パティ・スミス 『ゴーン・アゲイン』
2018.06.29
パティ・スミス
『ゴーン・アゲイン』
筆者が音楽を聴き始めた時には、パティ・スミスはすでに伝説の人だった。亡くなったわけではなかったけど半ば故人みたいなものーーと言ったら失礼かもしれないが、 1974年のデビューから最初の5年間に4枚のアルバムを発表し(セカンド『ラジオ・エチオピア』以降の3枚はパティ・スミス・グループ名義で)、詩人/ミュージシャンとしてビート・ムーヴメントとパンクの間に橋を架けて、後続に計り知れない影響を与えた彼女は、元MC5のフレッド・スミスとの結婚を機に活動を休止。1980年に彼の故郷デトロイトに移り住み、以後ふたりの子供をもうけて静かな生活を送ることになる。この間、4枚のアルバムの中でも特にファースト『ホーセス』は、ロバート・メイプルソープが撮影したジャケットのアイコニックなヴィジュアル共々、20世紀後期のカルチャーの重要な基点のひとつになったことは、ご承知の通りだ。
そんな彼女が1988年に5枚目のアルバム『ドリーム・オブ・ライフ』を発表した時には、あまりにも理想化し過ぎていたせいか、正直言って少々落胆させられた。直球のメッセージ・ソングだったシングル曲「ピープル・ハヴ・ザ・パワー」以下、全体的に明るいトーンにも、いかにも1980年代ぽい音の感触にも違和感が拭えなくて......。今思えば、幸せな生活を送っていたパティのリアリティを反映していただけなのだろう。のちのインタヴューによると、本人には復帰するつもりは全くなく、パティのために曲を書きたいという夫の願いを叶えるためだけにアルバムを制作したらしい。
結局、その後彼女はまた姿を消してしまったのだが、あれは言わばフライングだったのだ。その後さらに10年近くを経て、6枚目『ゴーン・アゲイン』を手にした時、まさに『ホーセス』を作った女性の20年後を見せつけられた気がした。
50代突入を目前にしたパティを音楽界に引き戻したのは、ずばり〈死〉だ。『ドリーム・オブ・ライフ』のジャケットを撮影して間もない1989年に親友ロバートが、翌年パティ・スミス・グループのキーボーディスト=リチャード・ソールが死去。そしてフレッドと、ツアー・マネージャーを務めていた弟のトッドが1994年に相次いで亡くなり、同年のカート・コバーンの自殺にも、付き合いはなかったものの深い衝撃を受けて、死者たちを弔うために再び筆を執ったのである。うつむいた彼女の姿を捉える、黒く塗られたジャケットが物語っている通りに。
それゆえにパティは初期から関わりのある盟友たちを集めて、抑制の効いた、往々にして古典的なカントリー音楽の影響を強く受けた、荘厳なフォーク・レクイエム集をレコーディング。ボブ・ディランの『奇妙な世界に』(1993年)とニルヴァーナの『MTV・アンプラグド・イン・ニューヨーク』(1994年)の2枚のアコースティック作品にインスパイアされたという話にも納得できるし、『ドリーム・オブ・ライフ』のポップ志向から一転、詩人のスピリットを取り戻して、前作とは比較にならない迫力の声を冒頭から披露している。あうんの呼吸でその声に必要最低限の演出を添える盟友というのは、パティ・スミス・グループのオリジナル・メンバーだったレニー・ケイ(ギター/本作の共同プロデューサー)とジェイ・ディー・ドハーティ(ドラムス)、『ホーセス』をプロデュースしたジョン・ケイル、テレヴィジョンのトム・ヴァーレインなどなど。また、現在に至るまでベーシストとして彼女を支えるトニー・シャナハン及び、これまた10年バンドに在籍することになるオリヴァー・レイ(ギター)とも、本作で初めてコラボした。
そして言うまでもなく、曲の中でもパティの盟友たち、愛した人たちの亡霊が闊歩している。例えば「アバウト・ア・ボーイ」はカートに捧げられているが、やはり全編を覆っているのは、共作者としても2曲にクレジットされているフレッドの影。結婚式の日を回想する「マイ・マドリガル」では、ここで繰り返される誓いの言葉〈死が分かつまで〉を全うしたふたりの絆を歌い、「デッド・トゥ・ザ・ワールド」は〈世界にとって死んだのも同然〉だった自分が、フレッドとの生活に見出した幸福感を描いているように聴こえなくもない。思えば昔の彼女は、『ホーセス』のジャケット然り、性を超越していたものだが、本作では母親かつ妻としてのフェミニンな包容力が曲によって前面に押し出され、初めて聴いた時にハっとさせられたことも覚えている。その一方で近年のパティが駆使しているどこかシャーマニックなヴォーカルも随所で響き渡り、不吉な知らせを携え た使者を題材とする、ボブ・ディランの「ウィキッド・メッセンジャー」(1967年の『ジョン・ウェズリー・ハーディング』より)のカヴァーは、まさにそういう1曲。ここで言う不吉な知らせとは、〈過酷だが受け入れなければならない真実〉と言い換えてもよさそうだ。
また「鳥」で夫をワタリガラスになぞらえる彼女は、空だったり飛翔するイメージを幾度か用いているが、それは死や天界を示唆すると共に、苦しみからの解放、悲しみの克服を象徴してもいるのだろう。率直な言葉でフレッドに語りかけるフィナーレ「フェアウェル・リール」でも、パティは天を見上げている。ちなみにリールとはスコットランドの伝統音楽の様式で、非常に陽気で軽快な、踊るための音楽。なぜって「フェアウェル・リール」は、再生の曲なのだ。始まりでは激しく降っていた雨があがって、終わる頃には空に虹が架かり、彼女は〈あなたの微笑みなのかもしれない〉と歌って、自らも微笑みを取り戻すのだから。
ジェフの遺体が見つかった日の翌日、筆者は偶然、ニューヨークで開催されたとあるフェスティバルでパティのライヴを観た。彼の死を受けて会場全体が重い空気に包まれ、パティもステージでジェフの思い出話をしながら、「南十字星の下で」をプレイしてくれたものだ。それゆえに筆者にとって本作は彼の死と切り離せないアルバムであり、勝手ながら、毎年6月にはジェフへのレクイエムとしても聴かせてもらっている。
【関連サイト】
Patti Smith
『ゴーン・アゲイン』
1996年作品
筆者が音楽を聴き始めた時には、パティ・スミスはすでに伝説の人だった。亡くなったわけではなかったけど半ば故人みたいなものーーと言ったら失礼かもしれないが、 1974年のデビューから最初の5年間に4枚のアルバムを発表し(セカンド『ラジオ・エチオピア』以降の3枚はパティ・スミス・グループ名義で)、詩人/ミュージシャンとしてビート・ムーヴメントとパンクの間に橋を架けて、後続に計り知れない影響を与えた彼女は、元MC5のフレッド・スミスとの結婚を機に活動を休止。1980年に彼の故郷デトロイトに移り住み、以後ふたりの子供をもうけて静かな生活を送ることになる。この間、4枚のアルバムの中でも特にファースト『ホーセス』は、ロバート・メイプルソープが撮影したジャケットのアイコニックなヴィジュアル共々、20世紀後期のカルチャーの重要な基点のひとつになったことは、ご承知の通りだ。
そんな彼女が1988年に5枚目のアルバム『ドリーム・オブ・ライフ』を発表した時には、あまりにも理想化し過ぎていたせいか、正直言って少々落胆させられた。直球のメッセージ・ソングだったシングル曲「ピープル・ハヴ・ザ・パワー」以下、全体的に明るいトーンにも、いかにも1980年代ぽい音の感触にも違和感が拭えなくて......。今思えば、幸せな生活を送っていたパティのリアリティを反映していただけなのだろう。のちのインタヴューによると、本人には復帰するつもりは全くなく、パティのために曲を書きたいという夫の願いを叶えるためだけにアルバムを制作したらしい。
結局、その後彼女はまた姿を消してしまったのだが、あれは言わばフライングだったのだ。その後さらに10年近くを経て、6枚目『ゴーン・アゲイン』を手にした時、まさに『ホーセス』を作った女性の20年後を見せつけられた気がした。
50代突入を目前にしたパティを音楽界に引き戻したのは、ずばり〈死〉だ。『ドリーム・オブ・ライフ』のジャケットを撮影して間もない1989年に親友ロバートが、翌年パティ・スミス・グループのキーボーディスト=リチャード・ソールが死去。そしてフレッドと、ツアー・マネージャーを務めていた弟のトッドが1994年に相次いで亡くなり、同年のカート・コバーンの自殺にも、付き合いはなかったものの深い衝撃を受けて、死者たちを弔うために再び筆を執ったのである。うつむいた彼女の姿を捉える、黒く塗られたジャケットが物語っている通りに。
それゆえにパティは初期から関わりのある盟友たちを集めて、抑制の効いた、往々にして古典的なカントリー音楽の影響を強く受けた、荘厳なフォーク・レクイエム集をレコーディング。ボブ・ディランの『奇妙な世界に』(1993年)とニルヴァーナの『MTV・アンプラグド・イン・ニューヨーク』(1994年)の2枚のアコースティック作品にインスパイアされたという話にも納得できるし、『ドリーム・オブ・ライフ』のポップ志向から一転、詩人のスピリットを取り戻して、前作とは比較にならない迫力の声を冒頭から披露している。あうんの呼吸でその声に必要最低限の演出を添える盟友というのは、パティ・スミス・グループのオリジナル・メンバーだったレニー・ケイ(ギター/本作の共同プロデューサー)とジェイ・ディー・ドハーティ(ドラムス)、『ホーセス』をプロデュースしたジョン・ケイル、テレヴィジョンのトム・ヴァーレインなどなど。また、現在に至るまでベーシストとして彼女を支えるトニー・シャナハン及び、これまた10年バンドに在籍することになるオリヴァー・レイ(ギター)とも、本作で初めてコラボした。
そして言うまでもなく、曲の中でもパティの盟友たち、愛した人たちの亡霊が闊歩している。例えば「アバウト・ア・ボーイ」はカートに捧げられているが、やはり全編を覆っているのは、共作者としても2曲にクレジットされているフレッドの影。結婚式の日を回想する「マイ・マドリガル」では、ここで繰り返される誓いの言葉〈死が分かつまで〉を全うしたふたりの絆を歌い、「デッド・トゥ・ザ・ワールド」は〈世界にとって死んだのも同然〉だった自分が、フレッドとの生活に見出した幸福感を描いているように聴こえなくもない。思えば昔の彼女は、『ホーセス』のジャケット然り、性を超越していたものだが、本作では母親かつ妻としてのフェミニンな包容力が曲によって前面に押し出され、初めて聴いた時にハっとさせられたことも覚えている。その一方で近年のパティが駆使しているどこかシャーマニックなヴォーカルも随所で響き渡り、不吉な知らせを携え た使者を題材とする、ボブ・ディランの「ウィキッド・メッセンジャー」(1967年の『ジョン・ウェズリー・ハーディング』より)のカヴァーは、まさにそういう1曲。ここで言う不吉な知らせとは、〈過酷だが受け入れなければならない真実〉と言い換えてもよさそうだ。
また「鳥」で夫をワタリガラスになぞらえる彼女は、空だったり飛翔するイメージを幾度か用いているが、それは死や天界を示唆すると共に、苦しみからの解放、悲しみの克服を象徴してもいるのだろう。率直な言葉でフレッドに語りかけるフィナーレ「フェアウェル・リール」でも、パティは天を見上げている。ちなみにリールとはスコットランドの伝統音楽の様式で、非常に陽気で軽快な、踊るための音楽。なぜって「フェアウェル・リール」は、再生の曲なのだ。始まりでは激しく降っていた雨があがって、終わる頃には空に虹が架かり、彼女は〈あなたの微笑みなのかもしれない〉と歌って、自らも微笑みを取り戻すのだから。
こうして黒衣をまとってカムバックし、本作で静かなカタルシスに到達したパティはしかし、その後も死の影につきまとわれた。翌年師と仰ぐウィリアム・バロウズが逝き、「南十字星の下で」と「ファイアーフライズ」に歌声を添えたジェフ・バックリィが、本作の発表のちょうど1年後に溺死。これが彼にとって、生前にリリースされた最後の参加作品となった。
ジェフの遺体が見つかった日の翌日、筆者は偶然、ニューヨークで開催されたとあるフェスティバルでパティのライヴを観た。彼の死を受けて会場全体が重い空気に包まれ、パティもステージでジェフの思い出話をしながら、「南十字星の下で」をプレイしてくれたものだ。それゆえに筆者にとって本作は彼の死と切り離せないアルバムであり、勝手ながら、毎年6月にはジェフへのレクイエムとしても聴かせてもらっている。
(新谷洋子)
【関連サイト】
Patti Smith
『ゴーン・アゲイン』収録曲
01. ゴーン・アゲイン/02. 南十字星の下で/03. アバウト・ア・ボーイ/04. マイ・マドリガル/05. サマー・カニバル/06. デッド・トゥ・ザ・ワールド/07. ウィング/08. 烏/09. ウィキッド・メッセンジャー/10. ファイアーフライズ/11. フェアウェル・リール
01. ゴーン・アゲイン/02. 南十字星の下で/03. アバウト・ア・ボーイ/04. マイ・マドリガル/05. サマー・カニバル/06. デッド・トゥ・ザ・ワールド/07. ウィング/08. 烏/09. ウィキッド・メッセンジャー/10. ファイアーフライズ/11. フェアウェル・リール
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