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はらせぬ恨みをはらす 世のため人のためにならない悪人どもを、金を貰って殺す。 池波正太郎原作の『仕掛人・藤枝梅安』は1972年に発表され、その年のうちにテレビドラマ化された。タイトルは『必殺仕掛人』、初回放送日は1972年9月2日。当時は『木枯し紋次郎』が人気を博していたが、数ヶ月後には視聴率で追い越し、放送が2ヶ月延長され、さらに劇場版も作られた。『必殺仕...
[続きを読む](2023.09.16) -
吉村公三郎監督によると、初めて品川駅で「美しい少女」を見かけた時、「あんな娘が女優だったらなあ」と仕事仲間と語り合っていたという。その後、彼女が松竹大船撮影所でダンスを教えている先生だと知ると、吉村監督とスタッフたちは稽古場に押しかけ、映画に出演するよう口説いた。とはいえ、相手は素人である。演技指導のやり方は、「少し上を向いて、目線は数センチ下にして」と...
[続きを読む](2020.11.01) -
山村聰は俳優として多くの映画に出演しただけでなく、一時は監督としても注目を浴びていた。その点で、歳の近い佐分利信と比較されることもあったが、2人を並べて語るのは難しい。佐分利は戦前から硬派の大スターだった人であり、キャリアの面でも、持ち味の面でも、山村とは異なる。 山村は1910年生まれ。東京帝国大学独文科を卒業後、大阪で演劇の道に進み、「二年足らずで、井...
[続きを読む](2016.10.01) -
大真面目に環境汚染を告発したエンターテイメント大作である。これを「名画」と呼ぶことには躊躇を覚えるが、当時、ここまで大々的かつ直接的に環境問題を取り上げた作品はほとんどなかったのではないか。ただし、後に述べる理由により、今ではなかなか観ることができない。放射能の問題が深刻化している中、今後ますます封印され、観られなくなることが予想される。 上映されたのは1...
[続きを読む](2012.02.10) -
シネフィルが愛する『赤い天使』 ところで、増村の代表作は何になるのだろう。 映画の解説文などを書いている時、代表作を1、2本挙げながら人名を紹介することがしばしばある。例えば「『ローマの休日』『ベン・ハー』のウィリアム・ワイラー」とか、「『戦場にかける橋』『アラビアのロレンス』のデヴィッド・リーン」といった風に。このように単なる好悪の感情を超えて、誰にも否定...
[続きを読む](2011.11.18)