音楽 POP/ROCK

マーヴィン・ゲイ『ミッドナイト・ラヴ』

2011.04.06
marvin-midnight-love
マーヴィン・ゲイ
『ミッドナイト・ラヴ』

1982年作品


 R&B/ソウル・ミュージック界にその名を色濃くかつ深く刻むマーヴィン・ゲイの大復活作にして生前最後のオリジナル・アルバムという大看板を背負った作品にしては、このカヴァー写真の安っぽさに違和感を覚える人も少なくないのでは...? 低級な匂いを放つのは、何処かの都会の夜景を背景に、素肌にジャケット(実はジャージ)をまとって頬杖をつくマーヴィンのアップ、という安直なカヴァー写真だけではない。シンセサイザーがごく当たり前にミュージシャンたちに使われるようになった時代の作品とはいえ、サウンドそのものがどこまでもチープなのである。ところが、そのチープな打ち込みサウンドが、後のR&B男性シンガーたち、延いてはR&B全般のアーティストたちに多大な影響を及ぼすことになろうとは、レコーディング時のマーヴィンは夢想だにしていなかっただろう。また、本アルバムがリリースされた1982年秋は、CDが産声を上げた時期と重なり合う、ということも、不思議な符号のように思えてならない。当時、このアルバムはLPとCDの両方でリリースされた。マーヴィンにとって、初めてとなる、そして生前最後となる自身の新譜のCD化だったのである。

 モータウンに所属していた頃(1961年〜1981年)、同レーベルの専属バンドだったファンク・ブラザーズ(ジャズの素養のある実力派ミュージシャンの集合体)による、ゴージャスで厚みのある演奏を従えて歌っていたマーヴィンを思えば――そして1970年代におけるプロのジャズ・ミュージシャンたちをゲストに迎えて臨んだ贅沢極まりないレコーディングの数々も忘れ難い――この『ミッドナイト・ラヴ』のサウンドの薄っぺらさは、それらの対極に位置すると言っても過言ではないだろう。が、それには、当時のマーヴィンが置かれていた如何ともし難い情況が関係していた。

 1970年代後期、マーヴィンは身も心も極限まで疲弊しきっていた。1977年、モータウンの創設者で社長でもあったベリー・ゴーディ・Jr.の実姉アンナとの泥沼の離婚劇にようやく決着がつき、かねてから同棲中だったジャニス・ハンターと晴れて正式な夫婦となれたのも束の間、翌1978年にはそのジャニスとも離婚する羽目に陥ってしまう。更には、モータウンとの関係が以前にも況して悪化し、マーヴィンは様々なトラブルから逃れるべく、ハワイやヨーロッパで半ば隠遁生活のような暮らし(一説によると、車の中で寝泊まりしていたこともあったという)に身を置く。
 心身共にズタズタになったマーヴィンに救いの手を差し伸べたのは、マーヴィンの生涯の恩師であり、シンガーの道へと導いてくれたハーヴィ・フュークワ(マーヴィンがモータウン入社以前に籍を置いていたドゥ・ワップ・グループ、ザ・ムーングロウズの中心的メンバーだった人物)、そして、当時、米コロンビアの副社長の座にあり、本業が弁護士のラーキン・アーノルド、この二者だった。ここに、本アルバムの最後に収録されている「燃える情熱」(ジャニスとの復縁を切望するマーヴィンから彼女に向けられた私信的ナンバー)の冒頭部分でマーヴィンが述べている感謝の言葉を再現してみたい。

 Thank you, ladies and gentlemen.  I sure hope you've been enjoying our new album here on CBS Records.  We'd like to thank Mr. Harvey Fuqua, Mr. Gordon Banks, Mr. Mike Butcher, Mr. Larkin Arnold.  Most of all, we want to thank our heavenly Father; Jesus!

 モータウンという"枷"から解放され、新天地コロンビアから新譜をリリースできることがよほど嬉しかったのだろう。まるで子供のようにはしゃぎながら、アルバムの締め括りとなる曲の冒頭で溢れんばかりの感謝の気持ちを述べるマーヴィンのその声は、収録曲のそれと同じように、どこまでも溌剌としていて、生気が漲っている。モータウン後期のアルバムーー『離婚伝説』(1978)、『イン・アワ・ライフタイム』(1981年)ーーと聴き較べてみると、そのことが一目瞭然だ。こんなにも活き活きとしたマーヴィンのヴォーカルを耳にしたのはいつぶりだろう、と、本アルバムを初めて聴いた時に真っ先にそのことを考えたことが、今でも昨日のように思い出される。

 感謝の言葉の中に登場するゴードン・バンクスは、全ての収録曲でギターを演奏しており、マーヴィンの一番下の妹の夫だった人物、つまり義弟にあたる。マイク・ブッチャーは、本アルバムのエンジニアを務めた。何よりも印象的なのは、歓びに満ちた声で口にする「天にまします神、イエスに感謝したい!」の言葉。改めて、マーヴィンが牧師の息子であり、敬虔なクリスチャンだったことを想起させられる。

 大復活シングルにして大ヒット曲「セクシャル・ヒーリング」(R&Bチャートで10週間にわたってNo.1、全米チャートで3週間にわたってNo.3/グラミー賞最優秀ヴォーカル・パフォーマンス部門受賞)は、後続のR&B男性シンガーたちに計り知れない影響を与えた。ヴォーカルこそマーヴィンの真似はできないものの(しかしながら、たったひとりだけ、マーヴィンのヴォーカルを模倣することに腐心したArt Madisonというマイナーなシンガーが存在した)、猫も杓子も「セクシャル・ヒーリング」の二番煎じのようなチープな打ち込みサウンドを従えて、男女の営みをある者はねっとりと、ある者はさらりと歌ったものである。「セクシャル・ヒーリング」なしには、ユージン・ワイルドの「Gotta Get You Home Tonight」(1984年/R&BチャートNo.1、全米No.83)もフレディ・ジャクソンの「Rock Me Tonight (For Old Times Sake)」(1985年/R&BチャートNo.1、全米No.18)もグレゴリー・アボットの「Shake You Down」(1986年/R&B、全米の両チャートでNo.1)も、ついでに言えば非男性R&Bシンガーではあるが、ミッドナイト・スターの「Curious」(1984年)もこの世には存在し得なかった。隠遁先のベルギーはオステンドという小さな港町で、手元不如意でミュージシャンを雇うことすらできなかったマーヴィンは、ギター以外のほとんどの楽器を自らの手で演奏せねばならなかったが、そうした逼迫した事情を背負った状況下で生まれたサウンドには、1980年代のR&B/ソウル・ミュージックを一変させるほどの神通力が宿っていたのである。更に補足するなら、このアルバムは、1980年代における"大人のソウル・ミュージック"の基盤を築いたのだ。
 軽快なリズムとサウンド、歓びと開放感と生気に満ち満ちた歌声。それらが混然一体となった全8曲は、瞬間的にマーヴィンの悲惨な最期ーー実父の手による銃殺ーーを忘れさせてくれる。
(泉山真奈美)

【関連サイト】
マーヴィン・ゲイ『ミッドナイト・ラヴ』(紙ジャケット)

『ミッドナイト・ラヴ』収録曲
01. ミッドナイト・レディ/02. セクシャル・ヒーリング/03. ロッキン・アフター・ミッドナイト/04. この瞬間[とき]を愛して/05. 愛の交歓/06. サード・ワールド・ガール/07. ジョイ/08. 燃える情熱

月別インデックス