エヴリシング・バット・ザ・ガール 『哀しみ色の街』
2016.09.19
エヴリシング・バット・ザ・ガール
『哀しみ色の街』
1996年作品
元を糺せば、ハル大学在学中に出会って公私にわたるパートナーとなり、チェリー・レッド・レコーズから1982年にデビューしたトレイシー・ソーン(ヴォーカル/ギター)とベン・ワット(ギター/キーボード/ヴォーカルほか)のふたり。言うまでもなくネオ・アコースティック一派の旗手と目され、決して大きな商業的成功を収めたわけではなかったものの、地元でも日本でも熱い支持を受けてきた。そんな彼らは1995年になって、7枚目のアルバム『アンプリファイド・ハート』(1994年)からのシングル「ミッシング」を、ニューヨークの人気ハウスDJトッド・テリーによるハウス・リミックスという形でリリース。それまで一貫して、ジャズやボサノヴァやフォークの影響を強く受けたアコースティックな音を鳴らしてきただけに、ファンもマスコミも騒然としたものだが、結果的には全英チャートでキャリア最高の3位、アメリカでも最高2位を獲得し、世界的大ヒットを記録。そして、これが単発的な実験ではなく、次のアルバムの方向性を予告していたことが明らかになったのは、翌1996年の春。ニューヨークとロンドンの間を行き来して作り上げた8枚目『哀しみ色の街(Walking Wounded)』(1996年/全英最高4位)で、彼らは大胆にエレクトロニックに変身を遂げたのである。
思えば英国では、1980年代末にアシッドハウスの洗礼を受けてダンス音楽に目覚めたロック・ミュージシャンが多かったのだが、EBTGはそこは素通り(当時ベンは自己免疫疾患の一種である難病と闘っていたので、それどころじゃなかったはずだ)。ふたりにインスピレーションを与えたのは、1990年代に入って一斉に花開いた、英国のダンス/エレクトロニック音楽だった。殊にベンは、ゴールディーが主宰する伝説的なクラブイベント〈Metalheadz〉に通い詰めて、ドラムンベースに心酔。「21世紀のボサノヴァ」などと評して絶賛し、EBTGのメロディやリズム表現を進化させるカタリストとして、本作に取り入れることになる。
そしてもうひとつ、マッシヴ・アタックの影響に触れないわけにもいかないだろう。ご存知の通り、トレイシーはマッシヴ・アタックのセカンド・アルバム『プロテクション』(1994年)に参加し、シングルカットされた表題曲などでシンガーを務めて、その後ベン共々ツアーにも同行。たっぷりと刺激を得たふたりは、外部アーティストの手を一部で借りつつも、エレクトロニックな機材を習得したベン自らのプロデュースで、『哀しみ色の街』を制作。ドラムンベース(ドラムンベース・ユニットのスプリング・ヒール・ジャックが参加した「哀しみ色の街」「ビフォア・トゥデイ」「ビッグ・ディール」「グッド・コップ・バッド・コップ」)を中心に、トリップホップ(「シングル」)、ハウス(「ロング」)、ヒップホップ/ブレイクビーツ(SOUL II SOULのキーパーソンだったハウィー・Bがコラボした「フリップサイド」)を網羅する、EBTG流のクラブ仕様のエレクトロニカを完成させたのだ。
そう、ストリング・サウンドを配したシネマティックなスケール感、そしてスペイシーでアンビエントな浮遊感を特徴とするサウンドスケープは、トレイシーの唯一無二の声と同等に雄弁で特異でパーソナリティにあふれ、美しいメロディに寄り添う。冒頭でも触れたように、初めて聴いた時はさすが衝撃的だったが、電子音であることを忘れさせるようなぬくもりがショックを和らげ、全く違和感なくEBTGの作品として浸透したのは不思議じゃない。また全編を包むメランコリーが物語るように、壊れつつある人間関係にまつわる心象風景をヴィヴィッドに切り取った9つの曲(全11曲のうち残る2曲は他の収録曲のリミックスだ)の重みも、プロダクションのインパクトに劣っていない。語り手の設定は恐らく、当時30代前半だったトレイシーたちと同じ年頃なのだろう。それなりに人生経験を積んで現実を分かっていながらも、若い頃の一途さや純粋さを捨て切れない女性の葛藤を、じつにシンプルな言葉で描写。大人だからこそ癒えるまでに時間がかかる傷の痛みを、生々しく伝えている。
それゆえに原題の〈Walking Wounded〉は絶妙なフレーズだ。眺めているだけで切なさで胸が苦しくなる2語から思い浮かぶのは、表からは見えない傷を心に負い、欲望、情熱、思慕、後悔、絶望感を押し隠して、無表情に街を行き交う人々なのかもしれない。従来のEBTGのイメージが、休日の午後に部屋でまったり聴く音楽だったとしたら、かつてなくセンシュアルな本作のイメージは夜、都市、雑踏......といったところ。ジャケットに写るベンとトレイシーも、クラブに遊びに行く途中なのか、リムジンの後部座席に並んで座っている。どこか倦怠感が漂い、隣にいてもそれぞれ全く違うことを考えている、コミュニケーションが断たれたカップルを演じているかのようだ。
もちろん、実際のふたりとなると話は違う。EBTGはこのあと9枚目の『テンパラメンタル』(1999年)をもって活動を休止。この10年間ほどは、共にソロのシンガー・ソングライターとして活躍し、クリエイティヴなコラボレーションは行なっていないが、四半世紀以上の交際を経て2008年に正式に結婚。今も音楽界きってのおしどりカップルの1組であることを、念のために添えておこう。
【関連サイト】
Everything But The Girl 『Walking Wounded』(CD)
『哀しみ色の街』
1996年作品
ボブ・ディランが今から半世紀前のニューポート・フォーク・フェスティバルで、いきなりエレクトリック・ギターをかき鳴らして歌った時、オーディエンスが一斉にブーイングを浴びせた話はあまりにも有名だ。そこまで激しいリアクションは起きなかったし、むしろ、ポジティヴに歓迎されたものだが、1990年代半ばに英国人の男女デュオ、エヴリシング・バット・ザ・ガール(以下EBTG)が「プラグ」を入れた時の衝撃も、なかなかなものだった。
元を糺せば、ハル大学在学中に出会って公私にわたるパートナーとなり、チェリー・レッド・レコーズから1982年にデビューしたトレイシー・ソーン(ヴォーカル/ギター)とベン・ワット(ギター/キーボード/ヴォーカルほか)のふたり。言うまでもなくネオ・アコースティック一派の旗手と目され、決して大きな商業的成功を収めたわけではなかったものの、地元でも日本でも熱い支持を受けてきた。そんな彼らは1995年になって、7枚目のアルバム『アンプリファイド・ハート』(1994年)からのシングル「ミッシング」を、ニューヨークの人気ハウスDJトッド・テリーによるハウス・リミックスという形でリリース。それまで一貫して、ジャズやボサノヴァやフォークの影響を強く受けたアコースティックな音を鳴らしてきただけに、ファンもマスコミも騒然としたものだが、結果的には全英チャートでキャリア最高の3位、アメリカでも最高2位を獲得し、世界的大ヒットを記録。そして、これが単発的な実験ではなく、次のアルバムの方向性を予告していたことが明らかになったのは、翌1996年の春。ニューヨークとロンドンの間を行き来して作り上げた8枚目『哀しみ色の街(Walking Wounded)』(1996年/全英最高4位)で、彼らは大胆にエレクトロニックに変身を遂げたのである。
思えば英国では、1980年代末にアシッドハウスの洗礼を受けてダンス音楽に目覚めたロック・ミュージシャンが多かったのだが、EBTGはそこは素通り(当時ベンは自己免疫疾患の一種である難病と闘っていたので、それどころじゃなかったはずだ)。ふたりにインスピレーションを与えたのは、1990年代に入って一斉に花開いた、英国のダンス/エレクトロニック音楽だった。殊にベンは、ゴールディーが主宰する伝説的なクラブイベント〈Metalheadz〉に通い詰めて、ドラムンベースに心酔。「21世紀のボサノヴァ」などと評して絶賛し、EBTGのメロディやリズム表現を進化させるカタリストとして、本作に取り入れることになる。
そしてもうひとつ、マッシヴ・アタックの影響に触れないわけにもいかないだろう。ご存知の通り、トレイシーはマッシヴ・アタックのセカンド・アルバム『プロテクション』(1994年)に参加し、シングルカットされた表題曲などでシンガーを務めて、その後ベン共々ツアーにも同行。たっぷりと刺激を得たふたりは、外部アーティストの手を一部で借りつつも、エレクトロニックな機材を習得したベン自らのプロデュースで、『哀しみ色の街』を制作。ドラムンベース(ドラムンベース・ユニットのスプリング・ヒール・ジャックが参加した「哀しみ色の街」「ビフォア・トゥデイ」「ビッグ・ディール」「グッド・コップ・バッド・コップ」)を中心に、トリップホップ(「シングル」)、ハウス(「ロング」)、ヒップホップ/ブレイクビーツ(SOUL II SOULのキーパーソンだったハウィー・Bがコラボした「フリップサイド」)を網羅する、EBTG流のクラブ仕様のエレクトロニカを完成させたのだ。
そう、ストリング・サウンドを配したシネマティックなスケール感、そしてスペイシーでアンビエントな浮遊感を特徴とするサウンドスケープは、トレイシーの唯一無二の声と同等に雄弁で特異でパーソナリティにあふれ、美しいメロディに寄り添う。冒頭でも触れたように、初めて聴いた時はさすが衝撃的だったが、電子音であることを忘れさせるようなぬくもりがショックを和らげ、全く違和感なくEBTGの作品として浸透したのは不思議じゃない。また全編を包むメランコリーが物語るように、壊れつつある人間関係にまつわる心象風景をヴィヴィッドに切り取った9つの曲(全11曲のうち残る2曲は他の収録曲のリミックスだ)の重みも、プロダクションのインパクトに劣っていない。語り手の設定は恐らく、当時30代前半だったトレイシーたちと同じ年頃なのだろう。それなりに人生経験を積んで現実を分かっていながらも、若い頃の一途さや純粋さを捨て切れない女性の葛藤を、じつにシンプルな言葉で描写。大人だからこそ癒えるまでに時間がかかる傷の痛みを、生々しく伝えている。
それゆえに原題の〈Walking Wounded〉は絶妙なフレーズだ。眺めているだけで切なさで胸が苦しくなる2語から思い浮かぶのは、表からは見えない傷を心に負い、欲望、情熱、思慕、後悔、絶望感を押し隠して、無表情に街を行き交う人々なのかもしれない。従来のEBTGのイメージが、休日の午後に部屋でまったり聴く音楽だったとしたら、かつてなくセンシュアルな本作のイメージは夜、都市、雑踏......といったところ。ジャケットに写るベンとトレイシーも、クラブに遊びに行く途中なのか、リムジンの後部座席に並んで座っている。どこか倦怠感が漂い、隣にいてもそれぞれ全く違うことを考えている、コミュニケーションが断たれたカップルを演じているかのようだ。
もちろん、実際のふたりとなると話は違う。EBTGはこのあと9枚目の『テンパラメンタル』(1999年)をもって活動を休止。この10年間ほどは、共にソロのシンガー・ソングライターとして活躍し、クリエイティヴなコラボレーションは行なっていないが、四半世紀以上の交際を経て2008年に正式に結婚。今も音楽界きってのおしどりカップルの1組であることを、念のために添えておこう。
(新谷洋子)
【関連サイト】
Everything But The Girl 『Walking Wounded』(CD)
『哀しみ色の街』収録曲
01. ビフォア・トゥデイ/02. ロング/03. シングル/04. ザ・ハート・リメインズ・ア・チャイルド/05. 哀しみ色の街/06. フリップサイド/07. ビッグ・ディール/08. ミラーボール/09. グッド・コップ・バッド・コップ/10. ロング(トッド・テリー・リミックス)/11. 哀しみ色の街(オムニ・トリオ・リミックス)
01. ビフォア・トゥデイ/02. ロング/03. シングル/04. ザ・ハート・リメインズ・ア・チャイルド/05. 哀しみ色の街/06. フリップサイド/07. ビッグ・ディール/08. ミラーボール/09. グッド・コップ・バッド・コップ/10. ロング(トッド・テリー・リミックス)/11. 哀しみ色の街(オムニ・トリオ・リミックス)
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