ローレンス・オリヴィエ 〜真に偉大な俳優についての話〜 中編
2012.09.10
「真に偉大な俳優についての話といえば、オリヴィエだね」ーーこれは1949年8月、ラリーの演技に傾倒していた若き名優モンゴメリー・クリフトが『サタデイ・イブニング・ポスト』誌のインタビューで語った言葉である。「真に偉大な俳優」とは、いかにも「ローレンス・オリヴィエ」に似つかわしい。
もっとも、最初から偉大だったわけではない。貧しく、無名だった彼がチャンスを掴んだのは、ノエル・カワードの舞台『私生活』からである。1930年、この舞台で成功した後、めきめき頭角を現し、1935年にジョン・ギールグッドに招かれて出演した『ロミオとジュリエット』で名声を獲得。演技力と容姿に恵まれているだけでなく、「オルガンの風袋のような肺臓と、どんな病気にもおかされそうにない声の力や領域と、体を全くの静止状態からほとんどアクロバティックな軽快さまでコントロールできる技術」(『一俳優の告白』)を備えたラリーは、スターの仲間入りを果たした。1935年に出会ったヴィヴィアン・リーとまもなく不倫の恋に落ち、1940年に結婚。ちなみに最初の結婚相手はジル・エズモンド。自伝によると、「(ジルとの)結婚にこだわったのは、宗教的衝動と動物的衝動のあわれに入りまじった気持ちからだった」が、元々ジルの愛は「ほかのところに」あったため、「私の高望みしていたセックスへの夢が実現されないことは明らかだった」という。
しかしヴィヴィアンとの結婚生活も、幸せだったのは数年間だけで、ラリーの名声が高まるのに反比例して暗雲が漂うようになる。自伝には、性的にヴィヴィアンを満足させることが出来なかったこと、ピーター・フィンチにヴィヴィアンを奪われたことなどが赤裸々に綴られている。
一方、俳優・映画監督としてのキャリアは順風満帆で、1944年に『ヘンリー五世』を大成功へと導いた。また、ラルフ・リチャードソンらと共にオールド・ヴィク座を再開させ、海外巡業で絶賛を博した。1947年、ナイトの爵位を受け、1948年には『ハムレット』でアカデミー作品賞、主演男優賞等を受賞。作品賞は、非ハリウッド映画としては初。この受賞に際し、「我々はたしかに戦争ではイギリスを助けたが、オスカーの獲得まで援助するのは行き過ぎだ」という意見がハリウッド側で出たという。1961年にヴィヴィアン・リーと離婚後、ジョーン・プロウライトと結婚。以後、病気等に悩まされながらも、演劇、映画の両方でコンスタントに活動を続け、1970年にロード(貴族)の爵位を授与された。
仕事場でのローレンス・オリヴィエはどんな人物だったのか。1960年にイヨネスコの『犀』で演出を務めたオーソン・ウェルズは、「ラリーの振る舞いには目に余るものがあった」と語っている。ウェルズは敬愛する俳優に演出をつけることができる、と意気揚々と仕事に取り組んだものの、ラリーから無能扱いされ、精神的に追い込まれ、自信喪失に陥ったという。自分以外の人間が上に立つことにラリーは我慢できなかったのである(同じことをジョン・ギールグッドに対してもしていた、とウェルズは証言している)。
「頂点に立つのは自分一人じゃないといけないのさ。チャップリンと同じなんだ。真の意味で戦うスターなんだ」
もっとも、ウェルズは『犀』を理解していたとはいいがたく、作者イヨネスコのことが好きではないとも語っている。なので、ラリーの方にもいい分はあったのだろう。
1953年に映画『三文オペラ』を監督したピーター・ブルックも、ラリーに映画を乗っ取られたことを回想録に書き記している。その2年後、彼らは『タイタス・アンドロニカス』で演劇史に残るような大成功を収めたが、それでもブルックはラリーに人間的親しみを感じることはできなかったという。
「彼はとても丁寧で、よく気が付く人だが、そうした態度の背後に常に緊張感があった。笑いさえ演じる人だった。自分の仮面を常に作り直し、磨き上げようとするかのように」
つまるところ、2人の天才演出家にとっては非常にやりづらい人、好きになれないタイプの人だったようである。ただし、ラリーの乗っ取り癖は、演出に限った話ではない。役者としても、彼は共演者(とくに主演)を食うような芝居をして、強烈な存在感を放ち続けた。
【関連サイト】
ローレンス・オリヴィエ 〜真に偉大な俳優についての話〜 後編
laurenceolivier.com
もっとも、最初から偉大だったわけではない。貧しく、無名だった彼がチャンスを掴んだのは、ノエル・カワードの舞台『私生活』からである。1930年、この舞台で成功した後、めきめき頭角を現し、1935年にジョン・ギールグッドに招かれて出演した『ロミオとジュリエット』で名声を獲得。演技力と容姿に恵まれているだけでなく、「オルガンの風袋のような肺臓と、どんな病気にもおかされそうにない声の力や領域と、体を全くの静止状態からほとんどアクロバティックな軽快さまでコントロールできる技術」(『一俳優の告白』)を備えたラリーは、スターの仲間入りを果たした。1935年に出会ったヴィヴィアン・リーとまもなく不倫の恋に落ち、1940年に結婚。ちなみに最初の結婚相手はジル・エズモンド。自伝によると、「(ジルとの)結婚にこだわったのは、宗教的衝動と動物的衝動のあわれに入りまじった気持ちからだった」が、元々ジルの愛は「ほかのところに」あったため、「私の高望みしていたセックスへの夢が実現されないことは明らかだった」という。
しかしヴィヴィアンとの結婚生活も、幸せだったのは数年間だけで、ラリーの名声が高まるのに反比例して暗雲が漂うようになる。自伝には、性的にヴィヴィアンを満足させることが出来なかったこと、ピーター・フィンチにヴィヴィアンを奪われたことなどが赤裸々に綴られている。
一方、俳優・映画監督としてのキャリアは順風満帆で、1944年に『ヘンリー五世』を大成功へと導いた。また、ラルフ・リチャードソンらと共にオールド・ヴィク座を再開させ、海外巡業で絶賛を博した。1947年、ナイトの爵位を受け、1948年には『ハムレット』でアカデミー作品賞、主演男優賞等を受賞。作品賞は、非ハリウッド映画としては初。この受賞に際し、「我々はたしかに戦争ではイギリスを助けたが、オスカーの獲得まで援助するのは行き過ぎだ」という意見がハリウッド側で出たという。1961年にヴィヴィアン・リーと離婚後、ジョーン・プロウライトと結婚。以後、病気等に悩まされながらも、演劇、映画の両方でコンスタントに活動を続け、1970年にロード(貴族)の爵位を授与された。
仕事場でのローレンス・オリヴィエはどんな人物だったのか。1960年にイヨネスコの『犀』で演出を務めたオーソン・ウェルズは、「ラリーの振る舞いには目に余るものがあった」と語っている。ウェルズは敬愛する俳優に演出をつけることができる、と意気揚々と仕事に取り組んだものの、ラリーから無能扱いされ、精神的に追い込まれ、自信喪失に陥ったという。自分以外の人間が上に立つことにラリーは我慢できなかったのである(同じことをジョン・ギールグッドに対してもしていた、とウェルズは証言している)。
「頂点に立つのは自分一人じゃないといけないのさ。チャップリンと同じなんだ。真の意味で戦うスターなんだ」
もっとも、ウェルズは『犀』を理解していたとはいいがたく、作者イヨネスコのことが好きではないとも語っている。なので、ラリーの方にもいい分はあったのだろう。
1953年に映画『三文オペラ』を監督したピーター・ブルックも、ラリーに映画を乗っ取られたことを回想録に書き記している。その2年後、彼らは『タイタス・アンドロニカス』で演劇史に残るような大成功を収めたが、それでもブルックはラリーに人間的親しみを感じることはできなかったという。
「彼はとても丁寧で、よく気が付く人だが、そうした態度の背後に常に緊張感があった。笑いさえ演じる人だった。自分の仮面を常に作り直し、磨き上げようとするかのように」
つまるところ、2人の天才演出家にとっては非常にやりづらい人、好きになれないタイプの人だったようである。ただし、ラリーの乗っ取り癖は、演出に限った話ではない。役者としても、彼は共演者(とくに主演)を食うような芝居をして、強烈な存在感を放ち続けた。
続く
(阿部十三)
(阿部十三)
【関連サイト】
ローレンス・オリヴィエ 〜真に偉大な俳優についての話〜 後編
laurenceolivier.com
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