タグ「レナード・バーンスタイン」が付けられているもの

  • 名門オーケストラを42年間率いる ユージン・オーマンディはフィラデルフィア管弦楽団を42年間率いた名指揮者である。生前は人気があり、数多くの録音を遺し、豊麗なフィラデルフィア・サウンドで音楽ファンを虜にした。レコードのセールス面ではレナード・バーンスタインを凌いでいたという。日本でも一時はオーマンディの録音が出回っており、私などの世代にとっては、クラシック音...

    [続きを読む](2024.06.10)
  • 古典派風のモダンシンフォニー プロコフィエフの交響曲第1番「古典」は、1916年から1917年にかけて作曲された。当時25歳だったプロコフィエフは、かつてニコライ・チェレプニン(ペテルブルク音楽院教授)のもとで研究したハイドンの技法を活かし、「ハイドンが現代に生きていたら書いたであろう作品」を書こうとしたという。初演日は1918年4月21日。レニングラードで...

    [続きを読む](2024.03.11)
  • 「ひと汗かかせる」大協奏曲 モーツァルトのピアノ協奏曲第15番は1784年3月15日に完成し、同月24日の予約制演奏会で作曲者自身の独奏によって披露された。これまで書いてきたピアノ協奏曲に比べると、オーケストラの編成は大きく、管弦楽の響きが多彩になり、ピアノの難易度も「ひと汗かかせる」(作曲者の言葉)レベルにまで上がっている。この作品は先輩作曲家フランツ・ク...

    [続きを読む](2023.05.06)
  • 才気煥発な音楽の化身 レナード・バーンスタインはアメリカが生んだ最初の世界的指揮者である。そのキャリアは華々しく、指揮者としてだけでなく、作曲家、ピアニスト、教育者としても大きな足跡を残した。派手な動きが多い指揮に関しては好き嫌いが分かれるが、そこから放たれる音楽の力は絶大なもので、多くの聴衆を魅了した。彼こそは才気煥発な音楽の化身、全身音楽家であった。 コ...

    [続きを読む](2022.01.04)
  • ピアノ独奏から合唱へ ベートーヴェンの「ピアノ、合唱と管弦楽のための幻想曲」、通称「合唱幻想曲」は、1808年12月に数日間で作曲され、1808年12月22日にアン・デア・ウィーン劇場で初演された。ピアノ独奏による導入部は、ベートーヴェンが初演で即興演奏し、その後改訂されたものである。1808年12月22日といえば、交響曲第5番「運命」や第6番「田園」が初演...

    [続きを読む](2021.12.05)
  • 深い憂愁 ロベルト・シューマンのチェロ協奏曲は1850年頃に作曲され、作曲者の死後、1860年4月23日にルートヴィヒ・エーベルトのチェロにより初演された。チェロ協奏曲の中では一、二を争うほどの有名作で、ドヴォルザーク、ハイドン(第2番)の作品と合わせて3大協奏曲と言われることもある。 晩年のシューマンは精神のバランスを崩していたが、創作意欲は衰えず、才能が...

    [続きを読む](2021.11.03)
  • はじめに 昨年、お気に入りディスク数枚を基にスピーカーを比較試聴し、私のオーディオシステムに最適なスピーカーが定まった。その後も、光学ドライブの更新や設定変更等いくつかの調整を経て、好ましい響き方・鳴り方のシステム構成が出来上がった。[CDプレーヤー相当]・外付け光学ドライブ (パイオニアReal Time PureRead活用)・ノートパソコン (192k...

    [続きを読む](2021.08.28)
  • 二十代のたくましい表現力 ベートーヴェンの交響曲とピアノ協奏曲は、第1番と第2番が古典派らしい優美さと明るさを持つ点で共通している。両作品ではこの作曲家の独創性はまだ表面化しておらず、第3番以降の作品よりも影が薄い。作風もアイディアも穏健で、激しい叫びも胸を潰すような重さもない。しかし、これらは旋律とリズムの力のみで勝負していた青春時代のたくましい表現力の結...

    [続きを読む](2021.03.03)
  • そして最後の審判が始まる マーラーの交響曲第2番「復活」は、1888年から1894年にかけて作曲され、1895年12月13日、作曲者自身の指揮により初演された。全5楽章の長大な交響曲で、第1楽章は20分以上、第5楽章は30分以上の演奏時間を要する。全体で80分を超える演奏は珍しくない。それでも人気が高く、この作品を聴いてマーラーに夢中になったという人は非常に...

    [続きを読む](2020.06.04)
  • 誰にも書けない音楽 イーゴリ・ストラヴィンスキーの『結婚』は、1914年に着手され、幾度かの中断を経て、1923年4月6日に書き上げられた。自伝によると、当時ストラヴィンスキーは楽器編成の問題で悩み、結論を出すのを後回しにしていたらしい。そして、「初演の日が最終的に決められて切迫した状態になれば何か解決法を思いつくだろうと当てにしていた」。その後、セルゲイ・...

    [続きを読む](2017.08.02)
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