「サン=サーンス」と一致するもの

  • 衰えることを知らぬ人 演奏技術について語るとき、昔より今の方が格段に進歩しているとか、水準が上がっているという言い方をする人をよく見かける。しかし、全体の平均値が上がっても、突出した存在が現れるとは限らない。その証拠に、ナタン・ミルシテインやウラディミール・ホロヴィッツに匹敵するようなヴィルトゥオーゾは、ほとんど現代に存在しない。才能は平等なものではなく、分...

    [続きを読む](2015.03.20)
  • 協奏曲の録音 ギレリスのピアニズムには確かな造形感があり、胸に響く重量感、輝かしいまでの明晰さがある。しかし、グリーグの『抒情小曲集』で聴くことが出来るしっとりとした味わいと甘美さ、プロコフィエフの「束の間の幻影」で聴くことが出来る胸のすくような跳躍感や諧謔的な表現の巧さもギレリスの特性である。 若い頃(1930年代から1940年代にかけて)の録音を聴くとテ...

    [続きを読む](2014.04.23)
  •  ジノ・フランチェスカッティのヴァイオリンは聴く者を幸福な気分にさせる。その音は豊潤で、艶やかで、屈託がない。深刻ぶったところもない。心地よさを伴いながら耳の中にすべりこみ、鼓膜に浸透し、全身に行き渡る。深みが足りないとか、精神性に欠けるという人もいるが、根が明るく解放感に満ちたヴァイオリンにそんなものを求めるのは野暮というものである。 1902年8月9日、...

    [続きを読む](2013.05.14)
  •  2004年にグリゴリー・ソコロフのコンサート映像がDVD化された時、日本では知名度が高いとはいえないこの大ピアニストについて、私は次のように書いたことがある。「現在は西欧を中心にマイペースの活動を行ない、その名声はすでに不動の高みに達している。にもかかわらず、日本で目立つかたちで紹介される機会はなく、情報が増えない。はっきりいえばマイナー扱いされている節す...

    [続きを読む](2013.04.16)
  • 「怒りの日」に音が溢れる サン=サーンスの交響曲第3番「オルガン付き」は、循環形式を駆使して書かれた傑作である。壮麗に鳴り響くオルガンのインパクトが大きすぎるため、「派手な交響曲」の代名詞のようにいわれがちだが、その堅牢かつ緻密な構成を意識しながら聴けば、作品の奥にある魅力が味わえるだろう。 時に暗示的に、時に変則的に現れる主題はグレゴリオ聖歌の「怒りの日」...

    [続きを読む](2013.03.29)
  •  オッテルローが遺した録音で最も有名なのは、ベルリオーズの「幻想交響曲」だろう。名盤といわれるレコードやCDがたくさんある作品だが、その中にあって1951年6月に録音されたオッテルロー盤は、ほかの指揮者と比べて遜色ないどころか、もう60年以上、ひときわ眩しく光っている。「幻想」を聴き込んでいる人ほど、オッテルローの聴かせ方のうまさに唸らされているようである。...

    [続きを読む](2013.01.17)
  • サラサーテのために サン=サーンスのヴァイオリン協奏曲第3番は、「ツィゴイネルワイゼン」の作曲者としても知られる名手パブロ・デ・サラサーテのために書かれた。ベートーヴェンがフランツ・クレメントのために、メンデルスゾーンがフェルディナンド・ダヴィッドのために、ブラームスがヨーゼフ・ヨアヒムのために、チャイコフスキーがレオポルト・アウアーのためにヴァイオリン協奏...

    [続きを読む](2011.11.21)
  •  アンドレ・クリュイタンスはフランス音楽のスペシャリストとして知られている。その指揮棒から生み出される音楽は、エレガント、粋、エスプリ、洗練、色彩感、香り高い、といった言葉を並べて説明されることが多い。しかし、それらの言葉はどこまで本質をついているのだろうか。使いようによってはどうにでも使える言葉を、日本人が抱いている「フランス」のイメージに絡めて使っている...

    [続きを読む](2011.07.21)
  • 完全燃焼するオルガン フランシス・プーランクのオルガン協奏曲は、正式には「オルガン、弦楽、ティンパニのための協奏曲」という。つまり、管楽器が使われていない。それらの音色はオルガンが一手に担っている。その多彩な音にティンパニの打音と弦楽器の重厚な響きが重なり合う。そこから生まれるアンサンブルは驚くほど陰翳が深い。管楽器がなくて物足りない、という印象が与えられる...

    [続きを読む](2011.07.10)
  •  シャルル・ミュンシュが遺した録音に接していると、しばしばライヴを目の当たりにしているような気分になる。そこには生々しい臨場感がある。彼はその著作『私は指揮者である』の中で、「コンサートは毎回頭脳と筋肉と神経のエネルギーを信じられないほど消耗させる」と書いているが、そうした全力投球の姿勢はレコーディングでも変わらなかったに違いない。 ミュンシュは1891年9...

    [続きを読む](2011.04.08)
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