「ヘルベルト・フォン・カラヤン」と一致するもの
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60歳の出世作 ブルックナーがワーグナーを信奉していたことはよく知られている。交響曲を献呈し、バイロイト音楽祭にも足を運んだ。ワーグナー協会の名誉会員にもなった。当然、音楽的にも大きな影響を受けた。ただ、そのおかげで、ある評論家から執拗に攻撃されることになる。それが、アンチ・ワーグナーとして知られたエドゥアルト・ハンスリックだ。ブラームス派だったハンスリック...
[続きを読む](2012.06.11) -
頭上を舞う、16羽の白鳥 1914年5月から6月にかけて、シベリウスはアメリカを訪問し、大歓迎を受けた。これに気を良くした彼は再度訪米することを考えたが、同年夏、第一次世界大戦が勃発したため断念せざるを得なくなる。おまけに自分の作品を扱っているドイツの出版社から収入が入ってこなくなり、不如意な生活を強いられるようになる。しかし、当時のシベリウスの日記を見てみ...
[続きを読む](2012.05.09) -
R.シュトラウスとカラヤンの理想 マリア・チェボターリはリヒャルト・シュトラウスのお気に入りだった。ヘルベルト・フォン・カラヤンによると、シュトラウスが理想としていた〈サロメ〉はチェボターリだったという。1970年代半ば、カラヤンもまたサロメ役に亡きチェボターリの声を求めていた。そうして見つけた歌手がヒルデガルト・ベーレンスである。カラヤンはリチャード・オズ...
[続きを読む](2011.07.02) -
カイルベルトについて語る時に決まって出てくる言葉は「質実剛健」「無骨」といったものばかり。渋いと評する人もいるが、それも褒め言葉ではなく単に「地味」「色気がない」の裏返しとして言っているだけ。これには本人のジャガイモみたいな風采も少しは影響しているのかもしれない。 そのイメージが変わってきたのはワーグナーの『指環』のバイロイト・ライヴ音源が発売されてからで...
[続きを読む](2011.04.28) -
ワルター・ギーゼキングの「皇帝」といえば、ヘルベルト・フォン・カラヤン/フィルハーモニア管弦楽団と組んだ録音が有名である。昔から名演として知られているので、聴いたことがある人も多いだろう。アルチェオ・ガリエラ/フィルハーモニア管弦楽団との録音もあるが、こちらはカラヤン盤に比べると薄味すぎて物足りない。そこが自己主張の強いベートーヴェンらしくなくてかえって良...
[続きを読む](2011.04.13) -
青春が輝きだすその一瞬 『ラ・ボエーム』ほど「甘く切ない」という表現がぴったりくる青春オペラはほかにない。貧しさの中無茶をしたり、たわいもないことで大騒ぎしたり、一瞬で異性に心奪われたり、といった若者たちのエピソードは、きっと私たちの青春の記憶を刺激し、胸を締めつけることだろう。今青春真っ盛りの人が聴けば、おそらく自分の分身をこの作品の中に見出すのではないか...
[続きを読む](2011.03.22) -
日本の年末を彩る不朽のメロディー ベートーヴェンの第九といえば、今や日本では年末になくてはならない音楽となっている。コンサート、テレビ、ラジオ、雑誌でも、11月くらいになると、こぞって第九が取り上げられる。ほかの国にはこういった習慣はないので、これはもう日本の風物詩と言っていい。 そもそも第九の日本初演が行われたのは1918年のこと。場所は徳島の俘虜収容所で...
[続きを読む](2011.03.03) -
20世紀最大の天才作曲家 人は常にいくつかの感情を同時に抱え込んでいる。心が喜びだけで満たされる瞬間があったとしても、その状態は長く続いてはくれない。嬉しさの中には少しのわだかまりがあったり、安堵感の中には拭いきれない不安の影があったり、達成感の中には説明のつかない不満があったり......と相反するはずの感情が胸の内に共存しているものである。人間とは割り切...
[続きを読む](2011.02.10) -
往年の大指揮者たちのライヴ盤に接する際、「繰り返し聴くことができる」ということに対して、有り難さと同時に、畏れに近いものを感じる。今でこそ録音を前提としたライヴは多くあるし、指揮者もそのことを承知の上なのだろうが、かつてはまさかこの日の演奏がどこかで録音され、さらにCD化され、未来永劫聴き継がれることになろうと考えて指揮台に立った人はほとんどいなかったに違...
[続きを読む](2011.02.07)