「谷崎潤一郎」と一致するもの

  •  今はインターネットを通じて、自分と似たような考えを持つ人が匿名の世界に存在することはある程度見て取れる。とはいえ、昔と比べて現実生活における青春の孤独の寄る辺なさにそこまで大きな違いがあるわけではないだろう。16歳の頃、私は誰の話を聞いても共感できない、どんな思想にふれても満たされないという空白を持て余していた。自分の欲しい言葉が具体的にどのようなものなの...

    [続きを読む](2015.11.07)
  •  教員志望の同級生に誘われて、塾講師をしていたことがある。1994年4月から1996年3月までの約2年間の話だ。 中学2年生と中学3年生の国語のクラスを受け持っていた。生徒は各16名。授業時間は90分で、1日2コマ。時給は2600円、辞めた時は2900円だった。当時住んでいたアパートから車で50分という遠い場所にあったが、ちょっとした夕食付きだったこともあり...

    [続きを読む](2013.08.10)
  • 実験と娯楽 「なにを始めるかわからないと評判の市川崑」ーー1957年に公開された『穴』の予告編に出てくるキャッチコピーである。これほど市川崑という監督のスタンスをわかりやすく言い表した言葉はない。ベネチア国際映画祭サン・ジョルジオ賞を受賞し、アカデミー外国語映画賞候補にも挙がり、市川崑の名を知らしめた『ビルマの竪琴』。女子大生に睡眠薬を飲ませて犯す場面が話題...

    [続きを読む](2012.10.18)
  •  生田長江は大正時代に活躍した評論家であり、女性による文芸誌『青鞜』の企画者である。翻訳家としても有名で、彼の訳したニーチェ全集が日本の思想界に及ぼした影響は計り知れない。ダヌンツィオの『死の勝利』を訳し、若者たちを熱狂させたのも長江である。ダンテの『神曲』、ツルゲーネフの『猟人日記』、フローベール『サラムボオ』なども訳している。ほとんどは英語からの重訳で、...

    [続きを読む](2011.11.26)
  •  有馬稲子の美貌は宝塚時代から有名だった。ただ、その美しさには翳があり、笑顔の中にも愁いが漂っていて、それが単なる美人女優にはない複雑な魅力を彼女に付与している。東宝専属女優としての第1回主演作『ひまわり娘』を手がけた千葉泰樹監督も、有馬稲子の印象をこう語っていたという。「明るい感じの娘だと思っていたが、撮影が始まり、彼女を見つめていると、むしろ哀愁が濃いこ...

    [続きを読む](2011.07.23)
  •  内田吐夢ほど浮き沈みの激しい人生を送った映画監督がいるだろうか。その歩みを追うだけでも劇的な長編小説を読むような思いがする。 高等小学校中退後、ピアノ屋で丁稚奉公し、こき使われた少年時代。やがて映画に興味を持った彼は、谷崎潤一郎の『アマチュア倶楽部』の製作現場に飛び込むが、そのまま映画界に進むことなく、旅芸人の一座に入りドサ回りを体験。さらに、震災直後は浅...

    [続きを読む](2011.06.05)
  •  龍膽寺雄と書いて「りゅうたんじ・ゆう」と読む。「りんどうじ・ゆう」でも「りんどう・てらお」でもない。龍胆寺雄、竜胆寺雄と記されることも多い。 昭和初期に活躍したこの作家の名前を、今どれくらいの人が知っているだろうか。私が学生だった20年ほど前は「再評価の機運が高まっている」などと言われていたものだが、それからどうも尻すぼみになってしまったような気がする。 ...

    [続きを読む](2011.03.26)
  •  日本の監督で、女優の魅力を引き出すのが最もうまいのは誰か。この問いに対し、成瀬巳喜男や木下惠介と答える人は、おそらく吉村公三郎の名前を知らないか、忘れている。成瀬も木下も女心のひだを撮る名手として知られているが、起用する女優は大体いつも同じだった。しかし、吉村は全くタイプの異なる女優を次々と主役に据え、その持ち味を発揮させる、まさに「女優映画」の達人だった...

    [続きを読む](2011.03.25)
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