マリアンヌ・フェイスフル 『ブロークン・イングリッシュ』
2012.11.01
マリアンヌ・フェイスフル
『ブロークン・イングリッシュ』
1979年作品
マリアンヌ・フェイスフルは1946年12月29日ロンドン生まれ。17歳でレコード・デビューするや否やフォーク/ポップスのシンガーとしてトップ10ヒットを連発し、まもなく女優としても活動していく。だが、デビュー・シングル「アズ・ティアーズ・ゴー・バイ」をプレゼントしたザ・ローリング・ストーンズのメンバーと関係を結んでから、清純派のイメージは崩壊。恋人ミック・ジャガーと1970年に別れてからは精神的な不安定感が加速し、以前から彼らの影響で手を出したドラッグの底無し沼の中でのたうちまわる。
何年もの間ドラッグと闘いながら1976年に『ドリーミン・マイ・ドリームズ』で復活。アコースティックなタッチのレイドバックした曲が目立ち、従来のマリアンヌの路線から大きく外れてないアルバムだが、だからこそ1979年の次作『ブロークン・イングリッシュ』は大変貌であった。でもイメチェンではない。スキャンダルにまみれて従来のイメージが一新されたダークなマリアンヌの意識が正直に表れた作品であり、〈堅い殻〉を破って〈生の姿〉をさらけだしたからこそ、復活後のアルバムの中で最高のセールスを記録したのである。
デビュー当時の清楚なシンガーと同一人物とは思えないヴォーカルの変わりように驚かされる。むろんわざとらしい芝居がかった歌い方とは次元が違う。ウィスキーやタバコなどで喉が焼けたという説もあり、しゃがれた歌声はナチュラルな発酵だ。とはいえ突き放した歌い方も翳りを帯びた歌詞も突然変異ではなく、ザ・ローリング・ストーンズ絡みの曲で地獄に真っ逆さまの1969年のシングル「シスター・モーフィン」から深化した姿である。
「1日年下」のパティ・スミスが凄味を増したかのようなヴォーカリゼイションで、姐御肌とも言いたくなる極道の響きには冷めた情念が静かに渦を巻いている。裏ジャケットのマリアンヌみたいな恨み節も聞こえてくるし呪詛みたいな歌もやっている。ほとんどモノローグだ。〈ネガティヴ・メンタル・アティテュード〉が全開の歌詞はニヒリスティックですらある。ジョン・レノンの「ワーキング・クラス・ヒーロー」のカヴァーもハマりすぎだ。アルバム・タイトルの『ブロークン・イングリッシュ』とは、オープニング・ナンバーの同名曲で歌われているようにいわゆるブロークン・イングリッシュのことだろうが、「こわれた英国人(の〜)」ーーすなわち彼女自身のこととも解釈できる。自分で作詞してない曲も多いとはいえ、すべてマリアンヌは〈女優〉として演じ切り、すべてマリアンヌ・フェイスフル自身の〈ブルース〉なのである。
露骨な四文字言葉も歌い込んでいるしアルバム全体が猥雑な空気感に覆われているが、佇まいは決して下品ではない。育ちの良さは「三つ子の魂百まで」である。それまでのマリアンヌにはない暗く退廃的な曲調が続くが、殺気よりも諦念をたたえた歌い口はクールで、ヘヴィなムードながらも音そのものは意外とポップだしマリアンヌがそれまで持ち得なかった躍動感をたたえている。暗黒色だが、決して真っ黒ではない。青黒色に塗り込められた中で赤く火がじりじりと焼けて熱を帯びているジャケットどおりの輝きで、死ぬ直前まで沈み込みながらも這い上がったエナジーがふつふつと湧いてくる作品なのだ。
マリアンヌの健康的なイメージを決定づけていたフォーク/カントリー色はほぼ一掃。このアルバムのリリース元でもあるアイランド・レコードが同時代に世に出していた、「ニューウェイヴの影響を受けたR&B」みたいなサウンドと共振している。本作にも参加したスティーヴ・ウィンウッドやグレイス・ジョーンズなどの当時のアルバムのように、シンセサイザーがアクセントの、冷却されたリズミカルな音は、60年代のマリアンヌの像を破壊するほどビートに対して自覚的で、まさに鼓動だ。でも、みんなでひとつになって踊るのではなく独りで気だるくダンスする音楽である。
マリアンヌの曲は歌ものポピュラー・ミュージックのベーシックな作りがほとんどで、本作も歌に主軸を置いているが、彼女の意志が宿ったかのようにチャレンジ精神に貫かれている。重厚な佇まいにもかかわらずラジカルなほどフットワークの軽い作りなのだ。でも〈筋金入り〉だから当時のニューウェイヴ特有の軽い音に陥ってない。ジャーマン・エレクトロニック・ミュージック/クラウト・ロックとブルースのブレンドとも言うべき、シンプルかつミニマルなリズムの反復を応用した斬新な8編の「歌もの」に仕上がっている。ティム・ハーディンやシェル・シルヴァスタインなど多数のミュージシャンがソングライティングに参加したことで、ファンクやレゲエも原型を留めぬほど煮込まれた多彩な曲は、アグレッシヴな姿勢の表れだ。それは以降のマリアンヌの活動でもキープされている。
ノスタルジーに浸るアーティストではない。いつだって現在進行形の音楽をやるから〈若い子〉とも次々と絡む。それまでのマリアンヌのキャリアを思えばかなりの実験作だった『ブロークン・イングリッシュ』の先鋭性は、ベックやビリー・コーガン、ブラーなどが深く関わった『キスィン・タイム』(2002年)の原型とも言える。一方で目下の最新作『ホーシズ・アンド・ハイ・ヒールズ』(2011年)は、ハル・ウィルナーのプロデュースでルー・リード(元ヴェルヴェット・アンダーグラウンド)やウェイン・クレイマー(元MC5)も参加し、比較的同年代のアーティストたちと共演している。女優としては、孫のために手コキを職業にする未亡人役で約39年ぶりに主演した映画『やわらかい手』(2007年)も話題になった。どの時代でも挑戦的に我が道を行く。だからこそ波紋を投げかける。まさに表現者の鑑である。
『ブロークン・イングリッシュ』を作ったからこそマリアンヌは先に進めた。流行りの音に飲み込まれてないからこそ今もなお鮮烈に響くアルバムなのである。
【関連サイト】
マリアンヌ・フェイスフル
マリアンヌ・フェイスフル『ブロークン・イングリッシュ』(CD)
『ブロークン・イングリッシュ』
1979年作品
ザ・ローリング・ストーンズとの交わりの中でアイドルから堕ちてゆき波乱万丈の流転の人生を歩んだ女性アーティストが再生の狼煙を上げた1979年の代表作である。
マリアンヌ・フェイスフルは1946年12月29日ロンドン生まれ。17歳でレコード・デビューするや否やフォーク/ポップスのシンガーとしてトップ10ヒットを連発し、まもなく女優としても活動していく。だが、デビュー・シングル「アズ・ティアーズ・ゴー・バイ」をプレゼントしたザ・ローリング・ストーンズのメンバーと関係を結んでから、清純派のイメージは崩壊。恋人ミック・ジャガーと1970年に別れてからは精神的な不安定感が加速し、以前から彼らの影響で手を出したドラッグの底無し沼の中でのたうちまわる。
何年もの間ドラッグと闘いながら1976年に『ドリーミン・マイ・ドリームズ』で復活。アコースティックなタッチのレイドバックした曲が目立ち、従来のマリアンヌの路線から大きく外れてないアルバムだが、だからこそ1979年の次作『ブロークン・イングリッシュ』は大変貌であった。でもイメチェンではない。スキャンダルにまみれて従来のイメージが一新されたダークなマリアンヌの意識が正直に表れた作品であり、〈堅い殻〉を破って〈生の姿〉をさらけだしたからこそ、復活後のアルバムの中で最高のセールスを記録したのである。
デビュー当時の清楚なシンガーと同一人物とは思えないヴォーカルの変わりように驚かされる。むろんわざとらしい芝居がかった歌い方とは次元が違う。ウィスキーやタバコなどで喉が焼けたという説もあり、しゃがれた歌声はナチュラルな発酵だ。とはいえ突き放した歌い方も翳りを帯びた歌詞も突然変異ではなく、ザ・ローリング・ストーンズ絡みの曲で地獄に真っ逆さまの1969年のシングル「シスター・モーフィン」から深化した姿である。
「1日年下」のパティ・スミスが凄味を増したかのようなヴォーカリゼイションで、姐御肌とも言いたくなる極道の響きには冷めた情念が静かに渦を巻いている。裏ジャケットのマリアンヌみたいな恨み節も聞こえてくるし呪詛みたいな歌もやっている。ほとんどモノローグだ。〈ネガティヴ・メンタル・アティテュード〉が全開の歌詞はニヒリスティックですらある。ジョン・レノンの「ワーキング・クラス・ヒーロー」のカヴァーもハマりすぎだ。アルバム・タイトルの『ブロークン・イングリッシュ』とは、オープニング・ナンバーの同名曲で歌われているようにいわゆるブロークン・イングリッシュのことだろうが、「こわれた英国人(の〜)」ーーすなわち彼女自身のこととも解釈できる。自分で作詞してない曲も多いとはいえ、すべてマリアンヌは〈女優〉として演じ切り、すべてマリアンヌ・フェイスフル自身の〈ブルース〉なのである。
露骨な四文字言葉も歌い込んでいるしアルバム全体が猥雑な空気感に覆われているが、佇まいは決して下品ではない。育ちの良さは「三つ子の魂百まで」である。それまでのマリアンヌにはない暗く退廃的な曲調が続くが、殺気よりも諦念をたたえた歌い口はクールで、ヘヴィなムードながらも音そのものは意外とポップだしマリアンヌがそれまで持ち得なかった躍動感をたたえている。暗黒色だが、決して真っ黒ではない。青黒色に塗り込められた中で赤く火がじりじりと焼けて熱を帯びているジャケットどおりの輝きで、死ぬ直前まで沈み込みながらも這い上がったエナジーがふつふつと湧いてくる作品なのだ。
マリアンヌの健康的なイメージを決定づけていたフォーク/カントリー色はほぼ一掃。このアルバムのリリース元でもあるアイランド・レコードが同時代に世に出していた、「ニューウェイヴの影響を受けたR&B」みたいなサウンドと共振している。本作にも参加したスティーヴ・ウィンウッドやグレイス・ジョーンズなどの当時のアルバムのように、シンセサイザーがアクセントの、冷却されたリズミカルな音は、60年代のマリアンヌの像を破壊するほどビートに対して自覚的で、まさに鼓動だ。でも、みんなでひとつになって踊るのではなく独りで気だるくダンスする音楽である。
マリアンヌの曲は歌ものポピュラー・ミュージックのベーシックな作りがほとんどで、本作も歌に主軸を置いているが、彼女の意志が宿ったかのようにチャレンジ精神に貫かれている。重厚な佇まいにもかかわらずラジカルなほどフットワークの軽い作りなのだ。でも〈筋金入り〉だから当時のニューウェイヴ特有の軽い音に陥ってない。ジャーマン・エレクトロニック・ミュージック/クラウト・ロックとブルースのブレンドとも言うべき、シンプルかつミニマルなリズムの反復を応用した斬新な8編の「歌もの」に仕上がっている。ティム・ハーディンやシェル・シルヴァスタインなど多数のミュージシャンがソングライティングに参加したことで、ファンクやレゲエも原型を留めぬほど煮込まれた多彩な曲は、アグレッシヴな姿勢の表れだ。それは以降のマリアンヌの活動でもキープされている。
ノスタルジーに浸るアーティストではない。いつだって現在進行形の音楽をやるから〈若い子〉とも次々と絡む。それまでのマリアンヌのキャリアを思えばかなりの実験作だった『ブロークン・イングリッシュ』の先鋭性は、ベックやビリー・コーガン、ブラーなどが深く関わった『キスィン・タイム』(2002年)の原型とも言える。一方で目下の最新作『ホーシズ・アンド・ハイ・ヒールズ』(2011年)は、ハル・ウィルナーのプロデュースでルー・リード(元ヴェルヴェット・アンダーグラウンド)やウェイン・クレイマー(元MC5)も参加し、比較的同年代のアーティストたちと共演している。女優としては、孫のために手コキを職業にする未亡人役で約39年ぶりに主演した映画『やわらかい手』(2007年)も話題になった。どの時代でも挑戦的に我が道を行く。だからこそ波紋を投げかける。まさに表現者の鑑である。
『ブロークン・イングリッシュ』を作ったからこそマリアンヌは先に進めた。流行りの音に飲み込まれてないからこそ今もなお鮮烈に響くアルバムなのである。
(行川和彦)
【関連サイト】
マリアンヌ・フェイスフル
マリアンヌ・フェイスフル『ブロークン・イングリッシュ』(CD)
『ブロークン・イングリッシュ』収録曲
01. ブロークン・イングリッシュ/02. ウィッチーズ・ソング/03. ブレイン・ドレイン/04. ギルト/05. バラッド・オブ・ルーシー・ジョーダン/06. ホワッツ・ザ・ハリー/07. ワーキング・クラス・ヒーロー/08. ホワイ・ディヤ・ドゥ・イット
01. ブロークン・イングリッシュ/02. ウィッチーズ・ソング/03. ブレイン・ドレイン/04. ギルト/05. バラッド・オブ・ルーシー・ジョーダン/06. ホワッツ・ザ・ハリー/07. ワーキング・クラス・ヒーロー/08. ホワイ・ディヤ・ドゥ・イット
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