音楽 POP/ROCK

ギャヴィン・フライデー&ザ・マン・シーザー 『ギャヴィン・フライデーの世界』

2017.10.22
ギャヴィン・フライデー&ザ・マン・シーザー
『ギャヴィン・フライデーの世界』
1989年作品


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 本コラムでも取り上げた名盤『ヨシュア・トゥリー』のリリース30周年を祝して、目下U2はアルバム再現ツアーを敢行している。このツアーのエグゼクティヴ・ディレクター兼バンド・コンサルタントを務めているのが、ほかならぬギャヴィン・フライデー。ボノの幼馴染み/大親友であり、今回に限らず、キャリアを通じてU2に影のように寄り添ってクリエイティヴな助言をしてきた「参謀」であり、それ以前に、ひとりの偉大なミュージシャンでもある。

 本名フィオナン・ハンヴィー、彼は13歳の時に、アイルランドのダブリン北部の同じ通りに住んでいた1歳年下のボノと出会う。以来、もうひとりの仲間のグッギことデレク・ローウェンと常に行動を共にし、アートや音楽への関心を分かち合い、「リプトン・ヴィレッジ」なるコミュニティを結成。そこに集まってきた若者たちが英国のパンク・ムーヴメントに触発されて始めたバンドが、U2と、ギャヴィン&グッギがヴォーカルを担当し、ジ・エッジの兄ディック・エヴァンスがギターを弾くヴァージン・プルーンズだ。

 当初はライヴもしばしば一緒に行なっていたそうだが、2組が選んだスタイルは対照的だった。プルーンズは、1970年代末のアイルランド社会に途方もなく大きな影響を及ぼしていたカトリック教会への反感を作品に託し、そのスタンスは徹底して挑発的でアンチ・メインストリーム。エキセントリックなヴィジュアル、パフォーマンス・アートに近い過激なライヴ、セクシュアリティを始め当時まだタブーだった題材を扱うアヴァンギャルドな音楽で名を馳せ、地元メディアには「U2の悪魔の双子」と呼ばれて、ボノたちが世界制覇を進める一方で、光を避けるようにしてカルトバンドの道を歩むのである。

 そして1986年のバンド解散を受けて、しばしクラブ・イベントを主宰したり画家活動をしていたギャヴィンは、1989年になってここにご紹介するアルバム『Each Man Kills The Thing He Loves(邦題:ギャヴィン・フライデーの世界)』を、ギャヴィン・フライデー&ザ・マン・シーザーの名義で発表。シンガー・ソングライターとして再スタートを切る。「ザ・マン・シーザー」とは、10年以上にわたって音楽的パートナーを務めることになるピアニスト/コンポーザー、モーリス・シーザーのことだ。

 一貫してインディ・レーベルから作品を発表していたプルーンズに対し、ギャヴィンは本作を(U2も所属している)大手傘下のアイランド・レコーズから送り出したが、スタンスは変わっていなかった。ヨーロッパ本土で人気が高かったプルーンズのツアーで頻繁にヨーロッパ各地を訪れているうちに、ドイツのリーダーやキャバレー、或いはフランスのシャンソンなどに造詣を深めたという彼。このアルバムでは、そういったヨーロピアン・カルチャーに根差したデカダントな美意識を前面に押し出している。愛する者を、愛するがゆえに破壊する人間の不条理を語るタイトルは、ご存知、同郷のオスカー・ワイルドの詩『レディング牢獄の歌』からの引用。彼が男色の罪で服役していた時に出会った、妻を殺した死刑囚にインスパイアされて、釈放からまもない1897年に綴ったものだが、殺人行為、罪悪の意識、人が人を裁く制度の正当性などなど様々なテーマが読み取れる重層的な詩に、ギャヴィンは独自にメロディを付けて表題曲を仕上げたのだ(メロディに乗せやすい詩なのか、この数年前に、ジャン・ジュネの『ブレストの乱暴者』をR・W・ファスビンダーが映画化した『ケレル』の中でも、ジャンヌ・モローがあのガラガラ声で歌っていた)。

 このほかにもカバーが2曲収められている。ひとつは、当時まだ世に出て間もなかったボブ・ディランの「Death Is Not The End」、もう1曲は、ジャック・ブレルが1964年に発表した「Next(仏語では「Au Suivant」)」。スコット・ウォーカーのヴァージョンが有名な後者は、戦争でイノセンスを奪われた若い兵士が悪夢を回想する衝撃的内容の曲だ。残りはギャヴィンとモーリスによる書き下ろしだが、いずれの曲も、愛と死、善と悪、救済と絶望、イノセンスと穢れを対比させるようにして、喪失感、罪悪感、孤独感といった穴を抱えた人間たちを描写しており、とにかくダークなアルバムなのである。

 そんな曲の数々をギャヴィンは、面白いことに、ダブリンでもベルリンでもパリでもなくニューヨークで、アメリカ人プロデューサーのハル・ウィルナーとレコーディング。アイランド・レコーズを主宰するクリス・ブラックウェルが推薦したというハルは、この頃は専らトリビュート作品の監修者として知られていたが、ちょうどクルト・ヴァイルのトリビュート・アルバム『Lost Is The Stars』を制作したばかりだったことを踏まえると、納得のゆく人選なのかもしれない。ハルは日頃からコラボしていた腕利きのジャズ畑ミュージシャンたちーー名ギタリストのマーク・リボーとビル・フリーゼル、チェロ奏者のハンク・ロバーツ(ビルが率いるカルテットの一員でもある)、ベーシストのフェルナンド・ソーンダース(長年ルー・リードやキップ・ハンラハンとプレイ)、ドラマーのマイケル・ブレアーーを集めてジャムを重ね、最終的には全編をライヴで録音。モーリスを交えた6人のミュージシャンたちは、曲ごとに異なるコスチュームをまとって、怪しげなキャラクターを演じるギャヴィンのシアトリカルなヴォーカル・パフォーマンスと対等に渡り合う、アクの強いサウンドスケープを提供している。「Next」はゴシックなキャバレー、スライド・ギターを効かせた「Tell Tale Heart」はアメリカーナ、ピアノとチェロがメロドラマティックに絡み合う「Apologia」はシャンソン風に仕立てて、「Death Is Not The End」では不気味なホーンが浮遊するニューオーリンズ・ジャズの独自解釈を展開し、「Man of Misfortune」ではグラムロックに接近して......。そう、本作でのギャヴィンは、マーク・アーモンドとトム・ウェイツの中間辺りに着地した感じだろうか?

 他方で1989年当時のU2と言えば、『ヨシュア・トゥリー』から『魂の叫び』にかけてアメリカのルーツ音楽を探求し、ほどなくしてヨーロッパに視線を転じて『アクトン・ベイビー』で新境地を拓こうとしていた。それをけしかけたのもギャヴィンだ。ある意味で『アクトン・ベイビー』は、彼とU2の世界が最も接近した瞬間だったような気もするのだが、同作の20周年を機に作られたオールスター参加のカバー・アルバム『AHK-toong BAY-bi Covered』で、ギャヴィンはまさに新生U2を象徴する曲「ザ・フライ」を担当していた。闇の世界に魅入られた男ザ・フライを主人公にしたこの曲にみんな触れようとせず(つまりジャック・ホワイトやトレント・レズナーも怖気付いたということだ)、困ったメンバーから「頼む」と託されたのだとか。

 ちなみに「ザ・フライ」には、「我々は自らのインスピレーションを殺し、その死を悼んで歌にする」という印象的なフレーズがあって、筆者はそれを聴く度に本作のタイトルを、〈Each man kills the thing he loves......〉と歌うギャヴィンを思い出す。そして、ワイルドという同胞を介してボノとギャヴィンが対話をしていたんじゃないかと、勝手な妄想を膨らませずにいられないのだ。
(新谷洋子)


【関連サイト】
Gavin Friday
ギャヴィン・フライデー&ザ・マン・シーザー 『ギャヴィン・フライデーの世界』(CD)
『ギャビン・フライデーの世界』収録曲
01. Each Man Kills the Thing He Loves/02. Tell Tale Heart/03. Apologia/04. Dazzle and Delight/05. Next/06. You take Away the Sun/07. Death is not the End/08. He Got What he Wanted/09. Man of Misfortune/10. Rags to Riches/11. The Next Thing to Murder/12. Love is Just a Word/13. Another Blow on the Bruise

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