでなく情の深いすみ子というキャラクターを鮮やかに造型している。

 豊田四郎監督の『甘い汗』(1964年)では、ふしだらな女を体当たりで熱演。男と酒なしでは生きていけない女の切なさ、哀れさを全身で表現している。かといって、じめじめした重苦しい演技をせず、滑稽味を漂わせているところが上手い。山本薩夫監督の『華麗なる一族』(1971年)では万俵家の家庭教師兼執事かつ愛人役を務め、欲深さと刺々しさを全開、強烈な存在感を示している。主演ではないが、これも代表作の一つと言っていいだろう。

 先にダンスが得意と書いたが、その才能は『最後に笑う男』(1949年)、『浅草の肌』(1951年)、『浅草の夜』(1954年)、『踊子』(1957年)などに活かされている。『最後に笑う男』は大阪松竹歌劇団時代の作品で、溌剌としたダンスを披露している。とはいっても、京自身はクラシックな踊りの方が好きで、日本舞踊の稽古も積んでいたらしい。その実力は『雨月物語』、『春琴物語』、『八月十五夜の茶屋』(1956年)で発揮されている(後年は「夏しぐれ」という舞台で山田五十鈴と踊っていた)。

 様々な出演作品を見直してみると、京マチ子が全盛期に体現してきたのは、自由な女だったのではないかという気がしてくる。男にコントロールされない女、男に負けない女、男と対等の立場で物を言う女を演じる時、水を得た魚のように生き生きしている。嫌なことは嫌だと言う。喜怒哀楽も隠さない。相手の目を正面からしっかりと見る。京が演じたキャラクターに戦後逞しく生きる女性たちの姿を重ねることはいくらでも可能だろう。まさに戦後を象徴する大女優なのである。
(阿部十三)

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[京マチ子 略歴]
1924年3月25日、大阪生まれ。母子家庭で育ち、1936年に大阪松竹歌劇団に入団。1944年に初めて映画に出演するが、自分の意思ではなかったらしく、京マチ子本人が認める本格的なデビュー作は1949年の『最後に笑う男』である。その後、大阪松竹歌劇団を退団し、大映専属女優として活躍。出演作の『羅生門』、『源氏物語』、『雨月物語』、『地獄門』が海外の映画賞を受賞し、「グランプリ女優」と呼ばれた。京マチ子自身も毎日映画コンクール主演女優賞を2度受賞したり、ゴールデングローブ賞主演女優賞にノミネートされたりと、高い評価を受けていた。大映倒産後はテレビドラマ『犬神家の一族』、『必殺仕切人』などに出演し、存在感を示した。2019年5月12日、95歳で死去。