ローリン・ヒル 『ミスエデュケーション』
2015.12.01
ローリン・ヒル
『ミスエデュケーション』
1998年作品
そんな彼女も40歳の6児の母(!)になってようやく復活への道を歩み始めたことを、2015年9月に行われた8年ぶりの来日公演で確認して以来、『ミスエデュケーション』を久々に聴き直している。思えば本作を発表した当時、ローリンはすでに大スターだった。幼い頃から子役女優として活躍し、フージーズの一員としてミュージシャン・デビューにいたったのは1993年のこと。彼らのセカンド・アルバム『ザ・スコア』(1996年)は約1,800万枚を売り上げてヒップホップ作品のセールス記録を更新し、ヒップホップのメインストリーム進出に大きな役割を果たして、スモ―キーな美声を誇るMC兼ヴォーカリストの彼女は、グループの顔として一世を風靡。しかし音楽的評価は専らリーダーのワイクリフ・ジョンに向けられていたために、フラストレーションを募らせて、自分の実力を証明する機会をかねてから探していた。その上、既婚者だったワイクリフとの恋愛関係が破局し、新しいパートナー(ボブ・マーリーの息子のひとりローハン)と出会って妊娠......。身辺で様々な変化が起きていたことから、これらをインスピレーション源に、産休を利用して曲を書き始める。それが本作の始まりだった。
そして最終的にはセルフ・プロデュースで、若手のコラボレーターを集めて、可能な限り自分独りの力で作った音楽で、23歳の自画像を正確に提示しようと試みたのである。だからアルバムは、学校の教室で出欠を取る教師の声で始まる。ローリンの名前が呼ばれるものの、彼女はいない。それまで受けてきた教育、押し付けられてきたルールが間違ってきたことを悟り、一旦自分を白紙の状態に戻して、正しい知識を得るために学校を抜け出したのだ。「miseducation=誤った教育」というタイトルの由来はそこにある。以下、「授業」をテーマに先生と子供たちの対話で構成したスキットを合間に挿みつつ、シャープに研ぎ澄まされた筆致で、自分の価値観を様々なアングルから論じる。自分の真価を認めようとしない人々に対して独立を宣言する「ロスト・ワンズ」、己を偽る人間に騙されてはいけないと警告する「ドゥー・ワップ(ザット・シング)」、音楽界に蔓延する歪んだ価値観に疑問を投げかける「スーパースター」、お金や名声に狂わされる人間の愚かさを指摘する「フォーギヴ・ゼム・ファーザー」などなど、強気で挑発的な曲が少なくない。
その一方で、ワイクリフへ宛てたとみられる別れのバラード「エックス-ファクター」、カルロス・サンタナのギタープレイに彩られた、息子ザイオンへのトリビュート「トゥ・ザイオン」、自分の尊厳を犠牲にして報われぬ恋に溺れたことを悔いる「ホウェン・イット・ハーツ・ソー・バッド」といった曲では、弱さや優しさをさらけ出し、子供時代を回想する「エヴリ・ゲットー、エヴリ・シティ」で故郷のニュージャージー州サウス・オレンジへの愛着を語る彼女。そして、「いつか変化は訪れる」と訴える「エヴリシング・イズ・エヴリシング」で、志を同じくする人々に団結を呼びかけ、表題曲で「自分の運命は自分で決める」と改めて独立を宣言してアルバムを締め括るのだ。
ジャマイカのキングストンにあるボブの本拠地=タフ・ゴング・スタジオで主に形作ったサウンドはと言えば、生バンドを基本に、ソウル、R&B、ゴスペル、レゲエ、ラテン、ファンク、ジャズを網羅。が、終始ヘヴィなベースとビートを強調することで、あくまでヒップホップ・アルバムとして成立させ、フージーズとも一線を画した折衷スタイルを確立。「エヴリシング・イズ・エヴリシング」でローリンは、「ヒップホップと聖典が出会うミクスチュアを聴いて/それはネガティヴをポジティヴへと変えるでしょう」とラップするが、ヒップホップという新しい音楽言語を、スピリチュアルかつフェミニンで、かつブラック音楽の古典に深く敬意を払った彼女ならではのアプローチで表現した本作はまさにそういうアルバムであり、見事にグループの枠外に新しいアイデンティティを見出したというわけだ。
またフージーズではラップを担当することが多かったローリン、ここでは歌い手としての実力と魅力も存分に見せつけて、メアリー・J.ブライジ及びディアンジェロとのデュエット曲を録音。ハートブレイクの苦しみを女同士で分かち合う「アイ・ユースト・トゥ・ラヴ・ヒム」も、後者と甘く声を絡ませるラヴソング「ナッシング・イーヴン・マターズ」も間違いなくアルバムのハイライトであり、彼女はここにきて、ちょうど盛り上がりつつあったネオソウルのムーヴメントに合流することにもなる。
そういえば、そのディアンジェロも2枚の傑作を発表したのち、長年スキャンダルにまみれて迷走し、2014年末に14年ぶりのアルバムを発表。世界を騒然とさせたものだが、2015年9月のライヴから察するに、ローリンのセカンドも遠くない将来聴けるのではないかと思っている。過去15年余りの波乱の道のりを振り返る限り、曲作りのネタには事欠かないだろうから。
【関連サイト】
Lauryn Hill
The Miseducation of Lauryn Hill(CD)
『ミスエデュケーション』
1998年作品
本来なら、ビヨンセやアリシア・キーズを遥かに凌ぐアーバン音楽界のトップ・ミュージシャン......いや、ジャンルにかかわらずアメリカを代表するシンガー・ソングライターになっていたはずだった。当時女性としては史上最多の5つのグラミー賞をローリン・ヒルにもたらしたソロ・デビュー作『ミスエデュケーション(原題The Miseducation of Lauryn Hill)』(1998年)は、そういうポテンシャルを確約するアルバムだった。現在までに約2千万枚のセールスを記録し、数多くのアーティストが重要なインスピレーション源に挙げる作品でもある。その約束が果たされることなく、未だセカンド・アルバムが誕生していない理由は繰り返すまでもないだろう。音楽界における女性アーティストとブラック・アーティストに対する差別的・搾取的な扱いに不満を抱き、スターを演じることに精神的に消耗したローリンは、ルールに従うことを拒絶。そこまでは良かったのだが、キリスト教の一派に深く傾倒したことも影響してエキセントリックな言動が増え、作る音楽は宗教色が強まって物議を醸し、時折行なった不可解なライヴ・パフォーマンスはマスコミに酷評されて、2013年には脱税で服役......と、将来を嘱望されながらここまで脱線した人は、ちょっとほかに見当たらない。
そんな彼女も40歳の6児の母(!)になってようやく復活への道を歩み始めたことを、2015年9月に行われた8年ぶりの来日公演で確認して以来、『ミスエデュケーション』を久々に聴き直している。思えば本作を発表した当時、ローリンはすでに大スターだった。幼い頃から子役女優として活躍し、フージーズの一員としてミュージシャン・デビューにいたったのは1993年のこと。彼らのセカンド・アルバム『ザ・スコア』(1996年)は約1,800万枚を売り上げてヒップホップ作品のセールス記録を更新し、ヒップホップのメインストリーム進出に大きな役割を果たして、スモ―キーな美声を誇るMC兼ヴォーカリストの彼女は、グループの顔として一世を風靡。しかし音楽的評価は専らリーダーのワイクリフ・ジョンに向けられていたために、フラストレーションを募らせて、自分の実力を証明する機会をかねてから探していた。その上、既婚者だったワイクリフとの恋愛関係が破局し、新しいパートナー(ボブ・マーリーの息子のひとりローハン)と出会って妊娠......。身辺で様々な変化が起きていたことから、これらをインスピレーション源に、産休を利用して曲を書き始める。それが本作の始まりだった。
そして最終的にはセルフ・プロデュースで、若手のコラボレーターを集めて、可能な限り自分独りの力で作った音楽で、23歳の自画像を正確に提示しようと試みたのである。だからアルバムは、学校の教室で出欠を取る教師の声で始まる。ローリンの名前が呼ばれるものの、彼女はいない。それまで受けてきた教育、押し付けられてきたルールが間違ってきたことを悟り、一旦自分を白紙の状態に戻して、正しい知識を得るために学校を抜け出したのだ。「miseducation=誤った教育」というタイトルの由来はそこにある。以下、「授業」をテーマに先生と子供たちの対話で構成したスキットを合間に挿みつつ、シャープに研ぎ澄まされた筆致で、自分の価値観を様々なアングルから論じる。自分の真価を認めようとしない人々に対して独立を宣言する「ロスト・ワンズ」、己を偽る人間に騙されてはいけないと警告する「ドゥー・ワップ(ザット・シング)」、音楽界に蔓延する歪んだ価値観に疑問を投げかける「スーパースター」、お金や名声に狂わされる人間の愚かさを指摘する「フォーギヴ・ゼム・ファーザー」などなど、強気で挑発的な曲が少なくない。
その一方で、ワイクリフへ宛てたとみられる別れのバラード「エックス-ファクター」、カルロス・サンタナのギタープレイに彩られた、息子ザイオンへのトリビュート「トゥ・ザイオン」、自分の尊厳を犠牲にして報われぬ恋に溺れたことを悔いる「ホウェン・イット・ハーツ・ソー・バッド」といった曲では、弱さや優しさをさらけ出し、子供時代を回想する「エヴリ・ゲットー、エヴリ・シティ」で故郷のニュージャージー州サウス・オレンジへの愛着を語る彼女。そして、「いつか変化は訪れる」と訴える「エヴリシング・イズ・エヴリシング」で、志を同じくする人々に団結を呼びかけ、表題曲で「自分の運命は自分で決める」と改めて独立を宣言してアルバムを締め括るのだ。
ジャマイカのキングストンにあるボブの本拠地=タフ・ゴング・スタジオで主に形作ったサウンドはと言えば、生バンドを基本に、ソウル、R&B、ゴスペル、レゲエ、ラテン、ファンク、ジャズを網羅。が、終始ヘヴィなベースとビートを強調することで、あくまでヒップホップ・アルバムとして成立させ、フージーズとも一線を画した折衷スタイルを確立。「エヴリシング・イズ・エヴリシング」でローリンは、「ヒップホップと聖典が出会うミクスチュアを聴いて/それはネガティヴをポジティヴへと変えるでしょう」とラップするが、ヒップホップという新しい音楽言語を、スピリチュアルかつフェミニンで、かつブラック音楽の古典に深く敬意を払った彼女ならではのアプローチで表現した本作はまさにそういうアルバムであり、見事にグループの枠外に新しいアイデンティティを見出したというわけだ。
またフージーズではラップを担当することが多かったローリン、ここでは歌い手としての実力と魅力も存分に見せつけて、メアリー・J.ブライジ及びディアンジェロとのデュエット曲を録音。ハートブレイクの苦しみを女同士で分かち合う「アイ・ユースト・トゥ・ラヴ・ヒム」も、後者と甘く声を絡ませるラヴソング「ナッシング・イーヴン・マターズ」も間違いなくアルバムのハイライトであり、彼女はここにきて、ちょうど盛り上がりつつあったネオソウルのムーヴメントに合流することにもなる。
そういえば、そのディアンジェロも2枚の傑作を発表したのち、長年スキャンダルにまみれて迷走し、2014年末に14年ぶりのアルバムを発表。世界を騒然とさせたものだが、2015年9月のライヴから察するに、ローリンのセカンドも遠くない将来聴けるのではないかと思っている。過去15年余りの波乱の道のりを振り返る限り、曲作りのネタには事欠かないだろうから。
(新谷洋子)
【関連サイト】
Lauryn Hill
The Miseducation of Lauryn Hill(CD)
『ミスエデュケーション』収録曲
01. イントロ-ロール・コール/02. ロスト・ワンズ/03. ラヴ-インタールード/04. エックス-ファクター/05. トゥ・ザイオン/06. ハウ・メニー・オブ・ユー・ハヴ・エヴァー-インタールード/07. ドゥー・ワップ(ザット・シング)/08. インテリジェント・ウィメン・スキット/09. スーパースター/10. ファイナル・アワー/11. ホウェン・イット・ハーツ・ソー・バッド/12. ラヴ・イズ・コンフュージョン・スキット/13. アイ・ユースト・トゥー・ラヴ・ヒム/14. フォーギヴ・ゼム・ファーザー/15. ホワット・ドゥー・ユー・シンク-インタールード/16. エヴリ・ゲットー、エヴリ・シティ/17. ホワット・ドゥー・ユー・シンク-インタールード/18. ナッシング・イーヴン・マターズ/19. エヴリシング・イズ・エヴリシング/20. ミスエデュケーション/21. 君の瞳に恋してる(ヒドゥン・トラック)/22. テル・ヒム(ヒドゥン・トラック)
01. イントロ-ロール・コール/02. ロスト・ワンズ/03. ラヴ-インタールード/04. エックス-ファクター/05. トゥ・ザイオン/06. ハウ・メニー・オブ・ユー・ハヴ・エヴァー-インタールード/07. ドゥー・ワップ(ザット・シング)/08. インテリジェント・ウィメン・スキット/09. スーパースター/10. ファイナル・アワー/11. ホウェン・イット・ハーツ・ソー・バッド/12. ラヴ・イズ・コンフュージョン・スキット/13. アイ・ユースト・トゥー・ラヴ・ヒム/14. フォーギヴ・ゼム・ファーザー/15. ホワット・ドゥー・ユー・シンク-インタールード/16. エヴリ・ゲットー、エヴリ・シティ/17. ホワット・ドゥー・ユー・シンク-インタールード/18. ナッシング・イーヴン・マターズ/19. エヴリシング・イズ・エヴリシング/20. ミスエデュケーション/21. 君の瞳に恋してる(ヒドゥン・トラック)/22. テル・ヒム(ヒドゥン・トラック)
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