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デボラ・カー 〜『黒水仙』と『情事の終り』の名女優〜 [続き]

2012.01.26
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 デボラ・カーの熱心なファンとして知られた作家に三島由紀夫がいる。『クォ・ヴァディス』を「無味乾燥な見世物」と酷評した彼は、『地上より永遠に』でこの女優の魅力を発見した。

「上官との姦通事件をとりあげているのは、いかにもアメリカらしい率直さで、好感がもてるが、上官の妻になるデボラ・カーはすばらしい。雨の日の最初の男との逢瀬は、不感症的魅力の満溢した女を見せる。この一シーンは演出にも非常な迫力がある」
(『スクリーン』1953年12月号)

 1956年11月号の『明星』でも、このシーンを取り上げ、「デボラ・カーでなくては出せない不思議な冷たい色気を漲らせています」と語っている。浜辺でのキスシーンより、よほど感銘を受けたのだろう。
 『地上より永遠に』以降、デボラ・カーに注目した三島は、『情事の終り』にも賛辞を贈っている。評論家たちが同時期に公開された『埋れた青春』の方ばかり褒めているのが不服だったようで、わざわざ原稿の冒頭で「私は『情事の終り』のほうを、(『埋れた青春』より)ずっと上位に置く」と断言しているのが面白い。

「デボラ・カーの顔は百面相みたいで、雨の日のシーンと晴れの日のシーン、幸福なシーンと不幸なシーン、愛慾の幸福にみなぎるシーンと神に魅入られたシーンとでは、まるで別人のようにかわる。おそるべきニュアンス。神経症的なデリカシー」
(『婦人公論』1955年6月号)

 別の原稿ではこう記している。

「紙数が足りないので、デボラ・カーの精神的苦悩と、何段にも移り変るその感情の明暗を、的確に表現した、おどろくべきニュアンスに富んだ演技に敬意を表するにとどめる」
(『スクリーン』1955年7月号)

 淀川長治、蓮實重彦、山田宏一が映画談義を繰り広げる『映画千夜一夜』という分厚い本がある。これは私が中学時代に出たもので、お金がなかったため書店で何度も立ち読みした(数年後、古本屋で購入した)。この中で、最も白熱している箇所はデボラ・カーを巡る言い合いだろう。蓮實重彦がデボラ・カーのことを「馬鹿みたいな顔」と言ったことで、淀川長治に火がつき、「よくもそのようなことが言えますね、あなたは!」と言う。山田宏一はデボラ・カーのファンだったが、話しているうちに次第に蓮實に乗せられてしまう。そんな優柔不断な山田に対して淀川が不満を述べる。
 会話のあちこちに鬱陶しいくらい(笑)が付いているが、どこをどう読んでも笑えるくだりではない。当時、中学3年生だった私はこれを読みながらむかむかしていた。デボラ・カーという女優を知らなかったにもかかわらず、である。私はそこに載っていたスチール写真を見て、この美人をよってたかって罵倒するなんてどうかしている、と思った。今でも覚えているくらいだから、相当血圧が上がっていたのだろう。

 デボラ・カーをお飾り的な金髪美人とみなす人は結構多い。「美人はただの美人であってはいけない」といわんばかりに、個性的美人、知的美人を尊重したがる人は、デボラ・カーを否定する。彼女の美貌は静的な造形の美しさである。それ以外の意味やニュアンスを付与できるタイプの美貌ではない。ダニエル・ダリューのように蓮っ葉なところやマリリン・モンローのようにセクシーなところもない。グレタ・ガルボのように派手な美貌でもない。フランソワーズ・アルヌールのコケットリーもない。ひたすらエレガントな造形美に徹している。そんな美貌が突如情念で熱くなり、苦悩に揺れる。亀裂が入り、色気が香り立つ。その繊細な表現が心に響く。こういう演技はもっと正当に評価されるべきである。

 代表作、有名作の多い女優だが、あまり紹介される機会がない作品にも観るべきものはある。例えば『悲愁』。これも彼女のフィルモグラフィーから外せない。F・スコット・フィッツジェラルドとシーラ・グレアムの恋愛を描いたドラマで、フィッツジェラルド役はグレゴリー・ペック。グレゴリー・ペックの演技は例によって絶賛できるものではないが、デボラ・カーの演技はほとんど非の打ち所がない。そして、一人海辺を歩くラストシーンの切なさ、美しさ。デボラ・カーを最も魅力的に撮った作品の一つとして、忘れられない。
(阿部十三)


【関連サイト】
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【デボラ・カー略歴】
1921年9月30日、スコットランドのヘレンズバーグ生まれ。バレエを学んだ後、野外劇に出演。ガブリエル・パスカル監督に認められ、1940年の『Major Barbara』でデビュー。1941年、『Love on the Dole』で主役を務めて脚光を浴び、1942年、『モーション・ピクチャー・ヘラルド』で〈明日のスター〉に選ばれる。1947年、『黒水仙』でニューヨーク映画批評家賞受賞。1949年、『Edward, My Son』でオスカーに初ノミネート。史劇のヒロインなど上品な役柄が目立ったが、1953年『地上より永遠に』で不倫に溺れる人妻役を好演。1953年から『お茶と同情』のローラ役でブロードウェイでも活躍。1994年、アカデミー名誉賞受賞。空軍少佐アンソニー・バートレイ、脚本家ピーター・ヴィアテルと結婚暦あり。2007年10月16日死去。晩年はパーキンソン病を患っていたという。ヴィアテルは約半月後にリンパ腫で亡くなった。