タグ「幸田露伴」が付けられているもの

  • 「河内屋」 広津柳浪は善悪を明確に分けず、勧善懲悪を期待させない。「河内屋」にはその特徴がよく出ている。「河重」の異名を持つ重吉とお染は愛のない結婚をした夫婦である。お染は、かつて重吉の弟の清二郎と惚れ合っていた。その3人が同じ屋根の下に住んでいる。そこへ重吉の愛人お弓が住み着くようになる。お染と、お染を純粋に想い続ける清二郎は哀れな被害者だ。誰もがそう思う...

    [続きを読む](2021.09.15)
  • 「今戸心中」 広津柳浪は「悲惨小説」の代表的な作家である。「悲惨小説」は「深刻小説」とも呼ばれ、日本の文壇で自然主義が猛威を振るう以前の明治20年代末から30年代前半にかけて流行した。内容は文字通り重たく、救いのない結末のものが多い。登場するのも、先が見えない生活をしている遊女、病人、醜夫、醜女、知的障害者といった具合である。 ただ、柳浪の小説はいたずらに重...

    [続きを読む](2021.09.11)
  •  山本健吉が書いたエッセイの中に「『縁』の思想」と題された短い文章がある。 周知の通り、山本は日本の古典、近代文学、俳句の評論に大きな足跡を残した評論家で、古典を読み解き、現代日本人の心に通じる(もしくは、通じて然るべき)考え方、感じ方を浮き彫りにしたその著書には、示唆に富むものが多い。 1973年1月8日の東京新聞に掲載された「『縁』の思想」は、山本にして...

    [続きを読む](2014.01.04)
  •  ルポルタージュの開祖とも言われる松原岩五郎の作品は、『最暗黒之東京』以外、ほとんど忘れられている。小説を書いていたこともあまり知られていない。しかし明治時代に松原が小説の分野で果たした役割は決して小さなものではなかった。彼はどんな文学観を持ち、自国の文学や海外の文学をどう摂取し、どのような作品を残したのだろうか。 まずは明治24年(1891年)5月16日に...

    [続きを読む](2011.12.17)
  •  師走の寒空にジャンバーを頭から被り、まるで路に転がる死体のように眠る人々がいる。街全体が寝静まった丑三つ時に給食で余った牛乳を啜り、飲食店の残飯を漁って飢えを凌ぐ人々がいる。祭りで賑わう下町で、目を白く濁らせ襤褸を纏い周囲に悪臭を漂わせながら浮腫んだ足で徘徊する人々がいる。人気の無い金融機関のATMコーナーや古びた雑居ビルの片隅、マンションのエントランス等...

    [続きを読む](2011.05.07)
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