「シューマン」と一致するもの

  • 何もかもが音楽的 ヴィルヘルム・バックハウスは「鍵盤の獅子王」と呼ばれたドイツのピアニストで、ベートーヴェンやブラームスを得意としていた。質実剛健、謹厳実直と言われることが多いが、その音楽性は決して堅苦しいものではなく、聴き手に息詰まるような緊張を強いるものでもない。むしろ、すぐれた音楽作品に封じ込められた神秘をあっさりと解き放ち、難解さやいかめしさとは異な...

    [続きを読む](2017.03.10)
  • 一回勝負に賭ける演奏 ヴィルヘルム・フルトヴェングラーが没入を重んじた指揮者だったことは、遺された録音や映像に接すればすぐに分かる。その手記にも、集中と没頭なき芸術が「芸術全般の悲劇の始まり」であると書かれている。彼にとって、単に楽譜に忠実なだけの演奏は非創造的であり、個性的な審美観を振り回す指揮は疑わしいものであった。「私にとって重要なのは、魂に訴えるか否...

    [続きを読む](2016.10.19)
  •  ハンス・リヒター=ハーザーはかつてヨーロッパでもアメリカでも称賛されたドイツのピアニストである。遺された音源が限られているせいか、今では地味な存在になっているが、実際の音楽性は地味と言われるようなものでは全くない。 生まれたのは1912年1月6日。13歳でドレスデン・アカデミーに入学し、ピアノだけでなくヴァイオリン、打楽器、指揮法も学んだ。1928年にデビ...

    [続きを読む](2016.05.29)
  • 仮面をつけた音符たち ロベルト・シューマンの『謝肉祭』は1834年9月頃から1835年の間に作曲されたピアノ小品集で、作品番号は9。副題は「4つの音符による愛らしい情景」である。4つの音符とは、恋人エルネスティーネ・フォン・フリッケンの故郷アッシュの綴り「ASCH」を音名表記した「A、Es、C、H」。シューマンはこれらの文字が自分の名前の綴りに含まれているこ...

    [続きを読む](2016.04.08)
  • マーラーの影響 若い頃、オットー・クレンペラーはマーラーの交響曲第2番「復活」をピアノ用に編曲して暗譜で演奏し、作曲者に認められた。そして、そのとき書いてもらった推薦状のおかげで、プラハの歌劇場の指揮者になることができた。1907年のことである。「すぐれた音楽家クレンペラー氏をご推薦申し上げます。氏はまだ若年にもかかわらず、すでに経験豊かであり、指揮者の職に...

    [続きを読む](2016.03.19)
  • ばらの使徒たち このオペラを知った十代の頃は、第二幕のオクタヴィアンとゾフィーの二重唱、第三幕のマルシャリンとオクタヴィアンとゾフィーの三重唱、オクタヴィアンとゾフィーの二重唱にばかり惹かれ、第一幕を理解できていなかった。劇的な動きをみせる第二幕や第三幕に比べると、第一幕は心理的であり、取り繕った世界の奥にあるマルシャリンの哀愁をきちんと汲み取れずにいたのだ...

    [続きを読む](2015.11.23)
  •  アーリーン・オジェーの歌声は心を洗う光、雑念を消す光である。まさしく真の美声だ。普通の歌手なら中年にさしかかるあたりで声が重くなったり固くなったりして、高音の出し方にも力みが感じられるようになる。しかし、オジェーは表現の幅を広げることはあっても、気品と透明感のある美声を失うことはなかった。彼女はそのキャリアの中で、厳密な意味で「衰えない」という奇跡を積み重...

    [続きを読む](2015.10.23)
  • 天才の自信と閃き ロベルト・シューマンのピアノ協奏曲は、1841年に書かれた「ピアノと管弦楽のための幻想曲」に手を加え、2つの楽章を追加したものである。完成したのは1845年のこと。初演日は1846年1月1日、独奏は妻のクララ・シューマンが務めた。 管弦楽の扱いに関しては、ピアノ曲や歌曲にみられる精度が足りないと言われることが多いシューマンだが、すでに交響曲...

    [続きを読む](2015.05.02)
  • 愛のため、自由のために ベートーヴェンにとって初めてのオペラ作品『フィデリオ』は、1805年11月20日にアン・デア・ウィーン劇場で初演され、3日間で取りやめになった。「期待を完全に裏切る出来」(『デア・フライミューティゲ』1805年12月26日付)とまで書かれたが、当時ウィーンがフランス軍に占領され、裕福な音楽愛好家たちが疎開していたことや、聴衆の大半がド...

    [続きを読む](2014.12.30)
  • 文学にかき立てられた情熱 ショパンのバラードは全部で4作品ある。完成時期はまちまちで、第1番は1835年、第2番は1839年、第3番は1841年、第4番は1842年である。いずれもピアノの詩人が遺した傑作として愛されているが、最もポピュラーなのは第1番だろう。ロベルト・シューマンの手紙によると、「あなたが書いたほかのどの楽曲よりもこれ(バラード第1番)が好き...

    [続きを読む](2014.10.21)
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