タグ「ウィレム・メンゲルベルク」が付けられているもの

  • 「悲愴」と「幻想」 チャイコフスキーの「悲愴」は1893年に書かれた最後の交響曲である。初演は1893年10月28日、作曲者自身の指揮によって行われた。「悲愴」という言葉に込められた真意は分かっていないが、弟のモデストが伝えるところによると、初演の後、作品の標題をどうするか、兄から相談を受けたという。モデストがまず提案したのは「悲劇的」だったが、却下された。...

    [続きを読む](2015.10.07)
  •  ウィレム・メンゲルベルクは19世紀末から20世紀半ばにかけて活躍したオランダの大指揮者であり、トスカニーニ、ワルター、フルトヴェングラーを含むいわゆる「四大巨匠」の一人である。彼は必要とあらば楽譜上の指示を自己流に変更し、お馴染みの作品から瞠目すべきニュアンスを引き出して音楽的効果を上げる達人だった。そのロマン主義的なスタイルと、細部の表現に徹底してこだわ...

    [続きを読む](2013.12.11)
  • 憧れの人を想いながら ショパンのピアノ協奏曲第2番ヘ短調は1829年に作曲され、1830年3月17日にワルシャワで初演された。実際は第1番ホ短調より早く書かれたのだが、出版されたのが後になったため、「第2番」となっている。 作曲当時ショパンは19歳。彼はある想いを込めて、この作品の第2楽章を書いた。1829年10月3日に友人ティトゥス・ヴォイチェホフスキ宛に...

    [続きを読む](2013.01.04)
  • 自分を押しつぶそうとする運命に抗して 最初に第6番「悲愴」を聴き、次に第5番を聴いて、それからしばらくして第4番を聴く。チャイコフスキーの交響曲を知る際、私だけでなく、おそらく多くの人がこの順番を辿っているのではないかと思う。圧倒的にポピュラーな第5番や第6番に比べると、第4番は同列に並べられるほど人気があるとはいえない。ただ、チャイコフスキーの交響曲を知れ...

    [続きを読む](2012.08.20)
  • 理想主義者としてのドン・ファン 伝説のプレイボーイ、ドン・ファンの名が文学史に刻まれたのは、1630年に出版されたティルソ・デ・モリーナの『セビリアの色事師と石の招客』からである。ここに描かれているドン・ファンは、「俺の心の中にある最大の喜びは、何よりもまず女を誘惑して、相手の名誉を台無しにして棄てるってことさ」と言い放ち、欲望の赴くまま次々と女たちをたぶら...

    [続きを読む](2011.10.20)
1