ローレンス・オリヴィエ 〜真に偉大な俳優についての話〜 前編
2012.09.08
何の映画を観ようか迷っている時、選択基準になるのはたいてい女優と監督である。どんな女優が出ているか、どんな監督がメガホンを取っているか、私にとってはそれが判断材料になる。男優で選ぶケースはあまりない。私にとって、そういう男優は10人いるかいないかである。そのうちの一人が、ローレンス・オリヴィエだ。「ローレンス・オリヴィエ」ーーこの名前を見ると、目の動きが止まってしまう。
最初は、ヴィヴィアン・リーの元夫としてこの人の名前を知った。中学の時に読んだ映画雑誌にヴィヴィアンの紹介記事が載っていたのだ。その文章はヴィヴィアンに肩入れするあまり、ローレンス・オリヴィエに対して反感を抱かせるような書き方をしていた。私はそれを真に受けて、まだ一作も出演作を観ていなかったにもかかわらず、彼のことが嫌いになった。
『ハムレット』(1948年)を観たのはその少し後のことである。戯曲を読んだ後、映画の存在を知り、それが「ローレンス・オリヴィエ監督・主演」であることに蟠りを感じながらも、戯曲の世界がどのように視覚化されているか確認したかったので、とりあえず観ることにした。しかし、ウィリアム・ウォルトンが手がけたオープニング音楽の後、すぐに状況が変わった。〈So oft it chances in particular men...〉という口上があるのだが、その発音に一発で魅了されたのである。口上を述べているのは、もちろんラリー(ローレンス・オリヴィエの愛称)。英語が宝石のようにきらめいているように感じられた。次いで、ハムレットの登場シーンに衝撃を受けた。片足をのばし、頬杖をつき、不機嫌そうな表情で椅子に座っている人物が、ハムレットそのものにしか見えなかったのである。それから約2時間半、私はラリーの演技から目が離せなくなっていた。「嫌い」が一瞬にして雲散霧消し、崇拝に転じたのは、これが初めてである。
オリヴィエ版『ハムレット』には解釈上の疑問点がないこともないのだが、有名な〈To be, or not to be...〉の長台詞の素晴らしさは文句のつけようがないし、クローディアスを討つラストのアクション(ラリーはスタント無しで演じた)が生み出す高揚感も最高だ。〈To be, or not to be〉から〈And lose the name of action.〉までを暗記し、そのシーンを100回以上観ながらラリーの発音を真似した(つもりになっていた)のも、今となっては、何のためにやっていたのかよく分からない思い出である。
『ハムレット』は、ローレンス・オリヴィエが40歳の時に公開された作品。これよりもっと若い頃は、『嵐が丘』(1939年)、『レベッカ』(1940年)、『高慢と偏見』(1940年)の二枚目として知られていた(『レベッカ』は異質な二枚目だが)。いずれも30代前半の出演作品である。『嵐が丘』のヒースクリフ役など、ロマンティックな雰囲気を作り込んで演じている印象があり、どことなく堅い。最上の適役とはいいがたいが、キャサリンが死んだ後の名台詞〈Catherine Earnshaw, may you not rest so long as I live on!〉以降は感動的である。このエロキューションだけでも鑑賞する価値がある(ただ、死んだはずのマール・オベロンの手が動いているのはいただけない)。
平たくいって、女優を見劣りさせるほど強烈な磁力を持つ役者である。『レベッカ』のジョーン・フォンテインはそれを逆手に取っていたが、『高慢と偏見』ではあのグリア・ガースンでさえ釣り合いがとれていないように見えてしまう。彼に太刀打ち出来る女優の筆頭は、やはりヴィヴィアン・リー。とはいえ、初共演作『無敵艦隊』(1937年)は、どちらも演技が青臭い。ラリーの真価を見極める作品としても物足りない。2人の「競演」を堪能するなら、ネルソン提督とエマ・ハミルトンの恋を描いた『美女ありき』(1941年)をまずは観るべきだろう。
もう一人、「対等」に共演した女優としてマリリン・モンローの名前を挙げておく。共演作は『王子と踊子』(1957年)である。ラリーは好感を寄せつけないような即物的な王子役に扮しているが、最後、モンローと別れる際の目の動きが、無表情の中に未知数の深い心情を読み取らせる演技の模範になっている。あれだけ表情を動かさず、観る者に心理を伝えるテクニックは、相当の名優でも手に入れることは容易ではない。
ただ、相手役のマリリン・モンローは、当時リー・ストラスバーグの影響下にあり、ラリーの演技指導に耳を貸そうとしなかった。彼が話し終えると、モンローはリー・ストラスバーグの妻ポーラの方を向き、不機嫌そうに「いま、なんていったの」ときいたという。後年、ラリーは自伝『一俳優の告白』にこう書いている。「撮影を目前に控えて、私の面目は信じられないほどのどん底に失墜していた」ーーしかし、2人の演技術の方向性の違いが、「王子」と「踊子」の対比を示す上で、ユニークな効果をもたらしている。これは不幸中の幸いとすべきだろう。
【関連サイト】
ローレンス・オリヴィエ 〜真に偉大な俳優についての話〜 中編
ローレンス・オリヴィエ 〜真に偉大な俳優についての話〜 後編
laurenceolivier.com
最初は、ヴィヴィアン・リーの元夫としてこの人の名前を知った。中学の時に読んだ映画雑誌にヴィヴィアンの紹介記事が載っていたのだ。その文章はヴィヴィアンに肩入れするあまり、ローレンス・オリヴィエに対して反感を抱かせるような書き方をしていた。私はそれを真に受けて、まだ一作も出演作を観ていなかったにもかかわらず、彼のことが嫌いになった。
『ハムレット』(1948年)を観たのはその少し後のことである。戯曲を読んだ後、映画の存在を知り、それが「ローレンス・オリヴィエ監督・主演」であることに蟠りを感じながらも、戯曲の世界がどのように視覚化されているか確認したかったので、とりあえず観ることにした。しかし、ウィリアム・ウォルトンが手がけたオープニング音楽の後、すぐに状況が変わった。〈So oft it chances in particular men...〉という口上があるのだが、その発音に一発で魅了されたのである。口上を述べているのは、もちろんラリー(ローレンス・オリヴィエの愛称)。英語が宝石のようにきらめいているように感じられた。次いで、ハムレットの登場シーンに衝撃を受けた。片足をのばし、頬杖をつき、不機嫌そうな表情で椅子に座っている人物が、ハムレットそのものにしか見えなかったのである。それから約2時間半、私はラリーの演技から目が離せなくなっていた。「嫌い」が一瞬にして雲散霧消し、崇拝に転じたのは、これが初めてである。
オリヴィエ版『ハムレット』には解釈上の疑問点がないこともないのだが、有名な〈To be, or not to be...〉の長台詞の素晴らしさは文句のつけようがないし、クローディアスを討つラストのアクション(ラリーはスタント無しで演じた)が生み出す高揚感も最高だ。〈To be, or not to be〉から〈And lose the name of action.〉までを暗記し、そのシーンを100回以上観ながらラリーの発音を真似した(つもりになっていた)のも、今となっては、何のためにやっていたのかよく分からない思い出である。
『ハムレット』は、ローレンス・オリヴィエが40歳の時に公開された作品。これよりもっと若い頃は、『嵐が丘』(1939年)、『レベッカ』(1940年)、『高慢と偏見』(1940年)の二枚目として知られていた(『レベッカ』は異質な二枚目だが)。いずれも30代前半の出演作品である。『嵐が丘』のヒースクリフ役など、ロマンティックな雰囲気を作り込んで演じている印象があり、どことなく堅い。最上の適役とはいいがたいが、キャサリンが死んだ後の名台詞〈Catherine Earnshaw, may you not rest so long as I live on!〉以降は感動的である。このエロキューションだけでも鑑賞する価値がある(ただ、死んだはずのマール・オベロンの手が動いているのはいただけない)。
平たくいって、女優を見劣りさせるほど強烈な磁力を持つ役者である。『レベッカ』のジョーン・フォンテインはそれを逆手に取っていたが、『高慢と偏見』ではあのグリア・ガースンでさえ釣り合いがとれていないように見えてしまう。彼に太刀打ち出来る女優の筆頭は、やはりヴィヴィアン・リー。とはいえ、初共演作『無敵艦隊』(1937年)は、どちらも演技が青臭い。ラリーの真価を見極める作品としても物足りない。2人の「競演」を堪能するなら、ネルソン提督とエマ・ハミルトンの恋を描いた『美女ありき』(1941年)をまずは観るべきだろう。
もう一人、「対等」に共演した女優としてマリリン・モンローの名前を挙げておく。共演作は『王子と踊子』(1957年)である。ラリーは好感を寄せつけないような即物的な王子役に扮しているが、最後、モンローと別れる際の目の動きが、無表情の中に未知数の深い心情を読み取らせる演技の模範になっている。あれだけ表情を動かさず、観る者に心理を伝えるテクニックは、相当の名優でも手に入れることは容易ではない。
ただ、相手役のマリリン・モンローは、当時リー・ストラスバーグの影響下にあり、ラリーの演技指導に耳を貸そうとしなかった。彼が話し終えると、モンローはリー・ストラスバーグの妻ポーラの方を向き、不機嫌そうに「いま、なんていったの」ときいたという。後年、ラリーは自伝『一俳優の告白』にこう書いている。「撮影を目前に控えて、私の面目は信じられないほどのどん底に失墜していた」ーーしかし、2人の演技術の方向性の違いが、「王子」と「踊子」の対比を示す上で、ユニークな効果をもたらしている。これは不幸中の幸いとすべきだろう。
続く
(阿部十三)
(阿部十三)
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ローレンス・オリヴィエ 〜真に偉大な俳優についての話〜 中編
ローレンス・オリヴィエ 〜真に偉大な俳優についての話〜 後編
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