ヴィヴィアン・リー 〜燃え尽きるまで〜
2013.01.09
美貌と演技力に恵まれた女優は珍しくないが、ヴィヴィアン・リーほどその両方を驚くほど高い水準で備えていた女優は、古今東西見渡してもそうそういない。
ローレンス・オリヴィエは、1935年にヴィヴィアン・リーが出演した舞台『美徳の仮面』を観た時、その「魔法のような容貌」に魅せられつつ、「素晴らしい技巧をほとんど偶然のように見せかけることの出来る天才手品師の誇り」を感じ取った、と自伝に書いている。この後、2人はお互いに既婚者であったにもかかわらず、急接近し、恋に落ちる。
1938年、オリヴィエが『嵐が丘』の撮影のためハリウッドに行くと、ヴィヴィアンも彼の後を追ってクイーン・メリー号に乗り、渡米。その際、オリヴィエのエージェントであるマイロン・セルズニックの紹介で、『風と共に去りぬ』のスカーレット・オハラ役を獲得したエピソードはあまりにも有名だ。ヴィヴィアンはこの作品でオスカーを受賞。前夫との離婚も成立し、オリヴィエと再婚した。まさに人生はバラ色だった。
しかし、1940年代後半から2人の間に溝が生じる。ピーター・フィンチとの不倫、ヒステリー、精神錯乱、流産、離婚のことが、オリヴィエの自伝に赤裸々に書かれているが、これは興味のある人が読めばいいだろう。ヴィヴィアンは自分の役に神経から浸っていくタイプの女優で、芝居と実生活を混同しがちだった。そして、それが精神のバランスを崩す要因のひとつになった。『欲望という名の電車』でブランチ・デュボアに扮した時期に精神が危険な状態にあったというのも分かる気がする。ただ、皮肉なことに、そういう極端な性格を持つヒロインを演じる時ほど、ヴィヴィアンはスクリーンで輝くのだった。
ヴィヴィアンの代表作は、『風と共に去りぬ』『哀愁』『欲望という名の電車』である。映画史に残る傑作が1作だけでなく3作も並ぶ。中には「ヴィヴィアン・リーはこの3作にしか出演していないのではないか」と思っている人もいる。それくらい1人の女優の存在が観る者に強烈な印象を残す映画である。
美貌や演技力と同じくらい、彼女の魅惑的な声に酔わされる人も少なからずいるに違いない。硬軟・強弱の使い分けが巧みな発声、早口でも耳にすっと入ってくるような落ち着いたトーン。彼女が口にする英語に耳を傾けていると、時間が経つのを忘れてしまいそうになる。男女問わず、偉大な役者は偉大な声を持っている。ヴィヴィアンも例外ではない。
私が『風と共に去りぬ』を観たのは中学2年の頃。3時間を超えるような大作映画を観たのは、それが初めてだった。観た後、言葉が出なかった。女優の名前が「ヴィヴィアン・リー」なのか「スカーレット・オハラ」なのかも分からなくなっていた。それくらいヴィヴィアンに役が憑依していたのである。今観ても、『風と共に去りぬ』のヴィヴィアンには赤く燃えさかる花のような美しさと凄みがあり、その気位の高さ、気性の烈しさに呆気にとられつつも、結局は魅了されてしまう。
『風と共に去りぬ』は、苦みのあるラブロマンスであり、生命の賛歌であり、反戦映画であり、古き良きハリウッドの象徴ともいうべき傑作である。そして、その価値を支えている大きな柱のひとつがヴィヴィアンである。レットやアシュレーやメラニーと違って、人間の強さだけでなく愚かさも遠慮なく集約したようなスカーレット・オハラは、決して共感を得やすい役とはいえない。それでも、そんなヒロインの人生を肯定させてしまう説得力がヴィヴィアンの表現にはある。ほぼ同じことは『哀愁』にも『欲望という名の電車』にもいえる。これらの劇に出てくるヒロインの人生には、闇がある。そこも含めて観る者に受け入れさせるような全身全霊の演技をヴィヴィアンはやってのけるのだ。
『風と共に去りぬ』以前の作品では、『間諜』と『セント・マーティンの小径』が良い。前者は1937年の作品で、共演者はコンラート・ファイト、後者は1938年の作品で、共演者はチャールズ・ロートンとレックス・ハリソンである。
『間諜』はスパイ物。女諜報部員役のヴィヴィアンは、オリヴィエが「想像を絶するほどの驚くべき美の所有者」と書いた女性そのものだ。その絵画的美貌を眺めていると、ストーリーなんかどうでもよくなってしまう。『セント・マーティンの小径』は大道芸人の話。ヴィヴィアンは女スリのリバティ役。リバティは大道芸人の仲間になり、才能を開花させ、かつての仲間を置き去りにして、スター街道を駆け上がる。その性格はややヒステリー気味で、我も強いが、ヴィヴィアンは生き生きと演じている。実際の彼女もこういう感じだったのだろうか、と想像したくなる。
レックス・ハリソンとは、『茶碗の中の嵐』でも共演している。若き新聞記者が強権的な市長を相手に奮闘する話で、ヴィヴィアンは市長の娘役。2人のロマンスは添え物にすぎず、裁判所でのヴィヴィアンの見せ場も高揚感が不足している。参考までに、日本初公開時の批評には「ハリソン、リーは役柄の上からまず普通の出来で充分活かされていないのが惜しい」(村上忠久)とある。
1941年に撮られた『美女ありき』は、「オリヴィエ夫妻」の代表作。妻子あるネルソン提督と人妻エマ・ハミルトンのラブストーリーをベースにした史劇で、当時の観客の中にはヴィヴィアンとオリヴィエの実生活と重ね合わせた人もいるに違いない。
『美女ありき』などという首を傾げたくなる邦題が付いているが、エマに扮したヴィヴィアンを目にすれば、すんなりのみ込める。オリヴィエを圧倒せんばかりのその神々しさを表すには、「美女」の二文字でも足りないほどだ。アレクサンダー・コルダの演出も、ストーリーの骨格も、意外なほどしっかりしていて、見応え十分。単にヴィヴィアンとオリヴィエが共演したという話題性を狙ったものでないことが分かる。2人が映画で初共演した1937年の『無敵艦隊』には、まだ表情にも演技にも青臭さがあったのに、それが僅か4年で消え去っているところにも驚かされる。
映画女優ではなく舞台女優としてのヴィヴィアンの真価を伝える資料は(日本では)なかなか見つからない。オリヴィエとの『ロミオとジュリエット』や『マクベス』や『タイタス・アンドロニカス』は英国演劇史に残る名舞台だったようだが、私は写真でしか見たことがない。マクベス夫人やラヴィニアを演じたヴィヴィアンの映像はないものか。
オリヴィエによると、偏見に満ちた批評家はヴィヴィアンをシェイクスピア女優として認めようとせず、「非情な攻撃」を加えていたという。例えば、著名な批評家ケネス・タイナンは容赦なく「彼(オリヴィエ)の病妻」と書いた。ヴィヴィアンの心中はいかばかりだったろう。しかも、オリヴィエの名声は1944年の『ヘンリー五世』以降、高まる一方だった。30歳を過ぎたヴィヴィアンは、休むことを知らない夫に追いつこうとしてもがいていたのかもしれない。
1953年に『巨象の道』の撮影中、ヴィヴィアンはロケ地のセイロンで神経衰弱に陥り、仕事を続けることが不可能な状態になる(代役はエリザベス・テイラーが務めた)。もともと映画の出演本数は多い方ではなかったが、これを境に、その数はさらに減る。舞台の仕事はマイペースで行い、1960年にオリヴィエと離婚した後も、『TOVARICH』などで賞賛を浴びていた。年下の恋人、ジャック・メリヴェールもそばにいた。しかし、結婚はしなかった。部屋にオリヴィエの写真を飾り、周囲に「レディ・オリヴィエ」と呼ばせていたという逸話も残されている。
結核と心の病との戦いは、1967年7月8日、不意に幕を閉じた。ヴィヴィアンは自宅のアパートで喀血し、血を気管支に詰まらせて、亡くなった。ジャック・メリヴェールが買い物に出ている間の出来事だった。
1913年に生まれ、1967年に亡くなったヴィヴィアン・リー。その命は53年と8ヶ月で燃え尽きたが、フィルムに刻まれた美しさと気位の高さは、生誕100年を迎えた2013年の今も私たちを虜にしてやまない。
【関連サイト】
ローレンス・オリヴィエは、1935年にヴィヴィアン・リーが出演した舞台『美徳の仮面』を観た時、その「魔法のような容貌」に魅せられつつ、「素晴らしい技巧をほとんど偶然のように見せかけることの出来る天才手品師の誇り」を感じ取った、と自伝に書いている。この後、2人はお互いに既婚者であったにもかかわらず、急接近し、恋に落ちる。
1938年、オリヴィエが『嵐が丘』の撮影のためハリウッドに行くと、ヴィヴィアンも彼の後を追ってクイーン・メリー号に乗り、渡米。その際、オリヴィエのエージェントであるマイロン・セルズニックの紹介で、『風と共に去りぬ』のスカーレット・オハラ役を獲得したエピソードはあまりにも有名だ。ヴィヴィアンはこの作品でオスカーを受賞。前夫との離婚も成立し、オリヴィエと再婚した。まさに人生はバラ色だった。
しかし、1940年代後半から2人の間に溝が生じる。ピーター・フィンチとの不倫、ヒステリー、精神錯乱、流産、離婚のことが、オリヴィエの自伝に赤裸々に書かれているが、これは興味のある人が読めばいいだろう。ヴィヴィアンは自分の役に神経から浸っていくタイプの女優で、芝居と実生活を混同しがちだった。そして、それが精神のバランスを崩す要因のひとつになった。『欲望という名の電車』でブランチ・デュボアに扮した時期に精神が危険な状態にあったというのも分かる気がする。ただ、皮肉なことに、そういう極端な性格を持つヒロインを演じる時ほど、ヴィヴィアンはスクリーンで輝くのだった。
ヴィヴィアンの代表作は、『風と共に去りぬ』『哀愁』『欲望という名の電車』である。映画史に残る傑作が1作だけでなく3作も並ぶ。中には「ヴィヴィアン・リーはこの3作にしか出演していないのではないか」と思っている人もいる。それくらい1人の女優の存在が観る者に強烈な印象を残す映画である。
美貌や演技力と同じくらい、彼女の魅惑的な声に酔わされる人も少なからずいるに違いない。硬軟・強弱の使い分けが巧みな発声、早口でも耳にすっと入ってくるような落ち着いたトーン。彼女が口にする英語に耳を傾けていると、時間が経つのを忘れてしまいそうになる。男女問わず、偉大な役者は偉大な声を持っている。ヴィヴィアンも例外ではない。
私が『風と共に去りぬ』を観たのは中学2年の頃。3時間を超えるような大作映画を観たのは、それが初めてだった。観た後、言葉が出なかった。女優の名前が「ヴィヴィアン・リー」なのか「スカーレット・オハラ」なのかも分からなくなっていた。それくらいヴィヴィアンに役が憑依していたのである。今観ても、『風と共に去りぬ』のヴィヴィアンには赤く燃えさかる花のような美しさと凄みがあり、その気位の高さ、気性の烈しさに呆気にとられつつも、結局は魅了されてしまう。
『風と共に去りぬ』は、苦みのあるラブロマンスであり、生命の賛歌であり、反戦映画であり、古き良きハリウッドの象徴ともいうべき傑作である。そして、その価値を支えている大きな柱のひとつがヴィヴィアンである。レットやアシュレーやメラニーと違って、人間の強さだけでなく愚かさも遠慮なく集約したようなスカーレット・オハラは、決して共感を得やすい役とはいえない。それでも、そんなヒロインの人生を肯定させてしまう説得力がヴィヴィアンの表現にはある。ほぼ同じことは『哀愁』にも『欲望という名の電車』にもいえる。これらの劇に出てくるヒロインの人生には、闇がある。そこも含めて観る者に受け入れさせるような全身全霊の演技をヴィヴィアンはやってのけるのだ。
『風と共に去りぬ』以前の作品では、『間諜』と『セント・マーティンの小径』が良い。前者は1937年の作品で、共演者はコンラート・ファイト、後者は1938年の作品で、共演者はチャールズ・ロートンとレックス・ハリソンである。
『間諜』はスパイ物。女諜報部員役のヴィヴィアンは、オリヴィエが「想像を絶するほどの驚くべき美の所有者」と書いた女性そのものだ。その絵画的美貌を眺めていると、ストーリーなんかどうでもよくなってしまう。『セント・マーティンの小径』は大道芸人の話。ヴィヴィアンは女スリのリバティ役。リバティは大道芸人の仲間になり、才能を開花させ、かつての仲間を置き去りにして、スター街道を駆け上がる。その性格はややヒステリー気味で、我も強いが、ヴィヴィアンは生き生きと演じている。実際の彼女もこういう感じだったのだろうか、と想像したくなる。
レックス・ハリソンとは、『茶碗の中の嵐』でも共演している。若き新聞記者が強権的な市長を相手に奮闘する話で、ヴィヴィアンは市長の娘役。2人のロマンスは添え物にすぎず、裁判所でのヴィヴィアンの見せ場も高揚感が不足している。参考までに、日本初公開時の批評には「ハリソン、リーは役柄の上からまず普通の出来で充分活かされていないのが惜しい」(村上忠久)とある。
1941年に撮られた『美女ありき』は、「オリヴィエ夫妻」の代表作。妻子あるネルソン提督と人妻エマ・ハミルトンのラブストーリーをベースにした史劇で、当時の観客の中にはヴィヴィアンとオリヴィエの実生活と重ね合わせた人もいるに違いない。
『美女ありき』などという首を傾げたくなる邦題が付いているが、エマに扮したヴィヴィアンを目にすれば、すんなりのみ込める。オリヴィエを圧倒せんばかりのその神々しさを表すには、「美女」の二文字でも足りないほどだ。アレクサンダー・コルダの演出も、ストーリーの骨格も、意外なほどしっかりしていて、見応え十分。単にヴィヴィアンとオリヴィエが共演したという話題性を狙ったものでないことが分かる。2人が映画で初共演した1937年の『無敵艦隊』には、まだ表情にも演技にも青臭さがあったのに、それが僅か4年で消え去っているところにも驚かされる。
映画女優ではなく舞台女優としてのヴィヴィアンの真価を伝える資料は(日本では)なかなか見つからない。オリヴィエとの『ロミオとジュリエット』や『マクベス』や『タイタス・アンドロニカス』は英国演劇史に残る名舞台だったようだが、私は写真でしか見たことがない。マクベス夫人やラヴィニアを演じたヴィヴィアンの映像はないものか。
オリヴィエによると、偏見に満ちた批評家はヴィヴィアンをシェイクスピア女優として認めようとせず、「非情な攻撃」を加えていたという。例えば、著名な批評家ケネス・タイナンは容赦なく「彼(オリヴィエ)の病妻」と書いた。ヴィヴィアンの心中はいかばかりだったろう。しかも、オリヴィエの名声は1944年の『ヘンリー五世』以降、高まる一方だった。30歳を過ぎたヴィヴィアンは、休むことを知らない夫に追いつこうとしてもがいていたのかもしれない。
1953年に『巨象の道』の撮影中、ヴィヴィアンはロケ地のセイロンで神経衰弱に陥り、仕事を続けることが不可能な状態になる(代役はエリザベス・テイラーが務めた)。もともと映画の出演本数は多い方ではなかったが、これを境に、その数はさらに減る。舞台の仕事はマイペースで行い、1960年にオリヴィエと離婚した後も、『TOVARICH』などで賞賛を浴びていた。年下の恋人、ジャック・メリヴェールもそばにいた。しかし、結婚はしなかった。部屋にオリヴィエの写真を飾り、周囲に「レディ・オリヴィエ」と呼ばせていたという逸話も残されている。
結核と心の病との戦いは、1967年7月8日、不意に幕を閉じた。ヴィヴィアンは自宅のアパートで喀血し、血を気管支に詰まらせて、亡くなった。ジャック・メリヴェールが買い物に出ている間の出来事だった。
1913年に生まれ、1967年に亡くなったヴィヴィアン・リー。その命は53年と8ヶ月で燃え尽きたが、フィルムに刻まれた美しさと気位の高さは、生誕100年を迎えた2013年の今も私たちを虜にしてやまない。
(阿部十三)
【関連サイト】
[ヴィヴィアン・リー略歴]
1913年11月5日、インドのダージリン生まれ。本名はヴィヴィアン・メアリー・ハートリー。6歳の時、イギリスに渡り、両親の希望によりローハンプトン聖心修道院附属寄宿学校に入る。そこで演技に興味を抱く。その後、ロンドン王立演劇アカデミーに入学。1931年に弁護士ハーバート・リー・ホルマンと出会い、翌年結婚。子供も生まれたが、女優の道を捨てられず、『Things Are Looking Up』の小さな役で映画デビュー。1935年には『美徳の仮面』の舞台で話題をさらい、演劇界の新進スターとして人気を集めていたローレンス・オリヴィエと出会う。1939年、『風と共に去りぬ』のスカーレット・オハラ役で世界的大スターに。同作品でオスカーも獲得。以降、『哀愁』『美女ありき』『シーザーとクレオパトラ』『アンナ・カレニナ』に出演するが、私生活では心の病と結核に悩まされる日々が続く。1951年には『欲望という名の電車』に出演し、2度目のオスカーを受賞。1953年に『巨象の道』の撮影中に倒れてからは、映画出演の機会が減り、主に舞台で活躍した。1940年に結婚したオリヴィエとは1960年に離婚。1967年7月8日、喀血がもとで、53歳で亡くなった。
1913年11月5日、インドのダージリン生まれ。本名はヴィヴィアン・メアリー・ハートリー。6歳の時、イギリスに渡り、両親の希望によりローハンプトン聖心修道院附属寄宿学校に入る。そこで演技に興味を抱く。その後、ロンドン王立演劇アカデミーに入学。1931年に弁護士ハーバート・リー・ホルマンと出会い、翌年結婚。子供も生まれたが、女優の道を捨てられず、『Things Are Looking Up』の小さな役で映画デビュー。1935年には『美徳の仮面』の舞台で話題をさらい、演劇界の新進スターとして人気を集めていたローレンス・オリヴィエと出会う。1939年、『風と共に去りぬ』のスカーレット・オハラ役で世界的大スターに。同作品でオスカーも獲得。以降、『哀愁』『美女ありき』『シーザーとクレオパトラ』『アンナ・カレニナ』に出演するが、私生活では心の病と結核に悩まされる日々が続く。1951年には『欲望という名の電車』に出演し、2度目のオスカーを受賞。1953年に『巨象の道』の撮影中に倒れてからは、映画出演の機会が減り、主に舞台で活躍した。1940年に結婚したオリヴィエとは1960年に離婚。1967年7月8日、喀血がもとで、53歳で亡くなった。
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