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女優・梶芽衣子 観客を突き刺す美しさ

2011.10.14
 僕はクエンティン・タランティーノと非常に気が合う。彼と会ったことはないのだが、絶対に仲良しになれると勝手に思っている。なにしろ彼の作品の元ネタは、僕の好みに合うものばかりなのだから。彼が映画を撮る度に挙がる元ネタは、僕にとって最高の映画ガイドとなっている。『女囚さそり』シリーズとの出会いも、タランティーノによってもたらされた。「『キル・ビル』の元ネタだから、きっと面白いだろうな」と、シリーズ第1作『女囚701号 さそり』(1972年)のDVDをツタヤで借りたのだ。絶句......。僕はすっかりこの作品に飲みこまれてしまった。その夜は興奮のあまり眠れなかった。

 『女囚701号 さそり』は、梶芽衣子の代表作のひとつだ。魅力は無数に挙げられる。喧嘩、リンチ、拷問、暴動に満ちたバイオレンス映画としての常軌を逸した凄み。刑務所長、看守、周囲の女囚からの陰湿ないじめの連続を経て辿り着くクライマックスのカタルシス。身体検査、入浴、緊縛、暴行、レズビアンなど、盛りだくさんのエロス。何に対しても媚びず、権力に対して徹底的に牙を剥き、鋭い刃を突き立てる「さそり」こと松島ナミの生き様が誘う絶大な共感......など。しかし、いくら事細かに語っても、本作の魅力は最終的にはこの一点に集約されるのだ。「梶芽衣子がこの世のものとは思えないほど美しい」。

 『女囚さそり』シリーズで梶芽衣子が放つ美は、多くの女優から感じるものとは大きく異なる。「セクシーだ」「こんな人と結婚出来たら良いのになあ」といった、性的な願望に根差した評価では全く語れない。さそりを演じている時の梶芽衣子の美しさは、性を超越している。ただただ存在として絶対的に美しい。

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 さそりは殆んど言葉を発しない。しかし、さそりの背負っている救いの欠片もない翳りは、彼女の佇まいによって雄弁に物語られてゆく。何と言っても強烈なのは、あの眼だ。権威、体制に媚びへつらい、ずる賢く立ち回って高笑いをする奴らを、あの眼は容赦なく突き刺す。しかし、さそりの眼は絶えず怒りの炎をメラメラと燃やしているわけではない。多くの場面では、まるで呆けているかのように感情を一切浮かべない。その空虚な黒眼を見ると心底ゾクリとする。劇中で彼女が振るう出刃包丁以上に、冷たく光るさそりの眼は危険な凶器だ。

 『女囚701号 さそり』は大ヒットし、シリーズ化された。梶芽衣子が出演したのは4作。刺激的な描写は、回を重ねる毎にエスカレートする一方だ。このシリーズの生みの親である伊藤俊也監督が最後に手掛けた第3作『女囚さそり けもの部屋』(1973年)は特に凄い。手錠を嵌めて連行しようとした刑事の腕を、さそりが出刃包丁でぶった切る。刑事の腕をぶら下げたままさそりが白昼の街を駆けるシーンの滅茶苦茶さには、胸躍りつつも開いた口が塞がらない。下水道に逃げ込んださそりを殺すために警察がガソリンを流し込んで火をつけたり、さそりを脅したヤクザが情婦に熱湯をかけられて死んだり、近親相姦が入念に描かれたり......やりたい放題だ。

 『女囚さそり』シリーズはどぎついインパクトに満ちているがゆえに、梶芽衣子の演技に対して観客の意識はどうしても向きにくい。当時の梶芽衣子は、複雑な心境だったのではないだろうか。しかし、じっくり鑑賞してみると、どの作品でも梶芽衣子の演技が非常に素晴らしいことに、誰もが気づくだろう。眼のことは先述したが、『女囚さそり』シリーズの梶芽衣子に関して、もう一つぜひ言及しておきたいのが走る姿だ。さそりはシリーズ中で何度も脱獄するので、走るシーンは時折出てくる。長い黒髪をなびかせ、懸命に走る梶芽衣子の姿は女豹のような瑞々しい躍動感に満ちている一方、孤独と悲しみ、そして不吉な死の香りすら漂わせる。特に素晴らしい走りを見せるのは、第2作『女囚さそり 第41雑居房』(1972年)だ。この作品では、さそりは同じ雑居房の囚人達と一緒に脱獄する。女囚達がボロボロのマントを空っ風になびかせながら原野を走るシーンは、とても印象的だ。共に脱獄したとはいえ、さそりに仲間はいない。誰にも従わず、全てに牙を剥くさそりは、周囲の女囚達にとって疎ましい存在なのだ。社会のはぐれ者が集まる刑務所で弾かれ、刑務所から飛び出したはぐれ者中のはぐれ者である脱獄囚達の間でも誰とも交わらないさそり。地上の何処にも行く宛てがなく、ただひたすらに怨みを抱え、復讐を果たすためだけに彷徨い続けるさそりの深い孤独が、この作品での走る姿からは痛いほどに伝わってくる。しかし、そんなシーンの連続であるがゆえに、さそりを先頭に、囚人服を着た女囚の群衆が早朝の高層ビル街を走るエンディングは鮮烈に心に沁みるのだ。ひたすら私怨に衝き動かされ、醜悪な奴らを突き刺してきたさそり。そんな彼女の胸中に起こった変化が、このラストシーンには集約されている。

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 『女囚さそり』シリーズの前には『野良猫ロック』シリーズで活躍し、梶芽衣子版『緋牡丹博徒』とも言うべき『銀蝶渡り鳥』シリーズも制作された(第2作『銀蝶流れ者 牝猫博奕』は『女囚701号 さそり』の2ヶ月後に公開)。また、『女囚さそり』シリーズとほぼ同時期に『修羅雪姫』(1973年)、『修羅雪姫 怨み恋歌』(1974年)にも出演している。これらの作品群により、「梶芽衣子=怨念を抱えた女、やさぐれ、アウトロー」というイメージが確立されてしまった。『女囚さそり』以降の梶芽衣子の活動を辿ると、そのイメージを打ち破るための格闘が窺われる。そんな彼女がついに女優として正当な評価を受ける機会となったのが、増村保造監督による『曽根崎心中』(1978年)だ。近松門左衛門の劇作を映画化したこの作品で、梶芽衣子は遊女・お初を演じている。徳兵衛を一途に想う深い愛情に溢れ、胸の奥には芯の強さを脈打たせているお初。気弱な徳兵衛を促し、鮮血に染まりながら心中するシーンは壮絶であると同時に清らかだ。梶芽衣子が演じたお初は、聖女以外の何者でもない。

 『曽根崎心中』で梶芽衣子は、ブルーリボン賞、報知映画賞、キネマ旬報賞、毎日映画コンクールの主演女優賞に輝いた。『女囚さそり』シリーズで梶芽衣子のファンになった人にも、『曽根崎心中』はぜひ観て頂きたい。さそりとはまた別の美しさ、そして梶芽衣子の圧倒的な演技に息を呑むはずだ。
(田中大)


[梶芽衣子略歴]
1947年3月24日生まれ。本名、太田雅子。1965年、日活の『悲しき別れの歌』でデビュー。『青春の果実』でメインキャストに。1970年からの野良猫ロックシリーズで知名度を上げ、1972年、『女囚701号 さそり』でスターの地位を確立。1978年、『曾根崎心中』で女優開眼し、主要な女優賞を総ナメにする。80年代に入ってから現在に至るまでテレビドラマ等でコンスタントに活躍。歌手としても多くの作品を発表している。