「ブルーノ・ワルター」と一致するもの

  • 愛のため、自由のために ベートーヴェンにとって初めてのオペラ作品『フィデリオ』は、1805年11月20日にアン・デア・ウィーン劇場で初演され、3日間で取りやめになった。「期待を完全に裏切る出来」(『デア・フライミューティゲ』1805年12月26日付)とまで書かれたが、当時ウィーンがフランス軍に占領され、裕福な音楽愛好家たちが疎開していたことや、聴衆の大半がド...

    [続きを読む](2014.12.30)
  • 指揮者の中の王 アルトゥーロ・トスカニーニは19世紀後半から20世紀半ばにかけて君臨したイタリアの大指揮者である。彼の登場により指揮者の地位、オペラの上演スタイル、オーケストラの演奏表現の在り方は大きく変わった。かのオットー・クレンペラーが「指揮者の中の王」と呼ぶほどその影響力は絶大だった。トスカニーニは単に指揮棒を振るだけの人ではなく、音楽監督ないし芸術監...

    [続きを読む](2014.07.08)
  • 絵画的描写ではなく感情の表出 ベートーヴェンの交響曲の中で最も有名な作品のひとつである第6番は、1808年に書き上げられた。作曲時期は第5番とほぼ同じだが、第5番の大部分の作曲は1807年に行われ、第6番の方は1808年の初春〜夏にかけて集中的に書かれたとみられている。 構想自体はそれ以前から抱いていたようで、1803年から1804年にかけて使用していた「ラ...

    [続きを読む](2014.03.28)
  • 1830年に生まれた革命的交響曲 幻想交響曲が完成したのは1830年のことである。ベートーヴェンが世を去ってから3年しか経っていないのに、ここまで奇想天外な交響曲がフランスから生まれたという事実には驚嘆するほかない。しかも作曲当時、エクトル・ベルリオーズは26歳だったのである。 作曲の原動力になったのは恋である。若手の登竜門とされるローマ賞に挑戦して落選した...

    [続きを読む](2013.11.26)
  • 歳月の重さと理念の重さ ヨハネス・ブラームスが交響曲第1番を完成させたのは1876年。「2台のピアノのためのソナタ」を交響曲に改作しようとして挫折したのが1855年頃なので、20年越しの念願成就ということになる。むろん、その間ずっと交響曲にかかりきりだったわけではないが、自らが世に出す最初の交響曲のことをブラームスはかなり重く考えていたようである。ベートーヴ...

    [続きを読む](2013.07.01)
  • ハイドン入門 1793年から1794年の頭にかけて作曲された「軍隊」は、「驚愕」と共に、数多あるハイドンの交響曲の入り口に控えている曲である。多くの人は、これらの作品からハイドンの音楽の森の中に足を踏み入れていく。ちなみに、「軍隊」という呼称はザロモン・コンサートでの初演時から使われているもので、第2楽章で打楽器(大太鼓、シンバル、トライアングル)が軍楽風に...

    [続きを読む](2013.06.25)
  • 高度な簡潔さ ハイドンの交響曲の中で、個人的に最も愛聴しているのは第88番ト長調「V字」である。有名な第94番ト長調「驚愕」、第100番ト長調「軍隊」、第101番ニ長調「時計」、第104番ニ長調「ロンドン」などもよく聴くが、「V字」にはハイドンの美質がきれいに無駄なく詰まっていて、聴きやすい。簡潔さの中に音楽的内容の充実度と自由度がある。非常に中毒性の高い作...

    [続きを読む](2012.12.20)
  • 聴いてすぐそれと分かる声 かつてEMIのプロデューサー、ウォルター・レッグはマリア・カラスについてこのように評した。「カラスは、偉大なキャリアを築くための必要条件、聴いてすぐそれと分かる声の持ち主だった」 偉大な歌手の定義はいろいろあるだろうが、「聴いてすぐそれと分かる声」(an instantly recognizable voice)を所有していることが...

    [続きを読む](2012.09.20)
  •  2012年5月22日、吉田秀和氏が急性心不全のため亡くなった。その5日後の日曜日、私は新しいパソコンを買うために行った家電屋で、このニュースを知った。ネットがちゃんとつながるかどうか店員さんに確認してもらっている時、アクセスした某ポータルサイトのトップページに載っていたのである。「音楽評論家の吉田秀和氏死去」 高校の図書室にあった吉田秀和全集を思い出す。 ...

    [続きを読む](2012.06.02)
  • R.シュトラウスとカラヤンの理想 マリア・チェボターリはリヒャルト・シュトラウスのお気に入りだった。ヘルベルト・フォン・カラヤンによると、シュトラウスが理想としていた〈サロメ〉はチェボターリだったという。1970年代半ば、カラヤンもまたサロメ役に亡きチェボターリの声を求めていた。そうして見つけた歌手がヒルデガルト・ベーレンスである。カラヤンはリチャード・オズ...

    [続きを読む](2011.07.02)
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