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  • 「河内屋」 広津柳浪は善悪を明確に分けず、勧善懲悪を期待させない。「河内屋」にはその特徴がよく出ている。「河重」の異名を持つ重吉とお染は愛のない結婚をした夫婦である。お染は、かつて重吉の弟の清二郎と惚れ合っていた。その3人が同じ屋根の下に住んでいる。そこへ重吉の愛人お弓が住み着くようになる。お染と、お染を純粋に想い続ける清二郎は哀れな被害者だ。誰もがそう思う...

    [続きを読む](2021.09.15)
  •  ルポルタージュの開祖とも言われる松原岩五郎の作品は、『最暗黒之東京』以外、ほとんど忘れられている。小説を書いていたこともあまり知られていない。しかし明治時代に松原が小説の分野で果たした役割は決して小さなものではなかった。彼はどんな文学観を持ち、自国の文学や海外の文学をどう摂取し、どのような作品を残したのだろうか。 まずは明治24年(1891年)5月16日に...

    [続きを読む](2011.12.17)
  •  場当たり的な政策、米価の高騰、米騒動、度重なる不況、コレラの蔓延、都市部への人口の流入、木造建築密集地帯で多発する火災......と悪化の一途をたどっていた貧民問題は、世論においても多少の関心を集めていた。特に明治10年以降は、数多くの社会主義思想関連の書籍が翻訳出版され、単に「自己責任」としてとらえられていた貧民観も、社会問題的側面から論じられるようにな...

    [続きを読む](2011.07.02)
  •  生活は一大疑問なり、尊きは王公より下乞食に至るまで、如何にして金銭を得、如何にして食を需(もと)め、如何にして楽み、如何にして悲み、楽は如何、苦は如何、何に依ってか希望、何に仍てか絶望。是の篇記する處、専らに記者が最暗黒裏生活の実験談にして、慈神に見捨られて貧兒となりし朝、日光の温袍(おんぽう)を避けて暗黒寒飢の窟に入りし夕。彼れ暗黒に入り彼れ貧兒と伍し、...

    [続きを読む](2011.05.14)
  •  師走の寒空にジャンバーを頭から被り、まるで路に転がる死体のように眠る人々がいる。街全体が寝静まった丑三つ時に給食で余った牛乳を啜り、飲食店の残飯を漁って飢えを凌ぐ人々がいる。祭りで賑わう下町で、目を白く濁らせ襤褸を纏い周囲に悪臭を漂わせながら浮腫んだ足で徘徊する人々がいる。人気の無い金融機関のATMコーナーや古びた雑居ビルの片隅、マンションのエントランス等...

    [続きを読む](2011.05.07)
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