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  •  六歌仙とは、紀貫之が『古今和歌集』の「仮名序」で挙げた歌人、僧正遍照、在原業平、文屋康秀、喜撰法師、小野小町、大友黒主のことである。貫之自身はこの六人のことを歌仙とは呼んでいないが、いつの頃からか六歌仙と称され、今日の世にまで伝わっている。 その中の一人、喜撰法師は今もって謎の人物である。素性が分からず、しかも『古今和歌集』に収録された歌が一首しかない。...

    [続きを読む](2020.06.24)
  •  沖縄に伝わる古い歌謡「オモロ」を集めた『おもろさうし』を読んでいると、言霊の力について考えたくなる。『おもろさうし』は全22巻の歌謡集で、第1巻は1531年、第22巻は1623年頃に成立したと言われている。その歌数は1554首、重複しているものを除くと1248首である。 言霊といえば、まず言及すべきは『万葉集』だろう。巻十三には、言霊の二文字が入った有名な...

    [続きを読む](2020.02.16)
  •  山上憶良の歌で最も広く知られているのは、教科書にも載っているこの一首だろう。 山上憶良臣の宴を罷る歌一首憶良らは 今は罷らむ 子泣くらむ それその母も 吾(あ)を待つらむそ(私憶良はもう失礼いたしましょう。子どもが泣いているでしょうし、その母親も私の帰りを待っていることでしょうから) 言うまでもなく、万葉集には名歌が多数収録されている。柿本人麻呂、山部赤...

    [続きを読む](2018.11.17)
  •  小野小町の晩年については、幾つかの伝承がある。有名なのは、流浪の身となり、落魄して死んだというものだ。事実かどうか定かでないまま小町の物語として伝わってきた『玉造小町子壮衰書』や、それを基にした逸話を載せた『古今著聞集』『徒然草』などの影響だろう。『平家物語』の巻第九にも、小野小町について「心強き名をやとりたりけん、はてには人の思のつもりとて、風をふせぐた...

    [続きを読む](2017.12.30)
  •  石見国(いわみのくに)の妻との別れを詠った長歌もある。「石見相聞歌」だ。こちらは死別ではなく、男が何かの事情で上京しなければならなくなったための別離である。何しろ約1300年前のことなので、いったん遠く離れたら、また再会出来るとは限らない。一時の別れのつもりが一生の別れになることもある。 この長歌の後、「妻依羅娘子」の作とされる歌が出て来ることから、彼女を...

    [続きを読む](2014.02.08)
  •  柿本人麻呂は万葉集を代表する歌人であり、歌聖と尊ばれ、後世に多大な影響を及ぼした。その生涯については、持統天皇の時代に活躍したということ以外、生没年も含めて確かなことは何も分かっておらず、万葉集に書かれてあることから推察するほかない。ゆえに仮説、新説も後を絶たない。たしかにここまで長歌や短歌が知られているのに、記録資料がないのは少し不自然なので、その分興味...

    [続きを読む](2014.01.25)
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