映画 MOVIE

コリンヌ・リュシェール 〜恋と名画とナチスの影〜

2012.05.05
 昔、京橋のフィルムセンターで初めて『格子なき牢獄』を観た時、客席を占めていたのはかなりの年配層だった。おそらくリアルタイムでこの映画を観た人たちだったのだろう。私はその日客席にいた誰よりも若かったと思う。しかし、スチル写真でしか見たことのない女優に寄せる期待は、誰にも負けないくらい高かった。伝説の女優をついにこの目で見ることができる、という興奮で胸が張り裂けそうになっていた。
 「伝説の女優」とは、戦後、ナチス高官の愛人として断罪されたフランス女優、コリンヌ・リュシェールのことである。1940年に映画が日本で公開された後、彼女のブロマイドは2ヶ月間で15万枚売れた。「当時としては」とことわるまでもなく、これは大変な数字である。そのブロマイドを今も大事に持っている人がここにいるかもしれない。そんなことを考えながら、私は席に着いた。

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 物語の舞台は感化院。少女たちを虐げる教育法に反感を抱く新院長が、愛情と信頼によって感化院に変革をもたらす話である。美しく聡明な女院長イボンヌと、彼女に憧れる少女ネリー。この人物設定は『制服の処女』を髣髴させる。ただし、『格子なき牢獄』に出てくる少女はいわゆる不良処女である。そこが違う。ネリーは、根は素直な娘だが、義父に乱暴された暗い過去を持ち、感化院でも虐げられ、人を信用できなくなっている。そんな彼女がイボンヌの教育によって更生し、嘱託医のギイとの恋によって生きる喜びを知る。が、ギイと抱き合っているところをほかの生徒に見られ、強請られてしまう。しかも、ギイとイボンヌが愛し合う仲だったと知り......。

 真の教育とは何か。良い魂を育てるのはどうすればよいか。そんな高邁なテーマが掲げられているが、見どころはやはりコリンヌ・リュシェールである。イボンヌに外出を許されたネリーの表情から伝わってくる解放感が、なんとも微笑ましい。牛のお産を手助けした後のシーンも素晴らしい。ネリーはそのまま牛小屋に横たわり、ギイとキスを交わす。その一点の曇りもない美貌、その口からこぼれ出る「自由を感じるわ」という台詞、その瞬間を逃したら二度と求めることができない青春の陶酔。私は時の経つのも忘れ、映画にのめり込んだ。スチル写真などから想像していた女優が、想像以上のフレッシュさをもってスクリーンの中で呼吸し、躍動している。しかも、これは戦前のモノクロ映画なのである。その驚異にただ唖然とするほかなかった。

 1990年に出た文春文庫の『女優ベスト150 わが青春のアイドル』で、コリンヌ・リュシェールは3位に選ばれている。彼女に投票しているのは吉行淳之介や野坂昭如である。エッセイの中で、野坂はコリンヌのことを「戦死者をもっとも多く出した世代の、銀幕の恋人」と書いている。重い言葉である。さらに、野坂はこんな逸話も紹介している。「(昭和)27年頃だったが、リュシェールは彼の地(アルジェリア)で、娼婦の館の女主人になっているという噂を、何かで読んだ、ぼくは俄然勇み立った」ーーしかし、その頃すでにコリンヌはこの世の人ではなかったのである。

 コリンヌ・リュシェールは1921年2月11日、パリに生まれた。祖父は歴史家、作家として知られるジュリアン・リュシェール、父親はジャーナリストのジャン・リュシェールである。コリンヌが演劇を志したのは14歳の時。レイモン・ルローの教室で学び、祖父ジュリアン原作の『海抜三千二百米』に出演した。その時客席にいたのが、レオニード・モギー監督である。ちなみに、この舞台には『乙女の湖』のオデット・ジョワイユーも出演していた。
 1935年にマルク・アレグレ監督の『みどりの園』で映画デビュー。といっても、エキストラである。1937年には人気歌手ジャン・リュミエールのために作られた『真夜中の歌手』に出演。映画は大して評判にもならず、コリンヌのキャリアに何の変化ももたらさなかったが、その後、運命の作品となる『格子なき牢獄』と出会う。監督はレオニード・モギー。モギーはコリンヌの演技力に不安を抱いていたようだが、脚本を書いたアンリ・ジャンソンの後押しで起用が決まった。

 この映画は1938年に公開されるやいなやセンセーショナルな成功を収め、主役のアニー・デュコーを食う存在感を示したコリンヌは一躍スターになった。『パリ・ミディ』紙は次のように絶賛している。
「これは傑作である。人間の魂に叫びかけ、それを純化させ、向上させる作品である。モギーは巨匠の腕を見せ、俳優も素晴らしい演技を示した。私は有名スターの大作より、コリンヌ・リュシェールのような才能ある若い役者を世に送ったこのような映画に、拍手を送りたい」
 日本でも河上徹太郎がこんなことを書いている。
「此の映画の主役コリンヌ・リュシェールに溢れる『思春期の処女の色気』ともいふべきものは、実に素晴らしく輝かしい。それは『制服の処女』や『早春』が企てて成らず、ダービンやダリューの如く濁ったものとは類が違ふ。それが筋やわき役の不様さにもかかわらずその桎梏を破って活々と魅力を放ってゐるのである」

 ノンフィクション作家の鈴木明が書いた『コリンヌはなぜ死んだか』によると、この時期、コリンヌはロンドンを訪問し、メアリー・ピックフォードから「第二のグレタ・ガルボ」と評されたという。ガルボは演技に関しては評価が微妙だったゆえ、これを純粋に褒め言葉として受け取っていいのか判断に迷うところだが、容姿に関してのことなら最大級の賛辞とみていいだろう。