タグ「イーゴリ・マルケヴィッチ」が付けられているもの
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特別な雰囲気 クララ・ハスキルはルーマニア出身のピアニストで、モーツァルト弾きとして定評があった。幼少期から才能を発揮していたが、病気等に悩まされて思うようにキャリアを積めず、実際に大きな注目を浴びたのは戦後、50歳を過ぎてからのことだった。 ハスキルのピアノの特徴を一言で表現するのは難しい。あっと言わせるような解釈があるわけでも、絢爛たる技巧があるわけでも...
[続きを読む](2024.02.06) -
「彼女は心で歌うことを知っていた」 イルムガルト・ゼーフリートは、戦後のウィーンで活躍した「モーツァルト・アンサンブル」の一員である。オペラのみならず、リートやオラトリオでも高く評価されていた人で、かつて同じ舞台に立っていたエリザベート・シュヴァルツコップからは次のように賞賛されていた。「私たちは、皆、彼女のことを羨んでいました。私たちが苦心して身につけなけ...
[続きを読む](2022.04.03) -
遺書の後に ベートーヴェンが完成させたピアノ協奏曲は全部で5つあるが、短調を主調としているのは第3番のみである。 作品の構想が練られたのは1797年頃。1800年頃にほぼ作曲し終え、そこから手を加えて1803年に完成させたという。しかし一方で、1803年4月5日の初演を迎えるまで、ピアノ部分のスコアはほとんど書かれておらず、ベートーヴェンが即興で演奏したとい...
[続きを読む](2019.09.03) -
魔法のオーケストレーション モデスト・ペトローヴィチ・ムソルグスキーの組曲『展覧会の絵』は、極めて独創的なピアノ曲であり、ロシアの器楽曲の中で最も有名な旋律を持つ作品の一つである。作曲されたのは1874年。建築家であり画家でもあった亡友ヴィクトル・ハルトマンの遺作展に足を運び、そこに展示されていた絵、デザイン、スケッチなどを見たことが作曲の動機につながった。...
[続きを読む](2017.11.05) -
恋してはいけない美女に恋したファウストの悲劇 リリ・ブーランジェは女性として初めてローマ賞グランプリを獲得し、1918年に24歳の若さで亡くなった作曲家である。幼い頃から病弱だったようで、姉のナディアによると、「彼女は自分の寿命が短く、限られた時間しかないことを自覚していた。今こうしてそれを語る私たちよりも遥かに冷静に、自らの死を予知していた」という。 父エ...
[続きを読む](2016.02.25) -
「悲愴」と「幻想」 チャイコフスキーの「悲愴」は1893年に書かれた最後の交響曲である。初演は1893年10月28日、作曲者自身の指揮によって行われた。「悲愴」という言葉に込められた真意は分かっていないが、弟のモデストが伝えるところによると、初演の後、作品の標題をどうするか、兄から相談を受けたという。モデストがまず提案したのは「悲劇的」だったが、却下された。...
[続きを読む](2015.10.07) -
ベートーヴェンも愛した「短調のモーツァルト」 明るく、無邪気なモーツァルトしか知らない人は、悲しみ悶え苦しむ「短調のモーツァルト」の存在を知った時、少なからず驚くに違いない。生活の匂いを感じさせない、まるで天使が書いたような長調の作品は、モーツァルトが〈神の子〉であったことを伝えているが、暗い情熱が波打つ短調の作品は、モーツァルトがまぎれもなく苦悩する〈人間...
[続きを読む](2011.06.29)