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市民の勇気 「ツィヴィールクラージェ」というドイツの言葉がある。市民の(Zivil)勇気(courage)で、Zivilcourage。『飛ぶ教室』(2018年冬号)に掲載された那須田淳氏の「眠りの精とツィヴィールクラージェ」によると、ナチス政権の時代に反ナチの立場で抵抗した「白バラ」の活動などから広まった言葉で、ドイツの子どもの文化や教育の根底を支えている...
[続きを読む](2020.01.13) -
進むべき道の選択 ブラジヤックは隣国ドイツの動向に注意を払いつつ、1939年3月10日の『ジュ・スイ・パルトゥ』に「たとえドイツがヒトラーを望んでいなかったとしても、たとえドイツが誠実でいようとしたとしても、そのポジションゆえに、いつの時代においてもフランスの敵になり得る存在だ」と書いた。しかし心理的な面では、ブラジヤックの距離の置き方は厳格なものではなかっ...
[続きを読む](2015.09.12) -
成熟したヴィルトゥオーゾの遺産 ナタン・ミルシテインはバッハの「無伴奏ヴァイオリンのためのソナタとパルティータ」全曲を2度録音している。1967年に出版されたヨアヒム・ハルトナックの『二十世紀の名ヴァイオリニスト』には、ミルシテインが演奏した「シャコンヌ」について、「彼はこの作品の構築とポリフォニーを、透明な追跡可能なものにしている。旋律の内包するものは彼の...
[続きを読む](2015.03.24) -
「冷徹な思想家」のイメージ ド・ゴール将軍とは「いろいろあっても知的な交流は続いていた」ようである。将軍の手紙を読むと、いかにアロンの知性に敬服していたかが分かる。アロンも条件付きの擁護者として、将軍の評価すべきところは評価し、批判すべきところは批判するという公正さから逸脱することはなかった。左翼の敵、ド・ゴール主義者、体制のシンボルとみなされてはいたものの...
[続きを読む](2014.11.01) -
フランスの賢者アロン 最もすぐれたレイモン・アロン論は、すでにこの世に存在する。それはアロン自身の手により完成され、死の年(1983年)に出版された『回想録』である。彼はこの大著をもって自分の生涯を総括した。その記憶力と分析力が死ぬまで衰えていなかったことは、これを読めば分かる。 レイモン・アロンの名前は、ジャン=ポール・サルトルとポール・ニザンの高等師範学...
[続きを読む](2014.10.25)