音楽 POP/ROCK

ニック・ケイヴ・アンド・ザ・バッド・シーズ 『マーダー・バラッズ』

2015.10.17
ニック・ケイヴ・アンド・ザ・バッド・シーズ
『マーダー・バラッズ』

1996年作品


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 殺人者の歌、つまりいわゆるマーダー・バラッズを集めたアルバムを思い付いて、躊躇いなく実行に移す男と言えば、この人しかいない。オーストラリアのイメージをドス黒く塗り替える暗黒王子にして、ポストパンク世代では最もトム・ウェイツやボブ・ディランやレナード・コーエンといったレジェンドたちに近い場所にいる、希代のストーリーテラー。そう、ニック・ケイヴのことである。

 元を正せばオーストラリアのヴィクトリア州にある小さな町ワンガラッタ出身、メルボルンの寄宿学校で長年の盟友となるミック・ハーヴェイと出会った彼は、一旦は美術学校に進むのだが、パンク・ムーヴメントにインスパイアされて中退し、音楽活動に身を投じることになる。そしてミックと結成したバースデイ・パーティーで注目を浴び、1980年代に入るとロンドン、さらにベルリンへと拠点を移し、1983年のバンド解散を経てミック、アインシュテュルツェンデ・ノイバウテンのフロントマン=ブリクサ・バーゲルト、元マガジンのバリー・アダムソンという多国籍メンバーで、ニック・ケイヴ・アンド・ザ・バッド・シーズとして再出発。翌年ファースト『From Her to Eternity』を発表し、以後ルーツ音楽に根差したサウンドに移行し、「説法師」とでもいうべきスタイルを模索。旧約聖書やデルタ・ブルースの世界がクロスオーバーし、ヴァイオレントでグロテスク、かつウィットとダークなユーモアが渦巻くアウトサイダーたちのストーリーを、独特の古風な筆致で綴り始める。

 そして毎年のようにアルバムを発表し、唯一無二の作風で一定の評価と支持を得たものの、徐々に薬物依存が深刻化。1988年の鬼気迫る名盤『Tender Prey』はまさに当時の危機的な状況を反映した作品だった。そこで英国に戻ってリハビリ施設に入り、ある程度クリーンになると、父親になったことも影響して創作意欲を新たにし、ミュージシャンとしての表現の幅を広げ、1996年の9作目『マーダー・バラッズ(Murder Ballads)』(全豪最高3位、全英同8位)でクリエイティヴな意味でも商業的な意味でもひとつの頂点を極めるのだ。血まみれの曲を満載していたにもかかわらず......。

 ちなみに本作のレコーディング当時のザ・バッド・シーズのメンバーは、ミック(ギター)、ブリクサ(ギター)、トーマス・ワイドラー(ドラムス)、コンウェイ・サヴェージ(キーボード)、マーティン・P・ケイシー(ベース)、ジム・スクラヴノス(パーカッション)の6人。前2作品を作った5人に、長年ニューヨークのオルタナ・ロック界で活躍したマルチ・プレイヤーのジムを交えた形で、のちに正式にバンドに加入しニックの片腕となるウォーレン・エリス(ヴァイオリンほか)も、セッションに参加している。よって総勢8人(ニック自身もピアノなどを担当)が曲ごとに様々な組み合わせで、鍵盤を核に多様なサウンドスケープを構築。ヴォーカルの抑揚と言葉のリズムにぴったり寄り添いながら、10編の殺人譚をシアトリカルに描き出す。

 そもそもマーダー・バラッズとは、ヨーロッパでは数百年前から存在する唱歌や詩のスタイルで、長く歌い継がれている曲がたくさんある。ニックはそういう伝統を継承し、以前から死や殺人を、恋愛などと同等の普遍的テーマとして定番的に取り上げており(死刑囚が主人公の「The Mercy Seat」然り、「Jack The Ripper」然り)、本作では書き下ろし曲の合間に古いマーダー・バラッズを違和感なくミックス。この題材のタイムレスネスを浮き彫りにし、背後にある人間の心理を掘り下げている。妻子を殺された(或いは殺した?)男がナレーターを務める冒頭の「Song Of Joy」に続いて、「Stagger Lee」と「Henry Lee」は共に既存のマーダー・バラッズ。前者は1895年に米国で実際に起きた殺人事件に根差すフォークソングで、後者は自分になびかない男を刺殺して井戸に投げ込む女性の物語だが、原型は18世紀のスコットランドに辿ることができるという。ここで女性を演じるのは、当時彼と交際していたPJハーヴェイだ。

 そして、言葉より音に雄弁に語らせて行きずりの殺人を想起させる「Lovely Creature」を挿んで、いよいよ「Where The Wild Roses Grow」の哀調を帯びた弦楽器のイントロが聴こえてくる。ニックがこともあろうに母国の国民的アイドル=カイリー・ミノーグを招いてデュエットした名曲だ。殺人者(男)と犠牲者(女)が出会いから悲劇的結末までを回想するこの曲は、ビデオクリップの美しさも相俟って大ヒットし、全豪チャート最高2位、英国では同11位を記録。彼にとって唯一の全英トップ20ヒットとなった。アルバムが売れたのもカイリー効果なのかもしれないが、当時キッチュなダンスポップ路線から脱皮するべく様々な実験をしていた彼女にもイメチェンの機会を提供し、両者共に収穫が大きいコラボだったと言えよう。

 このあとトーンはキャバレー調に一転、若い女性を主人公にした曲が3つ続く。「The Curse Of Millhaven」では小さな町を恐怖に陥れた女性殺人鬼が数々の罪を告白し、米国南部が舞台の「The Kindness Of Strangers」では世慣れしていない「メアリー」が親切な見知らぬ人に殺され、「Crow Jane」は「ジェーン」という女性による復讐劇を伝える。また、犠牲者の数に比例して曲も長くなり、「O'Malley's Bar」は、ひとりの男が心の穴を埋めるために酒場に集まった人々を無差別に撃ち殺すさまを、ほとんどコミカルな調子で、14分かけてつぶさに描く。

 そしてフィナーレを飾るのはボブ・ディランの「Death Is Not The End」(1988年の『ダウン・イン・ザ・グルーヴ』収録)のカヴァーだ。ザ・バッド・シーズの面々やカイリー、はたまたザ・ポーグスのシェイン・マガウアンも加わって、代わる代わる歌っている。50以上の死体が累々と横たわるアルバムを、「死は終わりじゃないよ」と無邪気に繰り返して括るとは、死者を弔っているようでありながら皮肉にも響き、これもニックのブラック・ユーモアなんだろう。

 そんな本作は彼にオーストラリアのグラミーに相当するARIA賞(「Where The Wild〜」で最優秀楽曲、最優秀シングル、最優秀ポップ・リリース賞を獲得)を初めてもたらし、なんとMTVアウォーズの最優秀男性アーティスト賞にもノミネートされた。でもそれはさすがに、「俺とミューズの関係は、良好な時でさえ極めてデリケートなものだから、彼女の繊細な気質を害するような外的影響から守ることが自分の使命だと思っている」との理由を添えて、丁重に辞退。長年アングラな嗜好品だったニックはここにきてメインストリームに浮上したとはいえ、根はやはり暗黒王子。どこかで線を引く必要があるのだ。
(新谷洋子)


【関連サイト】
Nick Cave Online
『マーダー・バラッズ』収録曲
01. Song Of Joy/02. Stagger Lee/03. Henry Lee/04. Lovely Creature/05. Where The Wild Roses Grow/06. The Curse Of Millhaven/07. The Kindness Of Strangers/08. Crow Jane/09. O'Malley's Bar/10. Death Is Not The End

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