タグ「永井荷風」が付けられているもの

  • 「河内屋」 広津柳浪は善悪を明確に分けず、勧善懲悪を期待させない。「河内屋」にはその特徴がよく出ている。「河重」の異名を持つ重吉とお染は愛のない結婚をした夫婦である。お染は、かつて重吉の弟の清二郎と惚れ合っていた。その3人が同じ屋根の下に住んでいる。そこへ重吉の愛人お弓が住み着くようになる。お染と、お染を純粋に想い続ける清二郎は哀れな被害者だ。誰もがそう思う...

    [続きを読む](2021.09.15)
  •  校正おそるべし、とは「後生畏るべし」のもじりで、編集や校正の経験者なら一度は聞いたことがある箴言みたいなものだ。最初に言いだしたのは「東京日日新聞」の社長、福地桜痴らしい。たしかに校正は怖い。奥が深い。著名な作家の全集には、すぐれた編集者や校正者が関わっているはずなのに、それでもミスがある。作者自身による誤記に、写植や文字化けによる誤植が加わることもある。...

    [続きを読む](2019.05.05)
  •  『新帰朝者の日記』では、西洋化の現状について、「日本の学者は西洋と違つて皆貧乏ですから、生活問題と云ふ事が微妙な力で其の辺の処を調和させて行くのです」と妥協的なことを言う者に対し、帰朝者は「いつの世も殉教者の気概がなけりやア駄目です」と突っぱねる。その際、作者は謙遜してこの言葉を「書生の慨嘆」と表現した。たしかに「殉教者の気概」は大げさな表現だが、その後の...

    [続きを読む](2017.09.02)
  •  大正3年から書かれた永井荷風の『日和下駄』には、「一名 東京散策記」という副題が付いている。その副題の通り、これは作者が地図を片手に散歩し、東京の風物を記す内容で、日本語を知る読者をして風景描写の粋を味到せしむるものである。 しかし、無目的な散歩の書ではない。江戸趣味の荷風が手にしている地図は、「石版摺の東京地図」ではなく、「嘉永板の江戸切図」である。彼は...

    [続きを読む](2017.08.26)
  •  話は変わるが、2014年11月にグループを卒業し、芸能活動を休んでいた元リーダーの道重さゆみが「再生」を宣言したのは2016年11月のこと。それから4ヶ月後の今年3月、ラジオ番組に出演して本格的に再始動し、丸の内COTTON CLUBで「SAYUMINGLANDOLL〜再生〜」を開催した。SEでホルストの『惑星』が流れた後、「『コンサート』でも『ミュージカ...

    [続きを読む](2017.07.29)
  •  「続悪魔」は、神経衰弱が悪化しているところから始まる。「癲癇、頓死、發狂などに對する恐怖が、始終胸に蟠つて、其れでも足らずに、いやが上にも我れから心配の種を撒き散らし、愚にもつかない事にばかり驚き戦きつつ生をつづけて居」る佐伯は、反面、「高橋お傳」「佐竹騒動妲妃のお百」といった毒婦物の講釈本を読み、恐怖に敏感な神経を麻痺させるような血なまぐさい幻想を堪能し...

    [続きを読む](2016.06.11)
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