音楽 POP/ROCK

トラヴィス 『ザ・マン・フー』

2016.04.23
トラヴィス
『ザ・マン・フー』
1999年作品


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 地元スコットランドのフェスティバル会場でフー・ファイターズの面々が、アルコール度もカフェイン度も強いロックスターの定番カクテル=イエーガーボムを飲んでいたという話をしながら、「ほら、その点僕らは全然違ってソフトなバンドだからさ」「うん、いつもミルクを一杯飲んでからステージに立つんだ」と笑いあっていたのは、トラヴィスのフラン・ヒーリー(ヴォーカル、ギター)とダギー・ペイン(ベース)。2016年4月10日に行われた来日公演のステージでのことである。自分たちのイメージをジョークのネタにできるのは、彼らが本当にそういうバンド、つまりワイルドなロックンロール生活とは無縁で、ひたすらいい曲を書いて丁寧に演奏して歌うことに専念し、それゆえに安定したキャリアを積んできたバンドだからなのだろう。実際この夜も、次から次へと繰り出されるタイムレスな名曲のクオリティに改めて感服させられたが、中でも要所要所でまばゆく輝いていたのが、このセカンド・アルバム『ザ・マン・フー』(1999年)からの4つの鉄壁シングルーー「ライティング・トゥ・リーチ・ユー」「ドリフトウッド」「ターン」「ホワイ・ダズ・イット・オールウェイズ・レイン・オン・ミー?」ーーだ。

 自主制作シングル「オール・アイ・ウォント・トゥ・ドゥ・イズ・ロック」でのデビューは1996年だから、登場のタイミングはポスト・ブリットポップ。同様に質実剛健なエルボーやステレオフォニックスとほぼ同期で、地に足がついているのは世代的な特徴なのかもしれない。ファースト・アルバム『グッド・フィーリング』(1997年)はわりと直球のアップビートなギター・ロック路線だったため、当初はオアシスのフォロワーと目されていた彼ら。同作のスティーヴ・リリーホワイトに代わって、ナイジェル・ゴドリッチとマイク・ヘッジズ(ご存知、前者はレディオヘッド、後者はマニック・ストリート・プリーチャーズとのコラボで名を馳せていた)をプロデューサーに選ぶと、6カ月(前作は4日間だった!)をかけてレコーディングし、サウンドを刷新して独自のアイデンティティを確立したのが『ザ・マン・フー』だった。メランコリックで、これでもかと美しいメロディを詰め込み、全英チャート上でも初めてナンバーワンを獲得した出世作である。思えば、現在も変わらない黄金のラインナップーーフラン、ダギー、ニール・プリムローズ(ドラムス)、アンディ・ダンロップ(ギター)ーーに落ち着いたのは「オール・アイ・ウォント〜」発表の僅か半年前なので、1997年の時点ではまだ方向性を模索中だったのだろう。

 オープニング曲で先行シングルの「ライティング・トゥ・リーチ・ユー」はそういう意味で、2枚のアルバムの橋渡しをする曲だ。これまたオアシスの「ワンダーウォール」っぽいイントロは骨太なロック風で、当時曲作りを一手に引き受けていたフランは、まさに「ワンダーウォール」にインスパイアされたことを認めている。が、曲が始まってまもなく「ワンダーウォールって結局なんなのさ?」と比較をバッサリ振り払うように歌い、どんどん陰影を深めてゆく。そして2曲目「ザ・フィアー」以降はアコースティック色を強めて、テンポはスローダウン。さざ波のようなギターに、不穏なエレクトロニック・ノイズ、色褪せた写真のように輪郭がボケた鍵盤の音、孤独なハーモニカ、或いはストリングスの響きで細やかなニュアンスを加えて、デリケートで映画的なサウンドスケープを編み上げるのだ。

 と同時に、前作ではごく分かりやすくて無邪気な内容だった歌詞は、時にシニカルに、時にポエティックに表情を変えながら、一気にエモーショナルな深みを増している。フランのヴォーカルも然り。じゃあなぜこうまで大胆に彼らは変わったのか? 前述した通りこれは、一緒にプレイしているうちに4人の中から自然に導き出された音でもあるのだろうが、本作がフランの失恋アルバムだという点に、もうひとつの大きな理由がある。さめざめと泣いている男の背が胸に浮かぶアルバムなのである。きたる別れをじわじわ予感している「ザ・フィアー」、あとになって相手の心がずっと前から離れ始めていたことに気付く「ドリフトウッド」、言うべきことが何もなくなってしまった恋人たちの姿を囁くようにしてスケッチする「ザ・ラスト・ラフ・オブ・ザ・ラフター」、「このままではいけない」と自分に言い聞かせて立ち直ろうとする「ターン」、少しずつ冷静さを取り戻しながらも「まだ君を愛している」と言わずにいられない「ラヴ」......。タイトルは、英国人の神経学者で多数の著書がある故オリヴァー・サックスが、様々な精神疾患の症状と向き合う自身の患者について綴った「妻を帽子とまちがえた男(The Man Who Mistook His Wife For a Hat)」に因むが、バラバラに壊れて落ちている心をなんとか元に戻そうとして、欠片をひとつひとつ精査している自分を、フランはそこに重ねていたのかもしれない。

 そんな本作、実は当初の評判は芳しくなかった。ロックなトラヴィスはどこへ行ったのか?と背を向けたファンもいたという。でも流れを変えたのが、サード・シングル「ホワイ・ダズ・イット〜」だった。この名アンセムはラジオでヘヴィ・ローテーションされて、チャートから落ちかけていた本作をナンバーワンに引っ張り上げ、続いてUKロック史上最もゴージャスなメロディのひとつを誇る「ターン」で、彼らはシングル・チャートでもキャリア最高の8位を記録。アルバムセールスは最終的に300万枚近くに達し、BRIT賞で最優秀ブリティッシュ・グループと同アルバム賞二冠を達成するに至るのである。「ホワイ・ダズ・イット〜」は長年ライヴのフィナーレを飾っているが、「いつも僕ばかり雨に降られるのはなぜ? 17歳の時に嘘をついたからなの?」とドン底から運命を呪うサビをみんなで合唱すると、それは、嘆きから歓喜あふれるセレブレーションへと変わる。フランのハートブレイクには、ちゃんとハッピー・エンドが待っていたのだ。
(新谷洋子)


【関連サイト】
TRAVIS (Official)
『ザ・マン・フー』収録曲
01. ライティング・トゥ・リーチ・ユー/02. ザ・フィアー/03. アズ・ユー・アー/04. ドリフトウッド/05. ザ・ラスト・ラフ・オブ・ザ・ラフター/06. ターン/07. ホワイ・ダズ・イット・オールウェイズ・レイン・オン・ミー/08. ラヴ/09. シーズ・ソー・ストレンジ/10. スライド・ショウ

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